――――なぜ赤髭を倒した貴方があんなにも弱いのです?

 弱い、と言われて、秋月は怒りを覚えた。
 一方青風の方は、秋月が怒る様子が面白いようで話を続けた。
「赤髭は竜王を打ち負かすとまで言われた男、小竜相手に苦戦する…ああ、でも人と獣を相手するのは勝手が違ったかな?」
 秋月の視線が青風の手にした杯を射抜と、杯は周囲に飛沫を飛ばして杯砕け散った。
 二人を遠巻きに見ていた人たちが、突然割れた杯に怯える。
「随分な握力をお持ちだ。使いますか?」
 秋月はハンカチを青風に差し出した。
 青風は受け取らず、近くのテーブルクロスで酒に濡れた手をふき取った。
 ガラスの破片で切ったらしく、僅かに血がにじんだ。
「いや、これはこちらの無礼に罰が当たったのだろうよ。さて、私は行くとするよ。話が出来て良かった」
 そう言って青風は新しい杯を手にして、秋月の元から離れた。
 青風の身を案じ、すぐに従者たちが集まった。
 秋月も少し食事でもと、テーブルに並んだ料理に手を伸ばした。
 二・三口にしたところで、今度は褐色の肌をした老若の民の娘が秋月の前に立った。
 気の弱そうなお付きの者が、止めて下さいと秋月に立ちふさがろうとする娘に声をかけたが、娘は従者を振り払った。
 セミロングの長さで切られた赤毛が、ふわっと広がる。
 緑の羽織は肩の部分だけわざと見せるようなデザインで所々に白い紋様が描かれていた、髪と同じように赤いロングスカートには羽織と同様に長いスリットが入っていて娘の足を魅せていた。
 老若の民、緑国の次期女王その人だ。
 王名が決まっていないので、彼女は今だ家の当主に合わせた呼び名”赤髭の娘”と呼ばれる。
「随分な態度ね、貴方。王と王候補とでは身分の差があること、理解してないんじゃなくて?」
 赤髭の娘は長身で、秋月と視線が並んだ。
 エメラルドの瞳が真っ直ぐに秋月を見据える。
「私は零国、黒姫様の代理ですから。この宴の間だけは、王と同じだけの地位を与えられていますが?」
「代理ですって? ただのお使い人でしょう」
 秋月は苦笑いをした。
「礼を諭される権利なら活国の王にある。盗み聞きして、論じに来るのはいささか行儀が悪くありませんか?」
「聞き咎めるような事を貴方がしているからよ」
 秋月は心の中でため息をついた。
「そうやって、無関係ごとにでも首を突っ込んで、さも争いの元を正してる風に話しをするのが、和を尊む一族のやり口ですか。道理で平和を主張しながら、赤髭も戦に精を出していたワケだ」
 秋月が言い終わる前に、赤髭の娘は近くの杯を手にすると、中身を秋月の顔にぶちまけていた。
 秋月の黒い髪から無色透明の酒が滴り落ちた。
「父を侮辱した言葉。いいえ、老若の民に対しての侮辱ね。私、言ったわよねぇ。身分をわきまえろって」

第三話 割り込みの赤

 窓の外はすでに星々が瞬いていた。
 宴を抜けて部屋に戻った秋月は、酒を浴びた服を脱いだ。
「あの女っ」
 悪態をつきながら、濡れた前髪を掻き上げる。
 こんな牽制といがみ合いしかしない宴は、早く終わって欲しいと思った。
 ハイネックの黒のインナーが、ただでさえ線の細い秋月の体格を露わにしていた。
 上着を脱いだ肩幅は狭く、二の腕もすらっとしていて剣を振り回すための筋肉などはついていない。上着に隠れていた腰も細めで、かなり華奢だ。
 水で顔を洗った程度で酒の匂いは取れず、秋月は備付けの浴室に向かうと蛇口をひねった。

 ふいに浴室の扉が開かれた。
 たぶんこの時、僕は間の抜けた顔をしていただろう……と思う。
 突然入ってきたのは、青い髪を頭の両脇でくくった美少女だった。メイドの様な服装だったが、そのスカート丈は短く太股まで見えていた。顔立ちは幼いのに、何処か色気を感じる。
 少女の方も戸惑っているらしく、しばらく秋月の体をみた後、
「……間違えました」
 そっと一言謝罪を告げて扉を閉めた。
 ……あ。
 はっと我に返った秋月は、白いバスローブを身に纏うと浴室から飛び出した。
 部屋では、さっきの娘が秋月の脱ぎ捨てた上着を手に取っていた。
 秋月は娘を逃がすまいと、扉の前に立った。
「……」
 娘は秋月と服を見比べていた。
 上背を誤魔化しウェストが目立たない様に見せるための細工が、黒の礼服には施されていた。
 これを着て後は声さえ隠せれば、女でも華奢な男として通せるかもしれない。
 そう、秋月の様に。


 正治の民の娘は、抵抗も逃げる素振りも見せずに椅子に座っていた。
 目の前で替えの服に着替える秋月をじっと見つめる。
「青風の指示か。何しに来た」
 喉仏が無いことを隠すためのハイネックのインナーの袖を通して、秋月は聞いた。
 王を呼び捨てで呼ぶのは、秋月の苛立ちの表れだった。
 娘はだんまりを決め込んでいた。
 迂闊に話せば、主に不利な言質を取られるかもしれない…とでも思っているのだろうか。
 少し脅してやろうかと、秋月が決めると、ドアがノックされた。
 聞き覚えのある、何処か人をこばかにした声が聞こえた。
「入れてくれませんか? その子を責めたって何も話やしませんよ。いや、まさかとは思いましたが…零国の王子は姫でしたか」
「あんたがそう指示したんだな。――――青風、殿」
 秋月は名前を言った後、間を空けて取ってつけた様に敬称を呼んだ。
 扉が開くと、青風は秋月の部屋に滑り込んだ。
「絵梨夏(えりか)、怪我はないな?」
 名を呼ばれ、ずっとだんまりを続けていた少女がうなづいた。


 青風と絵梨夏が並んで立っている。
 秋月は、青風の背後に隠れる絵梨夏をきつく睨んだ。
「この娘は貴方に心ばかりの贈り物と用意したのですが…同性では、渡せませんね」
「余計なお世話だっ」
 じろじろと秋月の全身を見回す青風に、秋月は怒鳴った。
 秋月の顔には焦りの色が浮かんでいた。
 半乾きの黒い髪が、部屋の明りを艶やかに反射させていた。
 なるほど。女だと知ってみれば、なぜ今まで気付かなかったのかが不思議でならない。
「さて、改めてお聞きしましょう。赤髭を殺した王子は何処にいます?」
 青風の問いに、秋月は眉をしかめた。
「お前の目の前に居るだろう」
「貴女から恐れを感じない。あの戦で零国の王子から感じた恐怖を、ね」
 ”あなた”のニュアンスの違いを感じ、秋月は唇を噛んだ。
「何、貴女を悪いようにはしませんよ。……黒姫の息子に良く似た娘を囲うのも悪くない」
 いやらしい笑みを青風は浮かべた。
 青風の隣で絵梨夏がほんの少し、あきれた顔を見せた。
「…母を呼び捨てにするのは止めて頂こう。私を姫呼ばわりすることも、だ」
 秋月の態度が崩れないのを見て、青風は面白そうだった。
 自分に逆らって見せる者は、正治の民にはいない。
「なら――――」
 青風の言葉が言い終える前に、バタバタと衛兵が通路をかけた。
 失礼しますっ、と扉の向こうから声がかけられた。
「どうしたっ」
 秋月は、体格を誤魔化すための上着を羽織りながら言った。
「実は、――――」
 続く衛兵の言葉に、秋月は目を見開いた。
 曰く、零国の帆船が全て火を吹いた、と。
 秋月の顔が苦渋に満ちる。
「そこまでやるのかっ! 母君はっ」
 目の前の青風のことなど忘れて、秋月は部屋を出て、港が見えるバルコニーに立った。
 港から昇る炎が四つ、夜空を赤々と染めていた。
 周囲のバルコニーでも、宴に集まっていた人々が集まって騒いでいた。
 青風は面白くなってきたと、秋月の後ろで笑った。


 零国で、黒姫は時計の音に顔を上げた。
 丁度、秋月の船に仕掛けた爆薬が作動する時刻。
 その騒動を、破壊の民の代表者である白虎が見過ごすわけが無い。
 嬉々して秋月に兵を挙げるだろう。
「ホンに、秋月は孝行息子じゃ」
 黒姫は、陶酔しきった笑みで囁いた。


 青風は集まってきた兵達に道を開けた。
 秋月はまだ呆然と港を眺めていた。
「秋月様っ。この一件、どう説明をつけるおつもりか!」
 振り返る秋月、驚いたことに兵達の指揮をとっているのは、待合室にいた老人だった。
 白虎の回し者だったか。
「たかだか”私の船が爆破しただけ”で、騒ぐなっ。困るのは私の方だ、帰る船をなくしたのだからなっ!逆に問おう。船を見ていたのは、そなたたちであろう。破壊したのはそなたらでない保証は何処にあるかっ!」
 秋月は怒鳴った。ここで争えば、母の思うツボだ。
 しかし、老人は下がらなかった。
 老人は秋月が竜相手にやられかけた所を一番まぢかで目撃し、秋月を恐れるにたらずと判断していた。
「では、お供一人連れていない、貴方を零国の王子であると何が保証しましょうぞ!」
「…物などいくらでも貸し与えられる、か」
 自虐的な笑みを浮かべて、秋月は呟いた。
 青風はにやにやと様子を見守っている。
 兵達が槍を向け、秋月に近寄る。
「聞くぞ。爺。これは黄の王の指示か?」
 老人は首を横に振った。
「これは全て、私の独断でございます」
「そうか――――聞いたなっ、皆の衆。これは王族同士の戦ではない。小競り合いだ」
 別のバルコニーの者達に向けて、秋月は声をあげた。
「ご免っ!」
 そう言って衛兵たちが秋月に殺到した。
 秋月は衛兵達の獲物を一瞥する。
 と、それらは全て物凄い力で地面に吸い寄せられ、衛兵達の手ごと床に張り付いた。
 手を放し損ねた者や足を挟まれた者たちの骨が砕け、叫び声が上がる。
 難を逃れた兵が秋月を殴りに行った。
 秋月の手が弧を描く。
 不可視の壁を強く叩きつけた兵は、自分が殴りつけたのと全く同じ力に殴り飛ばされた。
「……これでも、私にまだ無礼を働くか? ご老体」
 秋月はなるだけ冷たく聞こえるよう言い放った。
 兵たちの苦悶の声があがる。
「い、いえ。確かに貴方様は秋月様でおられる」
 真っ青になった老人は、兵たちを置いて逃げるように去っていった。
 秋月が術を解くと、兵たちも速やかに消えた。
 周囲は静かだった。
 秋月は一歩もその場から動かないで兵たちを撃退したのだ。
「それも、手加減して…か」
 青風は呟いた。

 

第四話 先は何処までも青

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