2004.winter --------------------------------------------------------------- -黒の勇者- 山間の小さな村、妖狐の支配する領域に明らかに異種族の男が紛れ込んでいた。 黒い毛並みをしているが耳は丸裸で、尻尾も見当たらない。 鋭い爪も牙も持たない代わりに、一振りの剣を備えていた。 そう、あれこそが原種、人間だ。 この世は妖怪のものだが、貴重種である人間を容易に殺したりはしない。 彼ら人間を傷つけるだけで、厳罰が下るからだ。多くは死が。 しかし、貴重種だけあって、無傷で捕らえれば莫大な報奨金がでる。 舐めるような視線を異種族の男、ライは軽く受け流していた。 まだすぐに襲ってこないだけ、マシだなと。 ライの目当ては、この里の近くにある遺跡だった。 食い所の女主人は気さくな妖弧で、ライを捕らえようとはしなかった。 「あんた。ドームを去った人間だろ。  あはは、私らの村に原種の"勇者"とやりあえる男はいないからね。  手をだす馬鹿には、私が叱っておくよ」 人間は大気中の魔法力の濃度に耐え切れず、死んでしまう者も少なくない。 そのため大半はドームと呼ばれるシェルターで暮らしている。 しかし、極めて稀に人間の中から息を吸うかの様に、容易に魔力を操る者が現れることがある。 精霊を通じて大気中の魔力を引き出す妖怪と、直接大気中の魔力を行使する人間とでは、 技の幅・威力共に人間の方が上。 こういった人間を妖怪たちは勇者と称し、尊敬の念さえ抱いた。 女主人に礼を告げると、ライは遺蹟を目指した。 深い洞窟を下りて行く。地上から流れ落ちる川を、岩から染み出る蒼い明かりが照らした。 霊源に迷いこんだかの様だ。 ライは風景に心を奪われそうになる自分をいさめ、先に進んだ。 それは機械的なうなり声をあげ、”起動”していた。 ドームの機械とは設計思想そのものが違う巨大な門。 未知の金属は岩と一体化し、張りめぐらされたパイフは霜がおりていた。 門に埋め込まれた赤子の頭ほどの魔石が鈍い光を放っている。 また門にはわずかな隙間が開いており、そこから膨大な魔力が流れ込むのをライは感じた。 「…こいつは、俺が持つには大きすぎる」 冷たい汗がライの背筋を伝った。 妖怪たちの科学力は低い、とてもこんな機械や金属を生み出せるはずがない。 ライの頭には、ドームで暮らしていた頃に叩き込まれた知識が蘇った。 旧・世界を滅ぼした異界との門”ゲート”、この世の法則を変え、世に魔法をもたらしたもの。 それは奇跡と共に、破壊を生み出すし、下手に世に出れば世界そのものが作り変わってしまう。 いや、この濃密度の魔力を駆使するだけで、世界を牛耳ることも可能だろう。 かつて三女神と称される魔女たちが、この世を平定したように。 だが、ライは肩を落とした。世界征服や権力には何の興味もない。 地上に戻り、「無駄足だった」と告げて手を引こう……と、ライの表情が険しくなる。 ライの背に鋭い切っ先があてられていた。 「おっと、戦う気はないよ。いきなりブッスリ…ってのは止めて貰えるか?」 両手を上げながら、ライは静かに呼吸をした。 周囲の魔力に密かに呼びかける。 ライの視界が広がり、背後で脅す主の姿が映し出された。 ライは息を飲んだ。 それは背に翼を持つ、人によく似た人でないもの。 ドームの教会で似た形の像を見たことがある。 「…エンジェル」 ライは知らずに呟いていた。 「ほぅ、その呼び名を知る者がまだ居たか」 幼い声。刄を引かれ、ライは振り向いた。 柔らかな金髪の少女が手に不釣合いな剣を持ち、好奇の眼差しを向けていた。 その背を白い四枚の翼が飾り立てていた。 ゲートの守人か……見かけ通りの年じゃないな。 小一時間話しただろうか。 天使はリスカと名乗り、三女神と称される魔女たちの時代からさらに昔からここで暮らしていると言う。 天使には寿命が無いのだろう。 「すまんな人間、ただ帰すわけにはいかんのでな……少し話すぎたようだ。  亡霊にはなるまいよ。私が浄化するからな」 そう言って、天使は会話を断ち切った。 とても戦いとは言えない。 幼い守人の攻撃は荒削りだったが、ライの守備魔法では防ぎきれない。 逆にライは攻撃するのもためらわれた。振り下ろした剣を何度止めただろうか。 とうとう、黒の勇者と称される若者は膝をおった。 「何故抵抗しない」リスカは見下しながら告げた。 「戦う理由がないからな。なあ、ひとりでいるより、外に出てみたらどうかな?」 ライの言葉に、リスカは訝しんだ。 「あんたほどの力なら、化けるのも簡単だろ? この近くにだって村はある」 「自分の置かれている状況を理解しているのか?」 リスカは剣をつきつけた。 だがライは笑ってみせ、自分の剣さえ手放してしまった。 「俺はこんな門より、リスカと会えたことで無駄足じゃなくなったってことがわかるかな。  そうだ。犬族なんて種類が豊富だから、多少の違和感があっても誤魔化しが効くかな」 間をおいて、リスカは笑い出した。 「面白いことを言う。いいだろう  ……ただし、私の正体とここをバラしたときには、その喉笛を噛み砕いてしまうよ」 なんだい、その子は。まさか、子連れで旅する気じゃないだろうね。 ああ、もう。目も当てられないよ。 そら私でよかったら面倒をみてやるよ。……それで、この子の名前は? ---------------------------------------------------------------