4、跡
イズルは、木の焦げる匂いに眉をしかめた。
獣道をかき分けて、メーの後をついて行けばいくほど匂いが強くなった。
イズルは手元の剣の感触を確認した。
茂みの向こうに、夕日が見えた。
「はーい、到着ーっ! ここがメーのお家でーす」
メーが茂みを抜けて駆け出した。
小さな両手を目いっぱい広げて、石畳に踏み込む。
その足が数歩進んで、止まった。
夕日に染まる紅の大地は、焼けた木々と虫の死骸が散乱していた。
「ふー、僕、もう疲れちゃったよ……何、あれ」
「駄目だ。今は出るなっ!」
茂みから出ようとするテッタの肩を捕まえて、茂みの中へと頭を押し込んだ。
「そこでじっとしてろ」
言い含めると、イズルはメーの手をとりに駆け寄った。
横たわるのは、甲殻の虫がほとんどだったが、中にはメーのような人型の姿もあった。
虫の中身がまだある、焼け焦げ、槍が刺さった遺体は腐敗が始まっているのに、不思議と蝿がいなかった。
「な……に、これ……」
「戦いがあったんだ、それも最近に――――っと」
芋虫に刺さっている槍を、イズルは力任せに引き抜いた。
そして、槍の作りを眺めて、イズルの顔つきが険しくなる。
村の男たちが持っていたのと同じものだ。
その槍は刃の部分ばかりか、持ち手にも灰がこすり付けられ、柄から虫除けに使う薬草の匂いがした。
蝿がいないのは、こいつのせいだ。
「先にこいつで燻してから、逃げてきた奴を殺していったってわけだ」
小さな手がイズルの服を握った。
「ここ怖い。ここの匂い嫌い。変になりそう」
「テッタの所に戻ろう。歩けるか……?」
メーがうなづいた。まだ、目の前の惨状に実感がわいてないのか、泣いてはいなかった。
小さな背中がとぼとぼと歩いていくのを見送って、イズルは石畳を振り返った。
「なるほどね。いきなり包囲するから何かと思えば……はは、俺を人型の蟲と勘違いしたってわけか」
乾いた笑い声がイズルの口からこぼれる。
説明している間、仕切りに汗を拭いていた村長の顔が頭に浮かんだ。
彼が怯えていたのは人族じゃない、この事を知られて依頼料が跳ね上がることを心配していたのだ。
「そうかそうか、そうだよなぁ。
村長の言ってた通りだ、ここに転がってる奴らは熊ぐらいある。
何が、見たことはありません、だ。おかしいと思ったよ、あの卵じゃ大きさがあわないもんなぁっ!
こいつは完全に別料金だぜ。素人がっ、大人しい魔物の巣穴にちょっかい出しやがった!」
イズルの周囲で、カタカタ石畳の床が不自然に震え始める。
異常に気づいたのか、テッタとメーが茂みから顔を出した。
「そこで、隠れてろっ。テッタはメーに見せるなっ!――――いいかっ。そこの二人死なせたりしたらなぁ。てめぇをぶっ殺すぞ!」
イズルは二人に向けて怒鳴った。
後半は、近くでみているであろう監察官に向けた言葉だ。
足元で膨れ上がる殺気は、石畳をずらして姿を見せ始めていた。
巨大な甲殻虫次々と地上に這い出てくる。
それはどれも、熊のように大きな体を持ち、立派な三本の角を生やしていた。
「いいぜ。虫退治と行こうか」
イズルは口の端を舐めて不敵に笑うと、槍を捨てて腰の魔剣を抜いた。
そして、魔剣に念じた。
(俺にこいつらを滅するだけの力を貸せ)
刃の根元から切っ先へ、青い炎が螺旋を描いた。
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茜色の世界で、青い炎が踊る。
硬い甲羅が魔剣を弾いた。刃が通らないのでは、炎が届かない。
イズルは小さく舌打ちした。
三本の角を振り回し、次々に突進してくるのを、右に、左にと時には転がる死骸を盾にして逃げる。
幸いなことに地上に出てきた虫たちの動きは、徐々に鈍くなってくる。
まだ辺りに漂う殺虫剤の残り香が効いているのか、
それとも表に出てくるのはまだ空が明る過ぎるのか。その両方に思えた。
死骸や仲間にぶつかって転倒した虫に、狙いを定める。
起き上がろうと動かす足の関節をに向けて、剣を払った。
すぐに離脱する。あれだけ硬かった足が落ちた。
斬られた虫が、これまで以上に暴れだす。
飛散する緑の体液は石畳に落ちる前に蒸発し、硬い甲羅の隙間からは黒い煙が蒸気のように吹き出した。
イズルの口元が笑みを形作る。
虫に恐れる心も学習する心もないのか、ただ突進してくるだけの戦法を何度も繰り返した。
転倒を誘っては、足の一本を切り落とし、次の虫へと移る。
ひとつ、またひとつと重い音が地面を揺らした。
山に太陽がかかっているが、まだ日は落ちていない。
やがて、敵わないと知ったのか、残った虫たちが一斉に地下へと逃げ出した。
石畳に穴が元のように閉じる。
イズルの魔剣から炎が消え、目立たない地味な剣へと戻った。
「ま、装甲があったって、中が焼けちゃあな」
イズルは剣を鞘に収めると、茂みの方を向いた。
恐る恐るテッタが顔を出した。
「全部、やっつけたの?」
「いや、地下に巣があるなら降りないと無理だ。
あーと、メーは大丈夫か? ……悪い、俺のやり方だと手加減できないんだ」
イズルが申し訳なさそうに声をかける。
「す……すっごーいっ。何、今の凄いよ」
茂みから夕焼けに負けない赤い髪をした娘が、頭を出した。
瞳を輝かせテッタに抱きつきながらはしゃぐ。
イズルはあっけに取られた表情で、駆け寄ってくるメーを見下ろした。慌ててテッタもその後ろを付いてくる。
「凄い、凄い。それがイズルの力なのね」
メーは袖の余った両手を顔の脇で合わせた。興奮しているのか、頬が赤い。
「あ…ああ」
返事を聞くが早いか、メーはイズルに飛びついた。
「決めた。私、かあさまの所には帰らないで、イズルと一緒に行く。ねぇ、テッタもそうしようよ。ね」
テッタは灰の零れる虫の死骸に怯え、イズルの腰に手を寄せながら顔をあげた。
青い瞳は恐れと尊敬の感情が入り混じっている。
「メー、俺はお前の仲間を……悲しくないのか?」
二人の子供の反応は、あまりに違いすぎる。
「え、なんで? ね、イズルは旅してるんでしょ。私も連れてって。
テッタも、もう村には戻らないで一緒に行こう。
このまま三人で旅に出ようよ!」
メーがイズルの手をとって強く引っ張った。
急にそんなこと言われても……と、背中でテッタがつぶやくのが聞こえる。
「なぁ、メー……本当に……」
「変なイズル。ここに居るのは、皆かあさまの足よ。
足がほんの少し減ったって、かあさまは困らないわ。
それに、私は感謝してるの。この足たちは、私を強い人間に引き合わせてくれた!
彼らは足としての役割以上のことをしてくれた」
メーがその喜びを表現するほどに、イズルのメーを見る目が冷ややかなものに変わっていく。
メーは仲間が殺されたのをみて、喜んでいるのだ。
あれだけ仲間を殺せるのはすごいと賞賛しているのだ。
「……こいつらが足だっていうなら、メー。お前は何なんだ」
「私はメー=ラリスクよ。かあさまの手でも足でもない特別なの。
だから、かあさまの足がいくら無くなっても、悲しくないわ。だって、私の足じゃないもの。
でも、すぐにみんな私の足になってくれる。そうしたらイズルに沢山楽させてあげる」
すました顔で、メーは背伸びをしてイズルの腕を取った。
黒い二本の角を生やした、魔物の子供。
少し前までは笑いあい、パンを食べ、人の子供と変わりないように見えた。
けれど、メーは自分たちの倫理観で行動している。それは、人間も同じだと思い込んでいる。
他の魔物と同じだ。
所詮は、人の姿に擬態化しているだけの別の生き物だ。
果たしてこれは、野放しにして良いものか?
――――魔物なら、滅ぼしてしまおうか?
風に揺れる梢が小波のような音をたてる。
風が言うのだ。
自分の弟を危険にさらすだけの価値が、目の前の二人にありますか?
今なら全て、ここに居た魔物のせいにできますよ、と。
「兄ちゃん、どうしたの? また魔物?」
イズルを正気に戻したのは、あどけない声だった。
テッタが不安そうに見上げている。
知らないうちに握っていた小瓶から手を離して、先ほどの考えを振り払うように頭を振る。
「約束しただろう。テッタは村に返す。メーも仲間の所に帰れ」
そう言って、メーを引きはがした。
「――っ。だめよぉ。村に行っちゃやだぁ」
再び腕に捕まろうとするメーを、イズルが突き放す。
勢い余ってメーは地面に尻餅を着いた。
「虫退治の依頼は受けてない。だからお前は見逃してやる。
金輪際村に近寄らないように母親に言っておけ。でないとそのうちハンターに巣ごと潰されるぞ」
言いながら、テッタの胴に腕を回して抱え上げる。
「待ってよ。僕、嫌だよ。メーと一緒に」
「もう、わかっただろ。俺が居なかったらお前、さっきの虫に殺されてたんだぞ」
テッタは暴れるのを止めて、息を呑んだ。
「そんなことしないもん。どうしてそんなこと言うの!」
メーは首を振って、ほっぺたを膨らませた。
「大人になると、色々あるからな」
「兄ちゃん。……父ちゃんみたい」
テッタは、イズルの声に仕事が上手くいかないときの父親と同じような疲れを感じとった。
言ってから、テッタが寂しそうに目をふせた。
もう、二日も家族と会っていない。食べあきた手料理が今は懐かしい。
イズルは紅の空を見上げると、顔を曇らせた。
山頂にかかった日は、今にも見えなくなりそうだ。
「急ぐぞ。魔物の時間が来る」
テッタは頷いて、メーの方を見た。
「メー、ごめんね。僕……メーと一緒に行きたいって思ったけど、わからなくなっちゃった」
テッタは、首をあげて周囲の戦跡をみる。
「僕、自分の村がこんなことになったら悲しいよ。……メーは、どうして笑ってるの?」
メーは尻餅をついたまま、唖然とした顔で瞬きをする。
なぜ二人が急にこんなことをするのか、わからないのだ。
「追うなよ。次はもう見逃さないからな」
イズルは左腰に吊るしている魔剣をメーに見せ付ける。
会えばこいつを抜くという意味だ。
メーの瞳が横たわる虫のむくろ骸を見た。
硬い甲羅の一部は焼け焦げ、そして隙間から白い粉が零れ出している。
メーは青ざめて、小さく震えた。
この魔物は、自分の命の危機を感じ取ったときにだけ、涙を浮かべるのだ。
「じゃあな」
イズルは、テッタを抱えて走り出した。
「行っちゃだめよぉ。だめなの。だって――!!」
背後で、悲痛な叫びが聞こえる。
イズルは、その声を無視した。
./.
一人残されて、メーは泣きじゃくった。
「村に行っちゃあだめなの……。かあさまが言ったの、三人で旅にでるの」
イズルはメーの言葉を聞かずに、行ってしまった。
かさり、と木の葉の擦れ合う音がした。
二人が消えた茂みからだ。
「イズル! イズル! あのね――――」
メーは喜んで、涙でくしゃくしゃになた顔を上げた。
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