5、強き者

 日が沈み、徐々に薄暗くなって行くこの時間を、逢う魔が時と、人は呼ぶ。
 大きな災いの起こる前だと。
 来る際に邪魔な枝を折り払っておいた獣道を、イズルは急ぎ足で駆け抜けた。
「僕も走れるっ。降ろしてよ」
 揺れと時折手足に当たる枝の痛みに耐えかねて、テッタが声を上げた。
「ばかいえ。お前の足で歩いたら、夜がきちまう」
「夜なんか怖くないよ。昨日、野宿だってしたんだ」
「いいや。お前はまだ、本当の夜を知らんのさ」
 イズルは焦っていた。
 吸血鬼連盟からの客は、夜に動く。
 テッタから離れれば、少年を巻き込むことはないだろう。
 しかし、そうなると今度は連盟と無関係の魔物や野生の獣、 そして、今も何処かでこちらを窺っているであろう、監察官の存在が気がかりだった。
 あの監察官はときに、監察官としての分を超えた行いをする。
「くそっ、わざわざメーを送り届けるんじゃなかった」
 毒づく。今回は魔物に関わりすぎた。
 保護対象のテッタを発見したときに、すぐに村に帰れば良かったのだ。
 監察官が殺せと言った子供に、メーも含まれるかも知れないと思わなければ、とっくに村に着いていたものを。
「テッタ。戻ったら村から出るな、メーと会ったことも誰にも言うな。親にも、ただの家出にしておけ。 非公認だけどな、人類救済機構(ギルド)は魔と通じたことのある奴を嫌うぞ」
「え、どういう意味?」
「……」イズルは答えない。
 テッタは黙ると、自分の顔の脇で揺れる小瓶を眺めた。
 イズルが、恋人からのプレゼントだと言っていたものだ。
 斜めに揺れる白い砂の入った小瓶。よく見ると、砂とは違うみたいだった。
 ついさっき似たものを見た気がする。
 確か、それは――――虫の死骸から零れた灰だ。

 これは、死んで焼かれた、誰かの遺灰だ。

 テッタは小さく声をあげた。
「どうした。小枝でもひっかけたか?」
「う、ううん。兄ちゃん。そのお守り……」
 テッタはおそるおそる聞いた。
「そんなに見ても面白いものじゃねぇぞ。悪い、急ぐからお喋りは村についてからだ」
 そう言って、イズルは口を一文字につぐんだまま、答えない。
 だから、テッタもそれ以上聞けなかった



./.

 もう、どれだけ走っただろうか。
 空には星が瞬き、月が顔を見せていた。
 この道はこんなに続いていただろうか、とイズルがいぶかしんだ時、左右の茂みから獣が飛び出した。
「うわああ、兄ちゃん」テッタが悲鳴を上げる。
 咄嗟にイズルはテッタを両腕で抱えこむようにして、肩から右側の獣にタックルした。
 獣の牙とも爪ともつかない何かが右肩と喉を裂いた。
 同時に左腰の脇をもう一匹がかす掠める。
 ギャウン。イズルとまともにぶつかった獣が、近くの木に激突した。
 服がざっくりと裂け、イズルの咽喉元が空気にさらされる。
「ちぃっ、やられた」
 イズルの腰のベルトは左から攻めてきた獣に食いちぎられ、吊るしてあった剣ごと獣の口の中にあった。
 襲ってきたのは、赤い六つ目と刃の四肢を持つ魔物だった。
「まだ仲間がいたのか」
 昨夜にしかけた仲間が魔剣によって滅びたのを知って、真っ先に剣を狙ったのだろう。
 それも、イズルが子供をかばうと踏んだうえで。
「うぅ……っ、兄ちゃんっ」
 テッタはイズルの右肩から流れる血と、目の前の魔物に震えた。
 周囲の茂みの中にも赤い目が光っている。
 獣は魔剣を咥えたまま、流暢に人の言葉をつむいだ。
「ようやくだ。家畜でありながら、主を滅した人の子イズル。貴様の討たれる時が来た!」
 獣が口を開くたびに、生臭い匂いが辺りに漂い、地面に涎が滴り落ちる。
 テッタは異臭に耐え切れず、獣から顔を背けた。
「道理で出られないと思ったよ。お前らの仕業だな……惑わしの術を使う割に、急ぐなぁ。あんたら」
「無限に走らせたところで死ぬのか? 死なぬだろう。 魔の者はその程度では死なぬ。ましてや、主に逆らった貴様ならなぁ」
 茂みの中から、無数の赤い目がイズルをみていた。獣の声が唱和する。

    首の傷が物言うぞ。
    口惜しや、恨めしや。
    たかが人に討たれるとは。
    血袋ごときに討たれるとは。

 今や、月明かりの下にイズルの首が晒されていた。
 そこには、二つの穴が並んでいた。吸血鬼に噛まれた跡だ。
 穴の周りにどす黒い痣が広がっていた。
 どんなに自然治癒力が高まっても、どんな癒しの術をもってしてもこの傷が消えることはない。 そればかりか時間が経つに従って広がっている節があった。
「どうしたイズル。剣はここだぞ。取りにきてみろ。 それとも、噂の吸血鬼殺しは、剣無しでは戦えぬ腑抜けだったか」
 イズルは舌を打って、周囲の様子をうかがった。
 テッタを庇って、剣を奪い取れるか?
 無理だ。相手の数が多すぎる。
「まいったなぁ。監察官は――」
 そう口についてから、イズルは苦笑した。
 まったく、奴に頼ろうとするなんて馬鹿も良い所だ。
「兄ちゃん……」
 イズルは、不安げなテッタに微笑んでみせた。
 大丈夫だよ、と。
 それを見て、六つ目の獣は言った。
「我々も鬼じゃない。その小僧を見逃してほしかったら、その小瓶をこっちに寄越せ」
「……へぇ。誰にこいつのことを聞いた」
「寄越すか寄越さぬか、だ」
 テッタは、イズルと魔物を何度も見比べた。
 魔物はイズルの剣を奪い、さらには小瓶をも欲している。
 それだけの価値が、あの小瓶にあるのだ。
 テッタは、もう一度、イズルが小瓶の事を何と言っていたか思い出そうとした。
「そうだな……子供に手を出さないと、この土地の神様に誓って貰えるなら、こいつをやるよ」
「だ……」
 テッタは駄目だよと言おうとして声が出なかった。恐怖で咽喉が引きつっている。 代わりに青ざめた顔を横に振った。
 イズルはテッタを降ろすと地面に膝を着いた。
 首から紐を外し、テッタの小さい手に紐を握らせる。
 紐の先で揺れる小瓶は軽かった。
「いいか、テッタ。お前は全部終わるまで茂みに隠れていろ。 日が昇るまでじっとしてるんだ。魔物は神さんには弱い」
 そう言って、イズルは立ち上がった。
「ほらよ。さ、誓って貰おうか」
「いいだろう」
 茂みの中で獣の声が唱和する。

    風の女神よ、聞き届けよ。
    我は、そこの金髪の子供に。
    噛まず。斬らず。触れぬ。

    約束たがえるその時は。
    猛る風をふるえ。

 イズルは満足げに頷くと、
「テッタ。魔物の横を通り過ぎたら、その小瓶を捨てろ。 どうせそいつはあいつらが望むほどの物じゃない、お前も気にするな。 ……そら、行けよ。」
 そう言って、テッタの背中を押した。
 一歩、また一歩とテッタが離れるにつれて、獣たちはイズルへの包囲を狭めた。
 獣の脇を通るとき、テッタは目をつぶった。
 ほんの数歩が凄く長くて、通り過ぎてから振り返る。
 イズルの目は、もっと離れろと語っていた。
 一種即発の空気だと、子供にもわかる。
(僕を抱えていたから兄ちゃんは剣を取られたんだ。あの剣さえあれば)
 テッタは小瓶を握り締めたまま、魔物を見渡す。
 イズルを取り囲む獣の中に、剣を咥えているモノはいなかった。
 じゃあ、何処に、と疑問に思ったとき、テッタの背中に生暖かい息がかかった。
「おいっ。ガキには手を出すな!」
 イズルがテッタの頭の上に向けて、怒鳴る。
 テッタの足はがくがくと震え、腰が抜けたのか、地面に座り込んだ。
 座り込んだ拍子にみあげた顔から、自分の後ろがみえた。
 頭上では、腕の鎌を掲げる赤い六つ目の魔物が居た。
「くそっ」
 小さく悪態をついて、イズルは地面を蹴った。
 それを合図に、取り囲む獣が一斉に動く。
 びっしりと牙の並んだ口が正面から迫ってくるのを、僅かに身体をそらしてかわす。
 がちんと歯を噛み合わせる音が響いた。
 横合いから迫る四肢の刃を、側面から掌で打ち付けて軌跡をそらす。
 そうして、僅かに空いた隙間をすり抜けようと足首をひねって、利き足で地面を蹴った。
 その足に痛みが走って、斬られたのだと気付く。
 思うように踏み出せず、また、別の獣が前を塞いだ。

 イズルにできたのは、そこまでだった。

 テッタの頭上に掲げられた獣の前足が、振り下ろされる。
 ガラスの砕ける音がした。
 白い粉とガラスの破片がテッタの足に降り注ぐ。
 獣の前足は、足の間の地面に突き刺さっていた。
 テッタの膝から赤い筋が伝う。 ガラスで切れた痛みに気付いているのかいないのか、テッタは激しく呼吸を乱した。 緊張のあまり、息が上手く吸えないのだ。
 剣を咥えた獣は、げらげら笑った。
「どうした、約束どおり、触れていないぞ。もっとも、我は誓って無いからなぁ。 さて、どうしてくれようか」
「――っ。てめぇ」
 取り囲む獣の攻撃をさばきながら、イズルはテッタが無事であったという安堵と、それにまさ勝る怒りを覚えた。
 誓いを立てるときに、わざわざ唱和してみせたのは、言ったフリをするためだ。
 つまり、テッタの背後にいる魔物は、テッタを殺すことができる。
 獣は鼻をひくつかせて、散った白い粉を嗅いだ。
「おかしいはずよ。この剣は元々、我らの主の物。 いかに闇に近づいているとは言え、家畜であった人間に使えるものか。 ……なるほど、力の源とはよく言った。吸血鬼化した人の灰で剣を欺くとは、さか賢しい真似を」
「誓いを立てるフリをして、人質まで取るような奴に言われる筋合いはないね」
 イズルは吐き捨てるように言った。
「こんなものが無くては剣も抜けぬとは、人とはまこと真、家畜に相応しい生き物よ」
「こんなものだと……」
 その時、イズルの声から虚勢の色が消えた。
「てめぇは俺を謀った礼だ。灰も残さず焼きつくしてやる」
 吸血鬼殺しと謳われるハンターが焦る様を獣たちは笑い、いたぶった。
 ハンターは必死に抗うが、剣に近づくこともできず、腕に足に背中にと傷を増やした。
 いくら治癒が早くても追いつかなくなるほどに。
「ははっ、怒りに狂ったか。そんな様で何ができる」
 イズルの耳には、獣の声が酷く遠くに聞こえた。





./.

 星の光は目に届かず、道を照らしてくれない。
 金髪の子供が魔物の足の下で、泣いている。
 助けなくてはと思うのに体が重い。
 視界が暗くなる。
 体を伝う血が赤い。流れる血が熱い。

 前にこれだけ血を流したのは何時だろう。
 辺りは酷く静かで、自分の心臓の鼓動だけが耳に届いた。

 人を家畜呼ばわりした奴をこの手にかけた時か。
 どくん、どくんと、胸を打つ。

 それとも、彼女を失った時か。
 胸元に手をやっても、そこにはもう何もない。
 この手で、触れることは叶わない。

「何を勘違いしたのか知らないが。そいつに力なんてねぇよ。ただの、人の灰だからな」
 自分のつぶやきも、胸の鼓動にかき消されて自分では聞き取りづらい。
 頭から血が引いて、ただ鼓動だけが耳に響く。
 それでも、口にせずにはいられない。
「彼女を――吸血鬼と呼ぶな」
 歪んだ視界の中で、獣たちが声を上げて一斉に笑い出した。
 そんなものを後生大事に持ち歩くとは、人とはかくも愚かなものよ、と。
 そう言った気がした。
 心臓が弾けた。
 暗かった視界が、鮮明に映る。
 囲む獣の隙間から、剣がはっきりと見えた。
「いい加減、駄犬の唾を浴びてんじゃねぇぞ、オラっ。てめぇが俺についてきたんだろうが!」
 そう、怒鳴った時、空の手の中に重みが生まれた。
 獣たちが恐れ慄く気配がする。
 心が猛るのに反して、握る柄は冷たい。
「ああ、そうだ。この感じだ。不老不死の魔物も焼き殺した炎、その身で思い知れっ!」
 蒼い烈火が、周囲を照らした。
 テッタは恐れを忘れ、目の前の光景に見惚れた。
 光が尾を引いて、弧を描く。
 少年の褐色の肌も黒い髪も全てが、蒼く見えた。
 イズルは周囲には目もくれず真っ直ぐに、子供の上に立つ獣へと駆けた。
「瓶は砕いたのになぜだっ。なぜ剣が従っている」
 ただ、彼女の灰をこんなものだと言った、あの獣だけは許さないと。
「灰を使って剣をだましたと言ったな……。順序がちげぇんだよ。灰を手に入れたのは、こいつを手に入れた後だ」
 蒼い業火が獣を焼き尽くし、地面にくすぶ燻る火が消えるまで、イズルは炎を見据えた。
 イズルが立ち止まっている隙に、残った魔物は森の中へと逃げ出した。
 イズルは追わなかった。


./.

 イズルは、空を見上げて毒づいた。
「っち、とっとと逃げればいいものを」
 道を惑わしている魔物の結界は消えていなかった。
 まだ、結界の主が近くに居る。
 幾分炎の静まった剣を掲げて、イズルは言った。
「テッタは、そこから動くなよ」
 言われなくとも腰が抜けていて動けない。
 イズルは周囲を探った。
 そうして、茂みに何かいることに気が付いた。
「そこかっ!」
 青い炎を帯びた刀身が茂みを切り上げ焼き尽くす。
 開けた視界に向けて、刃を返す。
「きゃあ」
 聞き覚えのある高い声した。
 緑は瞬く間に燃え尽き、そこには、赤毛に黒い角を生やした子供が――。
「メー……?」
 安全な、仲間の下に置いてきたはずの子供が、なぜここにいる。
 勢いにのった剣は急には止まらない。
 そして。




 ――――なぁ。次は見逃さないって。
 ――――言ったよな?












 イズルは剣を振りぬいた姿勢のまま、荒い息をついた。
 頬を伝って落ちるのは、汗かそれとも血か。
「なぁ、メー。言ったよなぁ。次は見逃さないって、俺、言ったよなぁ」
 足元で、メーが泣いていた。
 剣から炎は消え、その刀身は木の幹に刺さっていた。
 変な角度にねじった手首が痛かった。
「うわぁぁん。だって、イズルもテッタも行っちゃうんだもん。 村に行っちゃいけないのに。だから、足止めすればいいって」
「……どうして、村に行っちゃいけないんだ?」
 思いのほか優しい声が出た。
「だって、だって――――」
 泣きながらメーは答える。
 ずっと、黙っていたことだ。
「だって、村は今夜にも虫が襲うのよ。だから、かあさまは私を生んだの。 戦いが始まるからって。でも、私、イズルもテッタも死んで欲しくない!」
 巣を襲われ、大勢の仲間を殺されて、大人しかった虫の女王はとうとう牙をむいた。
 後に沢山の卵を残して、報復に向かう。
「……そうか。巣にいた奴らが弱かったのは…… 一種類しか出てこなかったのも、すぐに逃げたのも、 お前と同じで生まれたばかりだったから……か」
 メーは泣いていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。 こんなことになるなんて思わなくて、あいつ足止めだけだって言ってたのに。 ……何て声をかけたらいいかわからなくて、怖くて、出れなくて。 イズル、嫌わないで。ごめんなさい、ごめんなさい……ごめん」
 子供だ。
 他の魔物にだまされて、母親から受けついだ常識だけで考えてる。
 ただの、弱い子供がそこにいた。
「兄ちゃん! 村がっ!」
 テッタの叫びに顔をあげる。
 夜だというのに、村の方向の空が赤かった。炎だ。
 黒い煙が巻きあがり、見たことのない虫が飛び回っている。
「なぁ、メー。俺は正直、お前の言う手だの足だのはどうでもよくて 、俺たちが大事ってのがよくわからねぇ。 でも、自分本位なのは同じだよな。俺は人間を襲う魔物が許せない。 先に手を出したのが人間だとしても、あそこに居るのがお前の母親だとしても、 俺は……」
 イズルは自分の両腕を握った。
 先ほどひねった手首も、もう治っていた。
 体についた裂傷も同じだ。もう血は止まっている。
 少しだるいが、これからもう一仕事するのに支障はなさそうだった。
「人間だったら、血を流しすぎて、とっくに死んでるな」
 イズルは苦笑いを浮かべて言った。
 ハンター業を長く続けていると、病気になるという。
 個人差はあれど、ハンターを続ける限り、いつか必ずかかる病だ。
 狂った月の下、魔物の時間に出歩きすぎたせいか。
 それとも、死んだ魔物の怨嗟が体を蝕むのか。
 ハンターはいつかしか、日の下を出歩けなくなり。
 そうして、魔物になる。
 この事は一般には公表されていない。一部のハンターだけが知る事実だ。
「……俺はまだ人だよ。なぁ?」
 誰に問うでもなく、イズルはつぶやいた。




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