希望の搭は崩れ
魔の国からの門は開かれた

月は悪意に汚れ
夜は狂気に彩られる
世界の半分は魔の領域となった

月に魅入られし子らは
夜と共に永劫の時を彷徨うだろう

ふいに 誰かが言った
奴らを倒せるのなら
俺は人でなくなってもかまわない、と


キミを夜から取り戻す
俺が温かな日差しを見せてやるよ



……そう、約束していたんだ。




1、月に魅入られし子ら

 細い月が浮かんでいた。
 ランプも持たず山道を歩く人影がひとつ。
 夜目が利くのか足取りは軽やかで、鼻歌をうたっていた。
 夜道をひとりで歩くなど、普通ならありえない行動だった。
 人食いの怪物である魔物が、先文明を食い散らかしてすでに幾千年、 今や領主が魔物である地域も少なくない。他の魔物から守護する名目で、生贄を要求する輩だ。
 魔物はずるがしこく、魔法を扱う。素質のある人間が何年も修行を積み、呪文を探している最中だというのに、 魔物は生まれたときから使うことができた。
 法律などあってなきがごとし、魔物の守護を断った村や町は壁をこしらえ、 夜が過ぎるのをじっと待つのが当たり前になっていた。だというのに、この人影は宿に篭りもせず、 よりにもよって人里離れた山道を歩いている。

 月明かりが人影を照らす、十五くらいにみえる少年だった。
 短い黒髪が毛先で跳ね、髪の間から尖った耳が覗いている。 首を覆い隠す黒い上着は袖なしで、褐色の腕がむき出しになっていた。 褐色の肌と尖った耳の子供は、人族の特徴だ。人族は人間と違って魔法の素質を持つ者が多く、寿命も長い。
 もし、この少年にも魔法の心得があるのなら、魔物と遭遇しても逃げるくらいのことはできるかもしれない。 けれど、少年の腰から下がっているのは魔法を扱うのに必要な杖ではなく、体に不釣合いな長剣とポーチだった。 長剣が少年の体格に会ってないのはあきらかで、こんな物を振り回せば、すぐに疲れてしまうだろう。


 山間に遠吠えが響き渡った。
 少年は足を止め、顔を上げた。
 切り立った崖に無数の赤い光が揺れていた。
 土と岩の急斜面を刃のような鋭い脚を打ち込みながら、四頭の獣が少年へと殺到する。
 六つの赤い目玉をギラギラと光らせ、四本の脚には鎌のような刀がついていた。 蜘蛛の脚を半分取り除いて鋭い曲刀と交換し、ハイエナの頭と毛で体を覆えば、こんな生き物が出来上がるだろうか。
 少年は崖から飛びのき、腰の剣を抜いた。
 少年の体格には大きすぎる剣は、柄飾りも鞘も粗末で何処か古めかしい。
 六つ目の魔物は、剣は鈍らだと見抜き、噛み合わない牙を擦りあわせてげらげらと笑った。
「おいおい。コレが、あの【吸血鬼殺しのイズル】か? 人違いじゃなかろうなぁ」
「弁当だ。こいつ、弁当にしよう」
「かかっ、話を聞いてからだ。情報に間違いはない」
「小僧、イズルというハンターがこの辺りにいるだろう。話せば、見逃してやってもいいぞ」
 四頭の魔物は、人語で思い思いに少年に語りかけた。
 声を出すたびに、生臭い匂いがした。
 二十四の赤い瞳が、少年を映す。
「……お喋りだな。そんなに、【吸血鬼殺し】が怖いか?」
 少年の声は、落ちついたものだ。
 長すぎる剣を右手で構えると、獣は笑うのを止めた。
 剣術など知らない構えは隙だらけで、これまで争った剣士の誰よりも弱そうだ。
 だというのに、六つ目の魔物は襲い掛かるのにためらった。
 少年の目をみたから。
 黒い相貌に湛えるのは、侮蔑と嘲りだ。
 六つ目の魔物がこれまでに見てきた人間は、脅え、泣き喚き、同胞を食われた怒りに震える、そんなものだった。
 いかに腕に覚えのあるハンターと言っても、たった一人では、肉食の獣の群れにすら劣る。 まだ魔物がいなかった頃の人は、鉄の箱で空を飛び、鋼の人形を奴隷にして強力な魔法に匹敵する武器 を操ったというが、それらの奇跡の技は、作る者も使う者も、とうの昔に失われてしまった。
 人間の数には限りがあるが、魔物の数に終わりはないのだから。
「そう怯えるなよ。俺を殺して吸血鬼どもにとりいるんだろ? 不老不死にしてくれってさ」
 少年の言葉は、暗に自分がイズルであると認めていた。


 魔物が世界に溢れ、いつしか人は対抗するために組織である【人類救済機構(ギルド)】を作り出した。 人材を集め、修練し、ハンターとして、個々の強さに応じた魔物を割り振る。 命がけの危険な仕事だ。もちろん、危険に見合うだけの報酬が約束されている。
 イズルも【人類救済機構(ギルド)】所属のハンターの一人だ。

 しかし、人がギルドを介して魔物を退治する一方で、 魔物も【吸血鬼連盟】を介して同じように危険なハンターに賞金をかけた。
 【吸血鬼連盟】は、名前が示す通り、人型の魔物【吸血鬼】が集ってできた組織だ。
 血を好み、時として人間を下僕として魔物に変える力を持つ吸血鬼は、 魔物の中でも狂った月の祝福を一番受けているという証に、不老不死だという。 その再生力と魔力はすさまじく、日中、寝床を暴くことでしか勝てないとされている最高ランクの魔物だ。
 いかに強い魔物と言えども、寿命がある。
 そんな中【吸血鬼連盟】の打ち出した不老不死という餌は、全ての魔物の望みだ。



 少年がイズルだと知ると、四頭の魔物が騒ぎだす。
「“夜の”吸血鬼を殺した。……まさか」
「子供の考えたデマよ。でなければ、如何にしてきゃつらが滅びるか」
「どれだけの手練れか知らないが、剣の一本恐れるに足らん」
「そうだ。前菜だ。血酒を浴びようぞ!」
 我慢しきれなくなった一頭が飛び出すのを合図に、四頭の獣がイズルに飛びかかった。
 イズルの反応は人にしては素早かったが、その左腕に一頭が食いついた。好機と見て、右側から別の一頭が少年の腹部を狙って、口を開いた。
 イズルは左腕に構わず、右から迫る一頭へと剣を振った。
 剣と牙が衝突し高い音が響く。
 刹那、刀身は青い炎を吹き上げた。
 右側の魔物の牙が、そのまま体をもバターでも切るようになぎ払うと、 返す刃で左腕に噛み付いている獣の腹を突き刺した。
 どちらも剣に裂かれた一瞬後に火だるまと化す。 魔物は奇怪な悲鳴をあげ、火を消そうと地面をのたうつ。 どんなに激しく体を打ち付けても炎は消えず、魔物の体を舐め尽した。
 残った二頭は、ぎょっとその身をこわばらせた。
 ただの炎ではない、これは魔法に属する火だ。
 その隙をイズルは逃さない。瞬く間にもう一頭が、青い炎の手にかかった。
 イズルは八重歯を見せて、魔物を嘲笑う。
「魔剣(こいつ)のことも知らないで襲ってくるなんざ。一人だからって、舐めすぎじゃね」
 最後に残った魔物は、六つの眼でしかとみた。
 イズルの左腕の傷が、見る間に癒えていくではないか。
 そして、魔物の鼻が、少年の体からただよう瘴気をかぎつけてた。
 どちらも、人族には過ぎたる力であり、人族には持ち得ない気配だ。
 まるで、そう、――――吸血鬼のようではないか。
「その力、その匂い……魔の者が……何故!?」
 六つ目は踵を返し、逃げだそうとした。
 その背に刃が突き刺さると、先の三体と運命を共にした。
 イズルは、足元の黒く焼け焦げた塊を蹴飛ばした。
 魔物だった塊は、脆く砕けて散った。
「ばーか。俺をてめぇらと一緒にすんな」
 青い炎が消え、森には元の暗闇と静寂が戻った。
 イズルは剣を腰の鞘に収めると、左手を開いたり握ったりして腕の具合を確かめる。若干傷跡が残っているものの、それも朝には消えてなくなるだろう。
「俺はまだ人だよ。なぁ?」
 イズルは、星明かりを照り返す胸の小瓶に向けて、呟いた。
 小瓶を眺める少年の瞳や穏やかで、優しかった。



「ん……?」
 視界の片隅でで何かが光った。
 草を掻き分けて探せば、緩やかに湾曲した石の板が落ちていた。
 片面は青いのに、裏面は角度によって貝の様にキラキラと輝いた。
 指ではじけば、鈴のような心地よい音がする。
「磨けば売れるかな?」
 イズルは、青い板を腰のポーチに入れた。


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