――第一号は成功だった。


 青空の中、雲が流れていた。
 遠くにドームと海とを隔てるミルク色の外殻が、雲に溶け込んでいた。
 海風が白いカーテンを揺らし、窓辺に立つ青年の金色の髪を舞い上げた。
 あおられた髪の下にあるはずの耳はなく、痛々しい傷跡と小型の補聴器が耳に収まっていた。

 真紅の瞳が、窓辺に生けた花を満足げに見つめる。
 ドームの外に出た時に、一目惚れして持ち帰った花だった。
 実験用のビーカーを花瓶代わりにして、紫色の小さい花が集まって一輪の大きな花を咲かせていた。
 離れて見ても、近くで見ても可愛らしく綺麗な花だった。
 青年が今まで住んでいた場所では、こんな花など見たことも無かった。
 名前だって、他の職員に聞いて教えてもらったぐらいだ。 
 振り返り、部屋の中に目を戻す。
 白い部屋の真新しいシーツをひいたベッドには、幼い少女が眠っていた。
 青年は窓辺から離れると、ベッド脇のパイプ椅子に白衣が床に着くのも構わず腰を降した。
 そっと少女の顔にかかる紫色の髪をどけた。
 "この世界で生まれてから"一度も散髪していない髪は、少女の小柄な体の足にかかるほど長かった。
 髪の隙間から人のそれとは違う、うさぎの様な長い耳が見えていた。
 窓辺の花と同じ色の髪も長い耳も、人に言わせれば奇形と取られることが青年には当たり前のことだった。
 椅子に座ったもののそわそわとしてしまい気が落ち着かない。
「起きたら、髪を切らなきゃね」
 そう呟きながら笑みをこぼした。

 もうすぐ彼女が目覚めるから。
 目を開けて、早くあの澄んだ音を聞かせて欲しい。
 早く君の名を呼びたい、僕の名を呼んで欲しい。

 最初に彼女に何て声をかけようか、笑みを堪えきれずに考えていると補聴器が雑音を捕えた。
 この部屋の近くを通るなと告げておいたのに、二人の職員が歩いている。
 音から大体の距離を測った。
 丁度、通路に出て右、隣の区画との境辺りに居るだろうか。
 青年は音の聞こえた方向の白い壁をひと睨みした。
 重い音が二つしたのを最後に、白い部屋にはまた元の静寂が戻る。
 視線を戻したのと、少女の瞳が開くのは丁度同じくらいだった。
 青年は身を乗り出して、少女の名前を呼んだ。
 少女の瞳は、窓辺の花の色よりも僅かに青い。
 少女が身体を起こすのに手を貸すと、窓辺の花を指差した。
「イトラ。見てごらん。綺麗な花だろ?」
 うながされるままに少女は窓辺の花を見ると、
「まぁ、紫陽花の花ね」
 小鳥の様に愛らしい声で、花の名を口にした。


 ――しかし、第一号が二言目を発することは無かった。


 青年は怒りを露にすると、すっと少女の身体を横断するように指を動かした。
 指の軌跡をなぞる様に空間が裂けた。
 少女は怯える暇は無かった。
 躊躇いもせずにその手を振り抜く。
 大きく振られた腕にぶつかって、窓辺の花が落ちた。

 ガシャンッ。

 青年はガラスの割れる音に我に返って、
「ああ……死んだら、イトラのフリをした罰を与えれないじゃないか」
 心底残念そうに告げた。
 白衣の襟元を正しながら立ち上がると、床には紫陽花の花弁が散っていた。
 花は砕けても美しいね、と呟くと部屋を出た。
 血の跡の着いた白衣、そのポケットに手を入れて、青年はまた無邪気に笑った。
「次はどの花にしようか。本当は世界中の花を集めたいのだけどね」
 想いはせる青年の足取りは軽く、通路の血溜まりを軽やかに避けた。

 

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