新しく付いた英知の民の船から下りる若者を、白虎は嬉々として眺めていた。
 黒いビロードの服に身を包む二十歳ぐらいの王子、秋月は先の戦から全く変わっていない。
 白虎は先の戦を追えてから、何度も秋月の姿を思い描いていた。
 アレは砂と岩ばかりの戦場の小高い丘の上、緑の国の旗の下で血に染まった両腕で頭を抱えるようにして、笑い狂っていた。
 アレこそ破壊の民のあるべき姿だと、それを見た白虎は感涙した。
 逆立った白髪、右目に眼帯をしたいかつい顔の王は、自分と共感してくれるに違いないと英知の王子に期待していた。

第ニ話 続きの白

 従者の一人も連れていない零国の王子、秋月はそのまま白虎王の居城に通された。
 破壊の民の宮殿は白い大理石がふんだんに使われ、この日のためにと磨き上げられていた。
 宮殿仕えの女官たちは、秋月を見て囁いた。
 見て、あの黒い服黒い髪、まるで夜を背負ってるようね。
 それでいて、瞳は赤いのよ。血を映す赤い月ね。
 話し声は秋月の耳に届いていたが、頭には入ってこなかった。
 秋月は落ち着いた風の物腰で歩きながら、何を白虎に貢いだら良いか必死に考えていた。
 なにせ今秋月の手には、多少の金品と衣服の変えを持つ程度で、一国の王に渡せるような物は無い。
 母の用意した物は全て海に沈めてしまった。
(船を一隻譲るのは……だめだ。零国の船は、国の物であって王族の私物ではない)
 考えが定まらないうちに、秋月は待合室に通された。
 部屋に入った秋月は、少しの間白虎への土産の事を忘れさった。
 そこは王族が通される部屋ではなく、他国の付き人たちが一緒くたに押し込まれた大部屋だった。
 薄いパーティションで区切られただけで、思い思いに人々は席についていた。
 案内人は唖然とする秋月に席札を渡す。
「……私は零国の女王の代理として来ている。これが、君ら破壊の民の王族への礼儀、と捉えてかまわないのかな?」
 秋月はあからさまな不快の意を示した。
「王は確かにこちらに秋月様をお連れするようにと……」
 案内人は緊張から乾いた声で答えた。
「そうか」
 秋月がそれ以上何も言わずに部屋に入ってくれたので、案内人は胸をなで下ろした。
 あの王子は敵国に入ると言うのに、腰に剣一つ帯びていない。
 赤髭とその親衛隊を八つ裂きにした猛者とは思えない細身が、逆に不気味だった。
 背後で扉がしまる。
「ふんっ。由緒ある誕生日会に代理をよこすとは何事か……ってとこだろうな」
 1と書かれた席札を手元でいじりながら、秋月は独り言を始めた。
 席が何処かは探すまでもなかった。
 扉の真ん前なのだ。
 パーティションに1と書かれた板が下げられ、中を覗けば椅子とテーブル、簡単な茶菓子が置かれた簡易個室になっていた。
 秋月は自分の割り振られた一画を離れ、別の場所に腰を降ろした。
 そこにはすでに先客の老人がいた。老人の顔には深い皺が刻まれ、足が悪いらしく杖手にしていた。
 すぐ隣のパーティションの向こうには、血気盛んな若者たちの話し声が聞こえた。
 それは戦での怒りと恨みをこめた話し声だった。
 秋月は老人に自分の席札を渡しながら、囁いた。
「ここより扉の側に行った方が良い。ここで騒動が起きるのも間もなくでしょうから」
 老人は意外そうに秋月を見た後、すぐに感謝の意を示すと自分の席札を秋月と交換した。
 飲み物すら用意されていない席につくと、秋月はため息をついた。
 王族が指揮する戦は禁じられていても、喧嘩まで止め様が無い。
 それぞれの王族に付き添った従者同士での乱闘騒ぎが発展して、命を落とす者が出る事も少なくなかった。
 案外母が僕に従者を用意させなかったのは、こういった騒ぎを懸念したからだろうか。
「……まさか、ね」
 秋月はほんの思いつきを否定すると、また白虎への贈り物をどうするか考え始めた。
 しかし、パーティションの向こう側の雰囲気がますます険悪になるので、考えに集中できない。
「愚痴愚痴女々しいぞ、お前らっ。緑国の従者は赤髭の王無しには腑抜け揃いか」
 暴れるならさっさと済ませろと言わんばかりに、秋月はパーティションの向こう側に告げた。
 秋月の声を聞きとがめ、怒った若者の一人が両者の間を仕切るパーティションに手をかけた。
 鉄の枠組みに布を貼っただけの仕切りは、あっさりと取り払われた。
 赤い髪に褐色の肌をした老若の民が秋月を見て、驚いた。
 その黒い服、黒い髪、顔、体格を見間違えるはずがない。
 よもや自分たちの王を殺した張本人が、同じ部屋にいるとは。
「どうした。この黒いなりがそんなに物珍しいか?」
 秋月は、そんな若者たちをあざ笑った。
 王族相手に手は出せまい? と赤い瞳が茶化す。
 相手が英知の民か、正治の民であれば通用しただろう。
 しかし、目の前の老若の民は秋月が思っているほど冷静ではなかった。
「ぬけぬけとっ。その面をよく我らの前に見せたなっ!」
 若者の一人が腰に吊した剣を抜いた。
 秋月は舌打ちすると胸の前で組んだ腕を解いた。
 その時、全く別の方向からドンと巨大な木槌を打ち鳴らす様な音が響き渡った。
 秋月も剣を抜いた若者も音のした方を向く。
 衝撃でパーティションが倒れ、大広間の視界を遮る物は無くなっていた。
 扉を破って迷い込んだのは、枯れた草木の様な皮膚をした一頭の小竜だった。
 小さい、と言っても身を起こせばこの広間の天井に頭が触れるほどの大きな体をした蜥蜴(とかげ)の化け物だ。
「なぜ、こんなところに……しまったっ」
 竜の足元で一人の老人が這うようにして、逃れようとしていた。
 それはさっき席を交換した老人だった。
 恩が仇になった。
 慄く人を押しのけると、秋月は竜の頭上へ飛び移った。
 金色の巨大な瞳が頭に乗った人影を睨み付ける。
 揺れる足場の上で、秋月は鋭い刃を思い浮かべた。
「この手にあるのは、貴様の皮膚をも切り裂く刃」
 そうつぶやくと、秋月は空の腕をさも剣を握っているかの様に振るった。
 海の上で、母の用意した土産を切り裂いた時と同じように、不可視の刃が竜を襲う……はずだった。
 空の手はただ竜の額に小さな風を起こしただけだった。
(失敗したっ!)
 竜は頭上の人間を振り降ろそうと左右に頭を振るう。
 頭にしがみついたまま、次に秋月は無数の鎖が竜を捕らえる様をイメージして、もう一度腕を振るった。
 何も起こらないどころか、今度は風ひとつそよがなかった。
「焦ってるのか? 僕は……」
 竜は頭の上からなかなか落ちない秋月を、壁に叩きつけることを思いついた。
 扉を壊した時と同じように勢いよく首を振った。
 秋月の視界に倒れたパーティションが映る。
 来いっと叫んだかどうか秋月は覚えていない。
 その空の手に、パーティションの鉄枠が槍の様に収まっていた。
 槍をその大きな目玉に突き刺したところで、秋月は壁に打ち付けられて床に落ちた。
 竜は痛みを怒りに変えて、その鋭い爪を秋月めがけて振り下ろした。
「くっ」
 秋月は奥歯を噛みしめ、上手く発動しない魔法を呪った。
 爪がひどくゆっくりと近づいて来るように見えた。
 そして、秋月の目の前に竜の首が落ちた。
 遅れて首の断面から血をほとばしらせて、残った胴体が倒れる。
 必殺の爪が届く前に竜はその命を落とした。
 ――――小竜と言えども、その鱗は硬い。まして骨ごと切り落としただとっ。
「……何処の差し金かな」
 面白そうに呟く青年の声がして、秋月は顔を上げた。
 正治の民に相応しい長い青い髪を金の輪で押し付けた青年が太刀に付いた血を拭い、腰に治める。
「活国の王、青風……」
 秋月は竜を倒した者の名を呼んだ。
 青風もまた黄国の王白虎の計らいで、この部屋に居たのだった。
「黒姫のご子息とお見受けするが、お供が居ないようだが?」
 立ち上がった秋月に、青風は声をかけた。
 窓の外で、祭りの始まりを告げる祝砲が鳴った。
「時間らしいよ」
 秋月は礼も言わずにそっけなく答えた。
 嫌なことを聞く奴だ、そう思いながら秋月はパーティションの一つを拾うと部屋の外に出た。
「あれが零国の王子、秋月か……」
 大広間で誰かが呟いた。
 竜を倒したのは青風その人だが、皆の目はこの場を去った王子に向けられていた。
 気になるのだ。先の戦で赤髭に勝利した男が。
 青風は竜の目玉に突き刺さったままの鉄の棒を引き抜いた。
 たったそれだけの動作で棒は歪んでしまう。
 青風にはこんな脆い物で竜の瞳を射抜けるとは思えなかった。
「なるほど」
 一人納得したように、青風は笑った。


 いよいよ祭りが始まり、破壊の民の王白虎の前に各国からの贈り物が渡されていく。
 しかし、白虎の機嫌は悪かった。
 退屈な式典よりも軍馬を走らせている方が楽しいに違いない。
「零国代表、秋月様」
 名を呼ばれて、秋月は壇上の白虎の前に赴いた。
 彼は先ほど通された部屋のパーティションを持っているだけだった。
 白虎は先ほどの竜騒動や大広間に通したことで、喧嘩を吹っかけて来ないかと心待ちしていた。
「私が見せるのはこちらでございます」
 秋月は上品に一礼すると、パーティションを床に下ろし、胸の前で両手を組み合わせた。
 白虎は脇に仕える大臣たちと顔を見合わせた。
 秋月は朗々と何かを読み上げているが、声が小さくて誰にも聞き取れなかった。
 恐る恐る一人の大臣が秋月に声をかけた。
「秋月様。それは、私どもが用意したお部屋の……?」
 パーティションが動いた気がして、そんな馬鹿なと大臣は目を瞬いた。
 見間違いではなく、パーティションは見る間にその形を変えた。
 これには白虎も目を見張った。
 やがて四角い鉄の檻の中に布がくしゃくしゃに押し込まれる。
 秋月は一度術を止め、面を上げた。
「白虎様は世界を見渡すのはお好きでしょうか?」
 丁寧に告げられ、思わず白虎はうなづいた。
 白虎の片方しかない目は、姿の変わったパーティションと秋月に釘付けだった。
「では……」
 秋月が右手を振るうと、檻の下部がひしゃげる。
 秋月が左手を振るうと、檻の上部が裂けた。
 草が芽を出す様に布が球体の様に膨らむ。
 鉄は折畳まれ、縮み、土台を成す。
 一抱えほどの地球儀がそこにはあった。
 元のパーティションより、はるかに小さいのはどういうわけか。
「こちらが、零国からの贈り物になります。どうぞお納め下さい」
 一礼すると、早々と秋月は壇上から降りた。
 白虎の側近が不思議そうに地球儀を抱え、回した。


 宴の中、各国の王族と側近達は各々で固まり遠巻きに零国の王子を見ていた。
「魔術の法は、遠い古に失われたはず、今ではその呪文を知るものなどいない」
「いや、確かに呪文を唱えていた。あれが手品だと思うか?」
「…単身で敵国に居るのは、それだけあの王子が強いからではないか?」
 秋月は杯も持たずに壁にもたれるように立っていた。
 これではまるで見世物だ。即興で用意した土産が過ぎたか…。
「少し話をしませんか? 秋月殿」
 活国の王、正治の民の青風は杯を掲げて、会場に唯一いる英知の民である秋月に声をかけた。
 偉丈夫の青風は秋月より頭二つ分ほど背が高かった。
「ここの主役は、黄の国の王ですよ。青風殿」
 嫌味のこもった声で、秋月は青風の名を呼んだ。
「しかし、今主役の姿はお見えにならない…それなら次の主役は貴方、違いますかな? 緑の王を倒した若い王子よ」
 何処か甘い声で青風は告げた。
 そう、白虎は秋月の土産を受け取った後は、宴から姿を隠していた。
「一つお聞きしたくて、――――なぜ赤髭を倒した貴方があんなにも弱いのです?」


 嫌みや文句の一つ言いもせずに、笑顔と慇懃無礼な態度で不満を示す。
 そんな秋月の英知の民らしい振る舞いに、白虎は興ざめていた。
 わざわざ竜を差し向けたと言うのに、竜を倒したのは正治の王だ。
 しかも配下の話では、秋月は逆に竜に殺される所だったという。
 まるで赤髭を殺したときとは別人の様だ。

 


第三話 割り込みの赤

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