6、楽園の欠片

 暗闇の中、滝の音が鳴り響く。
 湿気と冷たい岩肌の中で、女子供はしっかりと抱き合った。
 流れる水の向こうで、奇怪なシルエットが次々と浮かぶ。水を飲みに集まってきた虫たちだ。
 滝が人の体臭と体温を隠し虫から守ってくれていたが、この洞窟は行き止まりだった。逃げ道はどこにもない。 いつ、ここに気付かれるともしれない恐怖の中で、ただじっと堪えていた。
 ザバッ。
 水を裂いて、一匹の虫が洞穴に入り込んだ。
 人々が驚く以上に、偶然迷い込んだ虫も驚いた。
 こんなところに沢山の人間がいるとは。
 パシャ。
 ついで、滝を越える音がもうひとつ。
「うわっぷ。冷てっ」少年の声がした。
 暗かった洞穴を青い炎が照らし出した。
 黒い髪を水が滴り落ちる。長い耳や褐色の肌を伝って、剣に零れた水はじゅっと音をたてて蒸発した。
 少年が剣を構える動きに、炎が尾を引く。
 虫に向けて少年は不敵な笑みを浮かべた。
「残念、ちょっとばかし、見つけるのが遅かったな」
 がむしゃらに突進した虫は、剣が触れるや否や火だるまになり、見る間に燃えつきる。
 それこそ灰の一欠けも残さずに。
「ふぅ……。テッタ、もう入って来ていいぞ」
 少年は剣を鞘に収めて、滝の向こう側に声をかけた。
 その名前に洞穴の奥で一人の女が反応した。
 バシャン。
「ぷはっ。うわ…ねぇ、兄ちゃんどこ」
 水を含んだ靴が歩くたびに、変な音を立てる。
 暗闇の中で、女は息子の名前を呼んだ。
「ママ……?」テッタが答えると、女は真っ直ぐに子供の元に駆け寄った。
「ああ、もう。正面からじゃなくて、横から入れば濡れやしないのに、この子はっ」
「う…ママぁ」
 母親が泣くのにつられて、テッタも涙ぐむ。
 そんな二人に、少年は微笑んだ。
「外の虫は粗方倒して、今は家の中に入り込んだ奴を駆除しているところだ。全部片付いたら迎えに来る」
 そう言うと、少年は洞穴の避難所に背を向け、出入り口の縁に手をかける。
「あ、あんたも戻ってきたばかりじゃないかっ」
 テッタの母が顔を上げて、呼び止める。
 あの青い炎の中で一瞬だけ見えた少年の姿は、あちらこちらに傷跡も作り、服もぼろぼろだった。
「サービスだよ。依頼人が居なくなったら、報酬が貰えないだろ?」
 そう、少年は事も無げに答えた。


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 黒いケープを羽織った男が、慣れた様子で村の男たちに指示し、罠にかかった虫に止めを刺していった。
「いよっ。滝の方は片付いたぜ」
 イズルは声をかけた。
 残った虫は、松明と槍に追い立てられ、村の外へと逃げ出す。
 もう、村の男だけで手は足りそうだ。
 イズルは脇に立つ監察官を見上げた。
「珍しいな。あんたが表だって動くなんてさ。これ、依頼外のことだろ?」
「私は村の防衛に忙しくて、一時的に貴方の動向を見失った。 だから、その間に貴方がしていたことは知らない。それで、いいじゃないですか」
 クロスは苦笑いを浮かべて答えた。
 そうして、視線を落として、イズルの首に小瓶が無い事に気がついた。
「ああ、割っちまった」
 イズルの顔が陰った。
 こんな時、少年は年相応の顔を見せる。
 クロスは他に誰も聞いてないのを確認して、言った。
「なぜ私に剣を向けない。私が彼女を滅したのに」
 沈黙の中、村の男たちの声が水音に負けじと、渓谷に響く。
 長いためらい。
 そして、イズルはうつむいたまま、口を開いた。
「“弟に会えて嬉しかった”」
 クロスの服の喉元を乱暴に掴んだ。
「彼女の灰が、お前にそう言ってたからだよ。俺は許しちゃいねぇ!  ただあれを見ていると彼女が言うんだ。 弟が立派に育ってくれて嬉しいって……自分は大人にはなれなかったから、って……」
 熱い物がイズルの頬を伝う。
「そうでなけりゃ……誰がっ」
「そう、ですか」
 クロスは短くつげると、捕まれているケープをはずした。
 イズルの手の中に黒いケープだけが残る。
 クロスはイズルに背を向けた。
 虫が片付いたのか、村の男たちが歓声をあげて手をふり、傾斜を昇ってくる。
「人に見られる前に羽織っておきなさい。貴方の怪我は目立ちすぎる」
 はっとイズルは自分の首に手をやった。
 何年も前にできた傷跡は、普通の人からすれば化け物の証に見えることがある。 ただ吸われただけの人間と、化け物の仲間になったのかどうかは、素人には区別がつかないのだ。
「気をつけなさい。貴方は人なのだから」
 そう言って、クロスは去って行く。
 その背中が僅かに震え、嗚咽が聞こえたのは、きっと気のせいだ。




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