2、空の欠片

 青空の下、連なる山脈は白い冠をかぶっていた。
 白い岩壁の上から滝が轟音と共にしぶきが上がり、豊かな穀倉地帯と森が広がっていた。
 なだらかな緑の斜面に、民家がぽつりぽつりと見える。
 村を取り囲むような塀も無いようで、イズルは柵に沿ってならされた道を歩いていた。
 小鳥が鳴き、パンの焼ける香ばしい香りが胃を刺激した。
 のどかな景色の中、両腕を伸ばして伸びをすると、
「これでようやくまともな飯にありつける……と思ったんだけどなぁ」
 そのまま降参を示すように腕を広げた。
 村の男たちだろう、少年を取り囲み、槍を突きつける。
 イズルの尖った耳を見て、正面で槍を突きつける男が言った。
「人族がっ。この村に何の様だっ」
 男の声に差別的なものを感じて、イズルは眉を寄せる。
 この村には人間しかいないようだ。
 人間の中には、魔法の素質を持つ人族は、昼に出歩く魔物と似たようなものだと考える者も多い。
 イズルは手を上げたまま、ため息をついた。
「おいおい。それは無いんじゃないの? 俺はギルドの命令でここに来たんだぜ。 用が無いってんなら俺は帰らせて貰うよ」
 人類救済機構(ギルド)と聞いて、男たちは顔を見合わせた。
 一昨日に頼んだばかりで、早すぎないかとささや囁きあう声が聞こえた。
「丁度、俺が近くに居たんでね。良かったじゃん」
「こんな子供をよこすなんて。連れは何処だ」
「いないよ」イズルはさらりと答えた。
 男たちは口々に、ギルドは田舎相手だと俺たちを馬鹿にしている、と罵る。
 予想通りすぎる光景に、イズルは、この場に居ない弟のことを思った。
 生意気なことに弟の方が背が高く、どうも他人からは知的に見えるらしい。
 弟がいたらこんな無駄な時間をとられずに済むのだが、あいにく彼は今、 稀有な才能があるとかで、ギルド本部で魔法の修行中だ。
「坊主、いっちょ前にに剣なんぞ持っているみたいだがな。名前は?」
 剣なんぞ、と言うのはイズルの身体にはやや大きすぎるからだろう。 どうやら不相応の得物を選んだ素人のように思われているようだ。
 まいったなぁ、とイズルは頭を掻くと、
「イズル。姓は無い。依頼は虫に攫われた子供の救出、で良いんだよね? 村長サン」
 振り返り、人垣から少し影になった場所に立つ男に目を合わせて、言った。
 年は、二十四、五ぐらいだろう。村長と呼ぶには少し若い。 村長と呼ばれた男は、何故自分だとわかったのか、と驚いた顔をした。
 何てことはない、周囲を囲む男たちの視線が何度もイズルの背後に向けられていたし、  人よりほんの少しばかりいい耳は、周囲に指示する小さな声を聞き取っていた。
 イズルは苦笑すると、
「確かにギルドにご依頼したようで。それじゃあ、詳しい話をどうぞ。朝食にしながら、ね」
 まるで大人がするように、にやりと口の端を釣り上げた。


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 まだ熱い、蒸かし芋を口に運ぶ。塩をかけただけの素朴な味だ。
 薄く焼いたパンに、肉と豆を盛り付けて齧り付く。
 食事は、朝食と呼ぶには豪勢なものだった。
 イズルは指についたソースを舐めとる。
「最後に子供を目撃したのが一昨日の昼で、晩にはギルドに依頼したのか……随分早いな」
 イズルの正面に座る村長は、落ち着きなく視線が揺れて、しきりに汗を拭きながら答える。
「ええ、……その、この辺りには昔から言い伝えがあるんです。 青い卵が見つかると、子供が一人消える、そう言われて育ってきました」
「卵?」
「ええ、魔物の卵です。猟師の一人が見つけまして、それで急ぎ集会を開いたところ……」
「お願いです。うちの子を、テッタをどうか助けてやってください」
 最後の目撃者、誘拐された子供の母親が村長の言葉をさえぎってイズルの手を握り締めた。
「最初は家出かと思って……ああ、どうしてうちの子なの。いい子なんです、家のことも手伝ってくれて」
「おまえ……落ち着きなさい。こうして来てくれたんだ、大丈夫だよ」
 錯乱ぎみの母親を父親がイズルから引き離した。
「正直、ギルドがどうして君のような子供を選んだのかわからない、 が。他に頼める人間が居ないのだ。息子を……頼む」
 妻をなだめながらも、イズルに向かって父親は頭を下げる。
「ひとつ、聞かせてもらっていいかな」
 イズルは、夫婦に問いかけた。
「どうして、自分の子がさらわれたって思うんだ。ああ、生きてるって信じたい気持ちはわかるさ。 こう言ったら酷いように聞こえるかもしれないけど、まだ、遺体が見つかっていないだけってこともありうる」
「兆候があったんだ。もっと早く、気づいていれば……」
 父親の声には、苦渋がにじんでいた。
 母親は涙を前掛けぬぐうと、
「魔物に誘われる子供は自分から出て行ってしまうってっ、そんなのただの御伽噺だと思っていたのに。 あの子のリュックが無くて――家の中の物も少しずつ」
「本当に、ただの家出だって言うことは?」
「ありません! うちの子はまだ十歳なんですよ!  それに、お隣の子が最近、テッタが森にひとりに遊びに行くのを見たって」
 興奮して声が大きくなっていく妻を父親がなだめる。
 説明のできなくなった夫婦に代わって、村長が汗をふきながら説明をはじめた。
「今、この村では森に入るのを禁止してまして ……それに、広くて危険な森ですから、子供は行かないように、と」
 行くなと言われると、行きたくなってしまう者もいるということだ。
「卵から孵った魔物ってのは、どんな姿をしてるんだ?」
「私どもも実際に孵ったところを見たことがないので、 正確にそうとはお伝えできないのですが……卵の中身はおそらく、身の丈は熊ほどの虫だと」
「虫……ね。わかった、ならまずはその卵が見つかったって場所を案内してくれる?」
「あ、ああ、はいっ。それは、発見した猟師に案内させていただきますので」
 イズルに話しかけられて、村長の体が一瞬硬直する。
 村長はずっと冷や汗を掻いているのだと、イズルは気づいていた。
 魔物と同じくらい、人族が怖くて仕方ないのだろう。
 村長は、青い卵が見つかると子供が一人消える、と言われて育ってきたと話した。
 だったら、なぜもっと早くにギルドに助けを求めなかったのか。
 ハンターを呼ぶのにお金がかかるから、必ず助けてくれる保障がないから、人族が苦手だから。
 子供一人の命で済むことだから。
 大方、今回ギルドに依頼が届いたのは、この夫婦のがんばりがあったからだろう。
「大丈夫。必ず連れ帰るから、息子さん……テッタの好物を作って待っててよ」
 そう、イズルは約束した。


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 村の猟師に案内され、イズルは森に来ていた。
 緑の絨毯の中に青い卵の殻が散乱していた。
「あいつら、子供ばかり狙いやがって……」
 猟師の男は手にした槍の柄で地面を叩き、憎々しげに吐き捨てた。
 イズルは緩んだ服の喉元を直してから地面に屈みこんだ。
「ふぅん。……こいつが、虫の卵とはね」
 大きめの破片を一枚手にとる。 外側は青一色なのに、内側は角度によって虹のように色を変えた。 孵ったのはつい最近のようで、内側にはまだ薄い膜が残っていた。
「なぁ、ハンターってのはみんな子供ばかりなのか?  まさか、テッタの身代わりになって助けようってんじゃないだろうな」
 卵から孵った魔物は一体、消える子供も一人。
 イズルが交代したら数が合う、そう猟師は考えたのだろう。
 イズルは、両肩をあげて、
「たまたま俺が童顔なだけだよ。俺は魔物に飼われて暮らすなんて御免だね」
「飼う……だと?」
「蟻にだって、芋虫から甘い汁を貰う代わりに面倒をみる奴がいるだろ。 魔物が似たようなことを始めたっておかしくないさ」
「アリだってっ!?」
 猟師が急に大声を出すので、イズルはうるさそうに耳を押さえた。
「まぁ、例えだよ。魔物でもなんでもないただの虫でも、そういう知恵があるんだ。 逆に言うと、向こうもすぐにはテッタの命を奪おうとしない。 救出のチャンスは、まだいくらでもあるってこと。安心した?」
 言いながら、イズルは卵の周囲の草や土のくぼみ、枝をよくみた。
 卵は確かに大きいが、破片をみた限りでは、熊よりもずっと小さい。 せいぜい大型犬ぐらいの大きさだろう。卵の中身が村には向かっていないようだとわかると、イズルは立ち上がった。
 まだ猟師は苛立ったようにぶつぶつと呟いていた。
「まぁ、俺の方が魔物の目には美味しそうに映るだろうからね、会うのは難しくないと思うよ」
「どういう意味だ」
「魔物が子供を狙うのは、子供の方が大人よりも魔力が高いからだ。 連中が人間を襲うのはお腹を満たすためだけじゃない、魔力を吸収して強くなりたいのさ。 その点、俺も人族だからな。 連中、大人の人族は手ごわくても、子供は魔力の割によわっちい掘り出し物だと考えてる。 すぐによだれをこぼして集まってくるだろうよ」
「集まってくる……って……」
 猟師は、槍をしっかりと握って、辺りを見渡した。
「あはは、そうすぐにはやってこないさ。それに、今は昼、連中の力の源である月が出てない。 本当に強い魔物は出てこれないよ」
 そういって笑うイズルの胸元で小瓶が揺れた。
 案内人の男は、薄気味悪い表情でイズルをみる。
「お前は、魔物が怖くないのか?」
「怖かった……こともあるよ。でも今は、憎い、かな。 怯えていた頃の俺も、こんな世の中にした奴も、全部灰になってしまえばいい」
 言いながら、イズルは胸元の小瓶を握り締める。
 本気だった。
「な、なぁ、人族ってのは、ギルドに強制加入しなくちゃならないんだろ。 任期を終えるまで、止めることはできないって。 だからって……子供をハンターにしてるなんて知らなかった。なぁ、坊主、無理してるんじゃないのか」
 心配そうな猟師にイズルは、くくっと笑った。
「あんた、いい人だな。そりゃあ、見当違いだよ。童顔でね、俺はもう任期を終えてるんだ。 この仕事を続けてるのは俺の意思さ」
「終えてる――って、知ってるのか? ハンターが長く続かないのは、魔物と戦って命を落とすだけじゃない。 変な病気にかかるって聞いたぞ!」
「知ってるよ。ハンターは夜遊びが過ぎるから体を壊しやすいんだ。 でも、俺たち人族の方がその病気に強くてね。だからギルドも人族の加入を義務付けたんだ」
「魔物退治を夜遊びだって!? なぁ、坊主悪い子ことは言わない。そんな仕事さっさと――」
「さて、ここからは俺の仕事だ。あんたは魔物が出ないうちに村に戻りな。 それと、しばらく山には登らない方がいい。ここに来る途中で、俺も面白いものを見つけてね」
 イズルが作夜ひろった卵の殻を見せると、猟師の顔が青ざめた。
「こいつは山で見つけた。あんたの話じゃ、森に住むって話だが、想像以上に活動範囲が広い恐れがある。 他に虫が居るかもしれないから警戒するよう村長に伝えといてくれる?」
「わかった。坊主も、気をつけろよ」
 猟師はこの新しいニュースを急いで伝えようと、来た道を戻っていった。
「この村は、同じ村の人間も、よその子供も大事にしてるんだな。……最近、少ないよなぁ。こういうところ」


 猟師が十分に離れるのを待ってから、イズルは口を開いた。
「あんたもさ。人間なんだからいい加減引退したらどうだ。体壊すぞ」
 触れた小枝をへしおって、イズルは誰もいない森の中で、話しかけた。
「おや? 見破りましたか」
 木の上から返事がした。
 黒いケープを羽織った男が太い幹に腰掛けている。
 胸の銀の止め具に彫られている鴉の模様はギルドの監察官の証だ。 長い黒にも見える紫の髪を頭の後ろに束ねていた。
「いいや。まったく……本当に居やがるんだから嫌になるよなぁ」
 イズルは露骨に顔をしかめた。
 このクロスを名乗る監察官とは、ギルドに加入当初からの付き合いだったが、 今まで一度もその気配に気づいたことがない。そろそろ現れそうなタイミングだったから、言ってみただけだ。
 監察官は元ハンターだと聞いているが、クロスに限ってはハンターではなくて暗殺者だったんじゃないかと思えてくる。
 公式では、ギルドに暗殺者などという職は存在しない。
 けれど、今日まで人間がまだ辛うじて集落や国を保っているのは、 【吸血鬼連盟】に取り入って、魔物と手を組むことを提案する権力者を ギルドが事前に処分しているからではないかという噂がある。 おそらく真実だろうそんな権力者には、万が一、気が変わったときの脅しもこめて、 連盟から強力な魔物を護衛として贈られるという。 暗殺者は、魔物と権力者の両方を迅速に処理できるような規格外品だ。
「こんな森に居ると、思い出しませんか?」
「俺は、忘れた覚えはねえよ」
 イズルの声には、怒りがこめられていた。
 監察官は、イズルの胸元にある小瓶に視線を降ろし、呆れたように、
「でしょうね。そんなものを、まだ大切に持っているくらいだ」
「そんなものだと……」
 イズルは、小瓶を強く握り締めた。
 少年の殺気から逃げるように、鳥が一斉に飛び立った。
 魔物が出ても獣の多くがまだ生き残っているのは、この感の鋭さにあるのだろう。
「ほんと、見かけは可愛いままだというのに……今の貴方相手にからかうと、拳のひとつでは済まなそうだ」
 殺気には気づいているだろうに、監察官の態度は変わらない。
 イズルは、目を閉じ一度深呼吸する。
 今は時間が惜しかった。急がなければ、誘拐された子供の命がない。
「俺に用があるならさっさと言え。無いならうせろ」
「ギルド側から依頼の修正が入りました。子供は内密に殺しなさい、との事です。出来ますか?」
 イズルの頭に、息子を頼む、助けて欲しいと手を握った夫婦の姿がよぎる。
「……殺せ、ってことは、まだ生きてるってことだよな。どういう事だ」
「ギルドは、一度でも魔に通じた人間を信頼しない。 たとえ、それがまだ分別のつかない子供であったとしても……それは貴方がよくご存知でしょう?」
「子供でも殺すか。ああ、アンタならやるだろうなぁ」
 イズルが力まかせに近くの幹を掴むと、ミシッと音を立てた。
「ふざけんなっ! 俺の仕事は魔物を狩るハンターだ。人殺しじゃねぇ。割り込んだら、ぶん殴るじゃすまさねぇぞ!」
「ええ、私は邪魔しませんよ。これは、貴方の仕事ですから、心に留めておいて頂ければそれで。 そうそう、本部で熱心に修行している弟さん、貴方の事を心配してましたよ。 また無茶してるんじゃないかって。兄さん想いのいい弟さんだ」
「おい、セクトは関係ねぇだろっ」
「ちょっとした近況報告ですよ。離れて過ごしているうちに、貴方がご家族のことを忘れてしまったら 、ご家族が可哀想でしょう。弟の話を聞いて元気が出ましたか?  子供と誘拐犯は、ここから近い。子供の足には未開の森はきついのでしょう。西に行きなさい。 私は、貴方の手でこの依頼を成し遂げてくれることを期待しています」
 そうして現れた時と同じように、音も無くクロスは姿を消した。
「くそっ。あれで本当に三十過ぎかよ」
 そう言って、イズルは地面に唾を吐いた。
 クロスが最後に言い残した言葉が、不快感となって喉に絡む。
 本部にいる弟の命が惜しかったら子供を殺せと、そう言ったんだ。
 家族と、会ったことも無い子供、どちらが大事かと言えば決まってる。
 だからこそ、気分が悪かった。



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