春の初めに雪が降る。

 その年は異常気象だった。
 ライカーンの町並みの角が取れ、冷たい丸みをおびていく。
 通りを吹き抜ける風が、窓をカタカタと鳴らした。

 子供の足跡が、街を横切っていた。
 吹雪と共に。

 イサンテは、白い息をこぼしながら、彷徨っていた。
 長い耳を少しでも寒さから庇おうと、服の襟を立てる。
 やっと風をしのげる場所にたどり着いた時、既に手足は痛いを通り越して、何も感じなかった。

 イサンテはそのまま雪の上に腰をおろした。
「……寒ぃ」
 両肩をこすって少しでも暖をとろうとするが、空からの白い贈り物に折角の暖も奪われてしまう。
(こんなときどうしたっけ?)
 壁にもたれながら、ぼんやりと考えた。
 次第に彼は雪の冷たさを忘れ、空を見上げた。
 黒い空は、いつまでも雪を降らせていた。
(そうだ。イトラに旨い物を食べさせないと。薬でもいい)
 イサンテは家に残した妹のことを思いだし、立ち上がった。
(おかしい。どうして街はこんなに静かなんだろう)
 服にかかった雪を払い落とす。
 イトラの所に戻らなければ、とすぐに思った。
(吹雪で感が狂ったかな? 随分遠出をしてしまったみたいだ)
 来た道を辿ろうと振り返る。
 すでに足跡にはうっすらと雪が積もり始めていた。

 それでもイサンテは、家を目指して歩き出していた。

番外 ライカーン事件1(製作:2003.winter)




 ライカーンの外れを軽トラックが走っていた。
 街とは逆方向に、農村地帯へと向かっていた。
 三日前の大雪は、土へと溶け込んで、今では道の端で茶色の泥まみれの塊を目にするかどうか。
 トラックの中、老父は上機嫌だった。
 遠くの街に住む孫が、一昨日、一人で遊びに来たのだ。
 隣の空いた座席には、沢山の食料と洋服が座っていた。
 孫のために今日用意したものだった。

「ありがとう、おじいさん」
 イサンテは、老父から服を受け取ると、早速着替えることにした。
 靴も用意されていたので、ボロから履き替える。
 老父はイサンテが新しい服を着たのを見届けると、満足そうに笑った。
 そして、美味しいご飯を作ってやると言って、台所へと姿を消した。

 イサンテは部屋を見渡した。
 一人暮らしの家だった。
 家には妙なものがたくさんあった。
 音の出る箱、絵が動く箱、ランプより明るい部屋、甘い食べ物・・・。
 ここが魔界――――魔物や魔法が日常の世界――――では無いと言うこと。
 イサンテと同じ長い耳は、誰も持っていないということ。
 そして、この世界が豊かであることをイサンテは知った。
(早くイトラをここに連れて来てやりたいな)
 イサンテはうっとりと、この豊かな国で妹と暮らす事を思った。
(次は、孫娘が来たと思わせれば良い。ちょろいもんだ)
 台所の方から、肉の焼ける香りがしてきた。

 イサンテは、自分が何らかの魔法に巻き込まれて、この地に来てしまったのだと考えた。
 きっと、何か痕跡が残ってるはず。
 調べて、必ず妹の待つ家に帰ろうと、イサンテは決意した。


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 更に一週間が過ぎた。
 イサンテは部屋で、老父が用意した本を読んでいた。
 初めは初等学校の教科書を、次に中等、高等と恐ろしい早さで読み薦めていた。
 特に生物について、熱心に学んでいた。
 当初はこの世界の常識を学ぶためだったのだが、それ以上の物を求めていた。
 窓から春の風が流れ込んでくる。
(この本が読み終わったら、また外を調べに行こう)
 と、イサンテが決めた時、銃声が聞こえた。
 耳をピンッと跳ね上げて、窓の外に目を向けた。

 トラックの側には老父が横向きに倒れていた。
 近くにはライフルが落ちている。
 イサンテは唾を飲んだ。
 下の階からガラスの割れる音が聞こえた。
(泥棒? それとも熊が山から降りてきたとか?)
 仮に前者であれば、二階に上がってくるのも時間の問題だ。
 イサンテは大きく深呼吸をすると、腹を決めた。
 カーテンレールをへし折ると、それを武器代わりに階段を下りていった。

 そいつは台所にいた。
 一抱えはあろう頭を冷蔵庫につっこみ、むしゃむしゃと食べていた。
 緑色の蒼くぬめる鱗の生えた尻尾をうねらせる。
 一見蜥蜴、しかしテーブルよりも大きい。
 イサンテは、この世界に来たのが自分だけでないことを知った。
(略奪しか頭にない連中が、ここを見つけたか)
 妹のための楽園を汚されたと、イサンテは憤慨した。
 幸い、蜥蜴は食べ物に目を奪われ、イサンテに気づいていない。
 イサンテの深紅の瞳が妖しく光ると、淡々と語り始めた。
「貴様は空腹だ。どんなに食べても満足しない」
 貴様と呼ばれ、蜥蜴が頭を持ち上げた。
「可哀想に、困ったねぇ」
 蜥蜴が素早い動きで、イサンテの方に体の向きを変えた。
 イサンテは、妖しく微笑むだけで、ただ立っていた。
 蜥蜴はイサンテが敵だと認知し、飛びかかろうとした。
「ああ、困った。キミにはもう体を動かす力も出せない」
 急に蜥蜴の体から力が抜け、床に倒れる。
 イサンテは蜥蜴のわきに屈むと、ささやいた。
「早く食べないと死んでしまうよ。ほら、目の前に食べ物があるじゃないか」
 言いながら、蜥蜴の手を指さす。
 蜥蜴は力を振り絞って、腕を口にもってくと、勢い良く顎を閉じた。
 青い血がイサンテの顔にかかった。
 イサンテは瞳を細めた。
 それは血に酔った獣の瞳。
「く・・くくく、あはははっ。旨いか? 旨いんだろ? ならもっと食いなっ!」
 肉を切り裂き、骨を砕く粗食音と共に、蜥蜴は青い血にまみれていった。
 イサンテは顔に付いた血を手の甲で拭うと、蜥蜴を置いて、家の外に出た。
 老父を仰向けに転がす。
 口から血を吐きだし、えぐれた腹からは絶えず赤黒い血が流れていく。
「キミは、もう痛くない。ゆっくりと寝るがいい」
 そうイサンテがささやくと、老父は瞳をゆっくりと閉じ、二度と目を開ける事はなかった。
「ちぇ。弱いなぁ、人間ってさ」
 イサンテは老父の家に戻って、金や身分証の類を鞄に詰め込んだ。
 途中台所の前には、大きな蜥蜴の頭が転がって、まだ物足りなさげに口をパクパクと開いていた。
(他の連中も来ているなら、騒ぎを大きくしよう。そうすれば、ここの人間が調査を始めるだろう。僕一人じゃ、限界があるからね)
 イサンテは家に火を放つと、トラックに乗り込んだ。


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 ライカーンの新聞に、熊に襲われた農夫の話が載った。
 農夫は殺され、家は火災により燃えてしまったと報道された。
 身よりのない哀れな農夫を、街の人たちは悲しんだ。

 誰も彼の十日間だけの孫の事は知らなかった。

 

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