シアターから出ると、トティヤは大きく伸びをした。
 一世紀以上前に撮られた映画は、もう充分すぎるほど見飽きていた。
 気持ちの良い天気だった。
 白く整然と並んだ街並みの先には、白い壁が今日もドームを守っていた。
 潮の香りがする。
 昼の間は外の毒素が静まる傾向があるので、この時間帯は外の空気を取り入れていた。
「この天気なら上まで見えるかな?」
 顔を上げて、背後にそびえ立つ塔を見上げた。
 そこには、ドームの外殻と同じ白い円形のビル、巨塔が天に伸びていた。
 急激な気候の変化を予測した昔の人たちは、街ひとつ分をゆうに超えたシェルターを作り上げた。
 ここはその一つドーム・セラフィム(一般に海上都市セラフィムと呼ばれる)。
 このドームが最初の住居者を迎えたのは五十年前、トティヤの生まれる三十年も前の話だ。
 セラフィムの中央に位置するあのビルにはドームの制御施設以外に他のドームとの連絡や外界の観測、最先端の研究施設などが揃っていた。
 このドームではあのビルが全ての基準、正確に規則正しく働くことから、いつしか時計塔と称されるようになった。
「――ん…? おいおい、危なくないか」
 時計塔の最上部辺りの窓辺に人が座ってる気がして、トティヤは目を凝らした。
 髪の長い女、に見えるが空の青さに溶け込んではっきりとはわからない。
 トティヤの頭に、塔の職員ノイローゼにより飛び降り――といった言葉がよぎった。
 しかし、トティヤの心配をよそに女はしばらくして室内へと戻った。
「あんな高い所で怖くないのかね」
 俺には出来ないなぁとぼんやり考える。

第一話 時計塔(前編)

「トーヤっ!! 何ですか、その髪はっ」
 通りの向こうから名前を呼ばれて、トティヤは気まずそうな顔をした。
 走ってくるのは、茶色い髪を頭の後ろでゆわいた少女だった。
 俺をトーヤと呼ぶのは、もう一人しかいない。
「や、早かったな」
 そう言いながら、メルルに笑いかける。
「もぅ。勝手に居なくならないで下さいよ。……トーヤ、何ですかその髪は」
 メルルは怒った顔をして、トティヤを見上げた。
「ん? 似合わないかな?」
 言いながら自分の髪を一房つまむ。
 短いので俺からは良く見えないが、それは鮮やかな緑色をしているはずだった。
「そんな色に染めると、依頼人への印象が悪くなります…と言っても、遅いですね」
 メルルは溜め息をついて、それ以上の言及をあきらめた。
 その感情表現な動作に、我ながら感心する。
 見た目は人間そのものだが、メルルは機械人形、ドールだ。
 ただこいつは旧式なので、露出している部分には人工皮膚でカバーしてあるが、服に隠れる部分はのっぺりした金属のままだった。
 慣れない頃は、整備の度にぎょっとしたものだった。
「トーヤ。代わりに私から改良の要求があります。塔のシステムとの接続機器を導入して下さい。そうすれば、わざわざ歩いて探す事もなく速やかに連絡が……」
「いいんだよ」
 言いながらトティヤはメルルの頭をくしゃりと撫でた。
「メルルは内蔵していない方が、さ。必要なら、今度俺とお揃いの買ってやるから」
「その言葉、もう二十三回聞きました」
 メルルが不服そうに言う。
 そーだったかなー、としらばっくれながら俺は歩き出した。
 メルルはそーですよっ、とすぐ後ろをついて歩いた。


 向かうのは自分の工房兼自宅。
 近所への騒音対策を考慮した結果ドームの中でも、外れの方に位置する。この辺りには同業者の工房が多い。
 ドール制作では右に出るものがいなかった祖父が亡くなった後、俺はその後を引き継いだ。
 もっともドールの開発も今では下火になり、俺は自ら開発に乗り出すことは無く、もっぱら改造や修理を手がけている。
 ただ店の主が連れているドール、メルルが旧式だと知ると、すぐに帰ってしまう客も多いが。
 ……まぁ、店の維持と俺が食べていくぐらい稼げれば、それでいい。
 それなのに、こいつと来たら――。
「トーヤ。私を交換すれば、店の売り上げが…」
「いいんだよ。儲けたいわけじゃない」
 プレートに手を置いて、クローズになっている表示をオープンに入れ替える。
 今日は昼過ぎからの開店になった。
 もう、来る客など大体決まっている。
 うちの固定収入は定期点検での診断料ぐらい。
 トティヤはオイルや鉄の匂いの染みついたつなぎの作業着に着替えると、閑散としたガレージで、昨日引き取ったロボットの整備を始めた。
 その間メルルは店先を掃いたり、来客者があればお茶を煎れたりする。
 日暮れとともに店は閉店。残業はしない。
 メルルが食事を作っている間、他のドームの技術者と塔経由で通信したり、友人の家に押しかけたりして過ごす。
 そんな毎日を、今日も送るはずだった。


 日暮れの前に一体のドールの部品交換が完了した。
「よーし、こいつで終了。お疲れさん」
 言いながらパネルを閉め、電源を入れる。
 試運転をして、問題がなければ依頼主に連絡を入れる。
 ドールは首を振り、立ち上がると新しくなった膝間接の具合を確かめるようにその場で足踏みをした。
「良好だな。あまり無理な運用するなよ。うまくやればお前らは人より長く生きるんだからな」
 タオルで汚れた手を拭くと、メルルにコーヒーと店を閉めるよう声をかけた。
 背後で大きな物音がした。
 トティヤは、ドールが転んだのかと思って振り返った。
 振り返るその脇を小さな黒い影が通過した。
 影は壁にぶつかり、金属音が響いた。
 そして、目の前で工具箱をドールが投げるところだった。
 スパナをドールが全力で投げたら、こんな音がするのだとトティヤは知った。
「つ!!?」
 とっさにその場で屈む、無意識のうちに頭をかばうように腕をあげていた。
 さっきまで俺の頭があった場所に工具箱がぶちまけられ、降ってくる。
 床に工具やパーツが散乱した。
 合板の壁が凹んでいた。もし自分に当たっていたらと思うと、ぞっとする。
 ドールは外したと知ると、次は自分の寝ていた寝台を土台から引き剥がした。
 無理な負荷を受けてその両肩は気味の悪い音を立てる。
「止めろっ。R−33…」
 機体名を呼びながら制止に入ろうと、近寄った。
 だが名前を言い終わらないうちに衝撃が胸を強く打った。
 肺が押されて息が詰まるだけでなく、俺の足では勢いを押さえきれず、壁に打ち付けられた。
 丁度壁と寝台に挟まれる形で、骨が軋む。
「くっそっ、もっと柔らかいヤツにしとくんだった」
 毒づきながら、寝台をマットにしておいて良かったと思った。
 だが、すぐに押しのけれるほど軽くも無い。
 周囲に投げる物が無くなったドールは、腕を振り上げこちらに駆けてくる。
 安定感のある走りだった。
「何だ……足はしっかり治ったじゃんかよ」
 マットに挟まれ身動きが取れない状態で、どこか安心した風に呟いた。
 ドールが俺の顔へと腕を振り下ろすのを、見据えた。
(ドールの拳も中は鉄製、殴られたらただじゃすまないな)
 その腕が振り下ろされるのを、横合いから伸びた別の腕が止めた。
「トーヤに、何をするっ!!」
 ようやくガレージの異常に気づいて、メルルが駆けつけてきたらしい。
 メルルの左腕は、ドールの腕を掴んだままラリアットをかました。
 たまらずドールバランスを崩し後ろに倒れ込むと、その胴を右足で強く踏みつけ、逆に掴んだ腕を勢いよく引っ張り上げた。
 寝台を引き剥がしたときに悲鳴を上げていたドールの腕は、今度こそ千切れた。
「メルルっ!! 止まれっ」
 トティヤはマットに挟まれたまま怒鳴った。
 メルルが足をどけると、そこには胸部を踏み壊されてショートしているドールの姿があった。
「トーヤっ。怪我は!?」
 メルルは手に残った腕を放り投げると、俺にのしかかるマットを持ち上げた。
「平気だ。それより、こんな馬鹿のことを仕掛けた奴を締め上げてやる」
 ロボットは家電製品と同じ、人間の意志が加わらない限り、こうまで人間に直接的な危害を加えるはずがない。
 ただでさえ閑散としていたガレージに、凄惨な破壊の後までおまけがついていた。
 メルルはマットを壁に立てかけると、適当な箱に散らばった工具を拾い集めている。
「こいつは、しばらく使えないなぁ……メルル。R−332の持ち主に連絡。出たら俺が代わる」
 ガレージの外からシャッターに手をかけながら、メルルに言った。


 シャッターに手をかけたついでに空を見上げた。
 日は沈んだばかりで、外はまだ明るかった。もうそろそろ街路の照明が付く頃だろう。
 すでに空気取り入れ口は封鎖され、ドーム内には清浄な空気が充満して――いない。
 まだ潮の香りがする。
 トティヤは眉をよせた。
 今日はそんなに空気が澄んでいるのだろうか。
 何だか良くないことが起きているような胸騒ぎがした。
「トティヤ。無事かっ」
 そう思っていると、自転車を漕ぎながらトティヤと同じように作業着オイルの後を染みつかせた中年の男がガレージの前に止まった。
 近所の同業者だ。急ぎの仕事が入ると、お互い相手のアシストに回ることがある。
 先ほどの騒ぎを聞きつけて来たのだろうか。
「やっぱりお前の所もか……こいつは、ひどいな」
 ガレージの中を覗いて、彼はうなった。見れば彼自身も顔に痣ができている。
「"も"?」
 思わず聞き返した。
「ああ、ここいらだけじゃない。街の方でもかなりの騒ぎになっている。時計塔がイカれたってな」
「じゃあっ――」
 慌ててトティヤが声をあげた。
 そう言えば、あのR−332は塔システムを登載していた。
 しかし、続く言葉が思い浮かばない。
 時計塔がイカれることなど、ありえないと頭の何処かで思った。
「無事な連中と組んでこれから塔に向かう。お前も来い」
 頷いて、トティヤはメルルに声をかけた。
 一瞬、男がぴくっと反応したことにトティヤは気付いた。
 彼はメルルがドールだと知っているのだ。
「大丈夫。メルルには塔システムは載せていません。うちで暴走するようなのは、もう壊れたので」
「あ、ああ…そうだったな」
 男は表情をゆるめたが、また気を引き締めた。
 それはトティヤも同じだった。
 塔システムを載せていないメルルが平気だとなると、余計に塔の異常に信憑性が出てくる。
 塔システムから切り離して、個々の機械を扱うことはできる。
 それだけの技術も知識もまだ残っていた。
 だが、俺のようなドーム育ちにとって、塔の無い生活は考えられない。
 俺はメルルを自転車の後ろに乗せて、漕ぎだした。
 見かけこそ若い少女だが、中身は金属の塊で、相当重い。
「トーヤ。私が前の方が……」
「これでいーの。男が後ろに乗ってたら、様にならないでしょ。あー、私は人間じゃないのでその想定には当てはまらないとか言うなよ。俺の気分の問題なんだから」
 若いもんは元気がいいなぁ、と誰かが言った。

 

第一話 時計塔(後編)へ

[戻る]