少年は流れ落ちる汗にかまわず、自転車をこぐ。
 土の歩道の左右に茂る草は緑、強い陽射しが照りつける中、できるだけ木陰を選んで走っていた。
 右手の坂の下には白い街並みが広がり、そして高い塔が入道雲と背比べしていた。
 短い茶髪は日に透けて赤毛のようで、灰褐色の瞳を輝かせている。
 じっとしてなくちゃいけない学校は窮屈で、自由になったのが嬉しくてたまらないのだ。
 ガレージ前で自転車を横倒しにすると、少年は家の中へと駆け出した。
 汗ばんだ背中の上で、鞄の中のノートや筆箱がガチャガチャと音を立てる。
 廊下に鞄を放りだして、少年は庭に飛び出した。
《メルル。ただいま!》
 丁度、白いエプロンをつけた女の人が洗濯物を取り込んでいるところだった。
 腕一杯にお日様の匂いを抱え込む女性に飛びついて、少年は言った。
《メルル。手伝うから終わったら遊んでよ》
《はいはい》

 初めは母親代わりだった。俺は彼女を見上げていた。
 いつの間にか、目線が追いつき、追い抜いていた。
 それが嬉しくもあったし、悲しくもあった。
 彼女が、人間では無いのだと痛感させられたから。

 彼女の正式名称は《メンドゥーサO-219型》。祖父、ケニー=オクトバルの生み出した機械人形(ドール)の一体であり、留守番の多い俺への誕生日プレゼントだった。
 思春期に入ってしまえば、ドールと仲良くしすぎることをからかわれるようになった。
 それでやっと、人間がドールに恋してはいけないのだと知ったんだ。

 もちろん俺も、最初は人間の女の子を好きになろうとした。
 でも、好きにはなれなかった。
 メルルを前にした方が、ずっと胸が弾んだ。
 なぜだか、俺は便利さに慣れた人より、古くて使いが手の悪い機械人形の方が身近に感じた。
 しかし、彼女は駄目だよとみんなが口を揃えて言った。
 その頃のメルルは表情も二種類しかなかったし、応答のバリエーションも少なかった。人に似せた姿をしている分、他の人の目には奇異に映るらしい。
 じゃあ、メルルがもっと人間らしくなれば、外見に会った年頃の少女のように振る舞えたらいいのだろうか。
 そう思って、俺は彼女を人に近づけていった。
 ドール開発の技術をハード、ソフトの両面から修得すると、彼女を便利な道具とは言わせないよう数多の機能を凍結させた。
 不便さが生む無駄が、人に近づけてくれる気がした。
 そんな俺の気持ちも知らないで、彼女は何度も性能の向上を進めてくる。
 うんざりしながらも、愛しかった。
 少しずつ彼女の語彙を増やし、表情をひとつずつ覚えさせた。
 そして、彼女はそんな俺の要求に良く答えてくれた。
 四年かけて、表情や動きは本物(ひと)と間違えるくらいになった。
 それでもまだ、世間からは姉と弟に見られるのが精一杯だった。
 理由はすぐにわかった。
 俺とメルルの髪質が似ているせいだ。だから、一見した時に間違える。
 唯一違うのは瞳、メルルは髪と同じブラウンで、俺は灰褐色だということ。
《俺のグレーの瞳はじっちゃん譲りかな》
 鏡の前で茶色い前髪を一束摘んでひとりごつ。
 さて、何色に染めようか。
 黒か、赤か、金か……どうせなら、緑なんていいかもしれない。

 姉弟ではなく、もっと別の関係にみられたかった。
 たとえ人からは人形遊びにしか見えないとしても、俺は彼女が――

第三話 黄泉に咲く花(前編)

 白の楽園。海上都市セラフィム。
 昼間だと言うのに、人類の英知が詰まった都市は静けさに包まれていた。
 もう誰もこの楽園には残っていなかった。
 残されたのは、壊れた機械と持っていけなかった家財道具ばかり。
 そんな中、楽園の中央にそびえる塔にだけ、音を立てる者がいた。
 割れた窓から漏れだす荒々しい音だけが、ここに動くものが残っていることを知らせていた。

 銃が唸り声をあげると、生き物と呼ぶに値しない異形が壁と一緒に身体に穴を開けた。
 飛び散る血痕だけが、その異形が元は人間であったことを示すかのように赤い。
 少女は、身体に合わない大きな銃を軽々と扱っていた。
 埃や砕けた石材の破片が降り注いでも少女は瞬きをしない。
 少女のブラウンの目は瞳ではなく、ただの飾りだった。
 頭の後ろで茶髪を結い上げ、弱い関節部を守るように重厚なプロテクターが直接肌に打ち込まれていた。
 その肌も、首や腕の付け根から黒い金属が剥き出しだった。
 メンドゥーサ0-219型、通称メルル。それが、その機体の呼び名だった。
 固まった表情のままで、メルルは銃口を次の部屋に向けた。
「イエス、トーヤ。次のブロックに入ります」
 他の部屋でも銃声や、争う音が響いていた。
 塔は各階ごとに、いくつものブロックに別れていた。
 それを順番に制圧していくために、同時に何機もの機械人形(ドール)が動いているのだ。
 彼らの司令塔は、塔の外にいた。


 塔の玄関を塞いでいた板や車などは横にどけられ、変わりに機器や武器が道の上に並べられていた。
 機材の間を人が行き来する。どれもまだ若い青年たちだ。
 三十人近い若者が、複数あるモニターの前に固まっていた。
 内部に先行した武装ドールから送られる映像を見ているのだ。
 アキヒロは口笛を吹くと、少女の戦果を称えた。
「やるなぁ。メルル」
 塔の図面を頼りに、分担してドールに指示を送っていた。
 ドールは、突飛な事態との遭遇に弱い。
 unknown――未知のモノを前にすると、それが倒すべき敵なのか判断できないのだ。
 そしてもう問題は他にもあった。
 万に一つも生存者が居た場合と、この事象を仕組んだ人間が存在する場合だ。
 もし、悪意のある人間がまだ生きているとしたら、邪魔をしてくるかもしれない。
 そして、ドールは原則的に自己の判断で人間に害を加えることはできない。
 制御を解除して、間違えて生存者を殺めてしまったら…?
 それらの判断し、命令するのがトティヤたちの役割だった。
 その中でも、メルルの動きがひときわ際立っていた。これが、元家政婦用とは思えない。
「そりゃあ、元々、戦闘用だったから……な」
 トティヤは画面から目を離さずに答えた。
 反応が返ってくるかと思ったが、どうもアキヒロは画面に移る異形に興奮しているようだった。
 図鑑に載っているどの生物とも似ていない化け物の数々、忌むべきモノ。
 それが、次々と倒されていくのだ。
 やれる。これなら自分達で何とかなる。
 アキヒロは拳を握って、ドールを応援していた。

 トティヤは自問する。
 そう、メルルは戦闘用なのだ。
 祖父の居なくなったあと、メルルのメンテナンスを一手に引き受けた時、トティヤはいぶかしんだ。
 メルルのフレームが普通の家事用のドールとは異なること。
 金属部の露出も多く、防弾に優れていること。
 そして、武器の取り扱いや素手での戦闘方法などがインストールされていること。
 自衛にしては大げさすぎるそれを、トティヤはプロテクトをかけて封じてきた。
 孫の可愛さに祖父が過保護になっていたんだろうと、笑って流していた。

 ――イサンテの事を思い出すまでは。

 祖父は畏れていたのだ。
 あの化け物を。
 だから、側に武器(メルル)が無くては落ち着けなかった。
 そしてそれも、三年前のあの時には役に立たなかった。
 もし、祖父が話してくれていたら、メルルを買い物になんて行かせなかったのに。
 真実を思い出してから、何度あの日のことを思い返しただろう。
「"今はまだ、殺す刻ではない"、そう言ったな。……その時が来たってわけだ」
 奥歯を噛みしめ、憎むようにモニターに食い入るトティヤに気づいて、アキヒロは肩を上げた。
 あれだけ反対していた奴が、一番やる気があるのも妙な話だ。
「しっかし、何だってその、…イサンテって奴はこんな真似したんだ」
「さぁ。でも、マトモじゃなかった。記憶を封じて、しかも目の前の物が認識できなくなるような催眠術は聞いたこともない。――メルル。棚を撃て、裏に逃げ込んだ奴がいる」
 会話をしながらも、トティヤはメルルへの指示を忘れない。
 不鮮明なカメラの映像をよく見切れるものだと、アキヒロは感心した。
 トティヤの担当するドールの動きは他よりずっと早い。
 それは、メルルの性能だけではない。
 担当者の目が良いのだ。そして、指示も早い。
 ただ、自分のドールを傷つけたくないのか、弾をよく使う。
「爆弾を仕掛けられる階まで上がったら、俺も中に入る。あいつが何をしていたのか暴いてやる」
 モニターに出る異形の姿に、トティヤは臆しなかった。
 いくら画面の向こう側でも、普通、いきなり現れるとぎょっとする。
 しかも、ソレは映画と違い、自分たちの頭上に実在するのだ。
 塔の中は凄惨なものだった。
 寸前まで使っていた椅子、飲みかけのカップ、散らばる書類、そして――まともな死体など残っていない。
 次第に、万に一つの生存者が居る可能性を捨て、ドールに動くもの全ての射殺を命じてしまいたくなる。
 そうしたら、モニターから目を反らせるからだ。
 この分じゃあ。仮に人間の仕業だとしても、もう犯行グループも死んでいるんじゃないかと、都合のいいことを言い始める。
 そんな周囲の気持ちを、画面へと戻させるのはトティヤからにじみ出る怒りだ。
「生きてるさ。空気はフロア単位で遮断できる。火災用の隔壁をおろしてしまえば、あの化け物たちも簡単には入ってこない。あいつは自分だけは生き残る算段をして、笑ってるんだ。塔の住人の多くを犠牲にして、このドームを使用不能に追い込んで、それだけの価値が何にあるっ!!」
 トティヤは一気にまくしたてた。塔内部の惨状に余計怒りが沸いたらしい。
 アキヒロがそれをなだめる。
「落ち着けよ。中に入るんだろ? 今からバテちゃ、始まらないだろ」
「知りたいんだ。全部潰す前に。何のために、じっちゃんを殺したのかさ。あいつに銃をつきつけて――メルル、深追いはしなくていい。先に部屋に残っていないか調べろ」
「……ま、見た目より冷静っぽい、か」
 アキヒロの目には、怒りながらもトティヤの指示は的確に映った。


 アキヒロは、トティヤの話を眉唾ものだと思っていた。
 ドール開発の権威者、ケニー=オクトバルの死因は心臓発作、いわゆる寿命ってやつだ。
 トティヤの話は聞いた。でも、半分は思い込みだろう。
 イサンテが従えていたという奇妙な黒いスーツの男たちにしたって、そんなのが街中をうろついていたら嫌でも目に付く。
 トティヤ自身が言っていたように、銃で撃たれ、尚且つ身内が捕まっているというのに催眠術にかかるだろうか。
 そう、一番おかしいのは怪我だ。
 トティヤの怪我が残っていないのは、それが全て作り話だからじゃないのか。
 彼自身、その嘘に気づいていないのだ。
 そして、俺たちは誰も彼の矛盾を指摘しなかった。
 ドールの改造には、知識を持った奴がどうしても必要だったからだ。
 しかし、トティヤはその嘘を信じきって、汚染された塔の中に入るという。
 本気だ。イサンテと、黒いスーツの男たちが居ると信じて疑わない目だ。
 それなら、付き合ってやろう。恨みを晴らさせてやろう。
 どうせ塔を崩した時、外に溢れ出るボルカノで自分たちは汚染されるのだから。
「次あたりから、医療階層、か……」
 塔の見取り図に視線を落として、アキヒロは暗い面持ちで呟いた。
 入院している病人たちじゃ、ひとたまりも無かっただろう。
 白いベッドの上に横たわる惨憺(さんたん)たる光景を想像して、アキヒロは苦い顔をした。
 機械人形たちが階段を登り、次のフロアの扉をこじ開ける。
 その様子がモニターに映しだされたとき、トティヤがイヤホンを押さえて聞き返した。
「何? もう一度、大気分析を頼む」
 言いながら振り返ると、皆に身振りでドールの進行を止めるよう手を振った。
 どうしたのかと、視線がトティヤに集まった。
 トティヤは当惑顔で、ドールに向けて答えた。
「わかった。そのまま、その場で待機。すぐ行く」
「行くって、まだ――」
「無いんだってさ。ボルカノが。たかだか十階分だろ? 階段で一気に駆け上がれば、数十秒で済む。息を止めてだっていけるよ」
 イヤホンを外しながら、さらりと告げる。
「待てよ。…ってことは、人が生きてるのか?」
「生きられる環境ではある。もしかすると、下が汚染されているから降りられないのかもしれない。……そうしたって、一週間以上、何のサインも送ってこないんだから、おかしい事には変わりないな」
「…わかった、俺も行く。その階から、人間が相手になるかもしれないんだろ。人形が役に立たなかったら、一人じゃ手に余る」
「アキヒロ。数十秒ったって中はボルカノで充満してるんだぞ? もし――」
 トティヤの言葉を最後まで言わせずに、アキヒロはみんなの方を向いて言った。
「いいかっ。少しでも気分が悪くなったり、ヤバイと思ったら何も言わずに表まで走れ。化けもんになった仲間を撃つのも撃たれるのも、ごめんだからな」
 あっけに取られているトティヤに、アキヒロは笑ってみせる。
 アキヒロの顔色は良くない。
 それでも彼は笑った。
 トティヤにはそれで十分だった。
「じゃあ、俺も気分が悪くなったら外に逃げようかな」
「うぉいっ。言い出しっぺは、死ぬ気で上まで走れよ。大体、お前にしかイサンテの顔はわからねぇだろうが」
 アキヒロがうそぶくトティヤの首を掴んで、その緑に染まった髪をもみくちゃにする。
 トティヤは、久しぶりに自分の笑い声を聞いた気がした。

 

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