遠くで立ち上る黒煙が、夜空に消えていく。
 赤髭の娘は、バルコニーで破壊の民の兵に包囲された秋月を見ていた。
 これはただの小競り合いだ、と彼は言いった。
 そしてひけらかす様に魔術を行使して、
「……これでも、私にまだ無礼を働くか? ご老体」
 彼は目の前に立つ老人に向かって告げた。
 その声の何て冷たいことだろう。同じ臣下同士であれば、年長者こそ敬うべきなのに。
 ふっと赤髭の娘の表情が和らいだ。
「帰るわよ。こんな騒ぎになったんですもの、今夜のパーティはこれでお開きね」
 お供たちにそう言いつけると、赤髭の娘は老若の民が宛がわれた一角に向かった。
 そしてさも得意げに彼女は言い放った。
「彼は対処の仕方を間違えたわ。小競り合いですって? それは貴方が臣下に過ぎないと認めた台詞じゃない」
 赤髭の娘の頭の中では、父を殺した秋月への復讐でいっぱいだった。
 戦が禁じられているとはいえ、臣下同士の争い事で命を落とす者もいる。
 つまりは、そういうことだ。


 日が昇るにはまだ程遠い深夜。
 ベランダから誰か転落したらしい物音を聞いて、秋月は目を覚ました。
 結界陣に触れた阿呆が、這う這うの体で逃げ出したらしい。
 どうせ破壊の民の連中だろうと目星を付けて、秋月は布団を被った。
 その夜。秋月は不信な物音に何度も目を覚ました。
 鳥のさえずりが聞こえ始める頃、ようやく黒い髪の王子がうとうとしだした、が。
 カラン、カラン…。
 島中に響き渡る鐘の音が秋月の目を完全に覚ました。
 秋月はベランダとの間のカーテンを開け、結界に踏み込んで気絶した阿呆を蹴落とした。
 木々の枝が連続して折れ、鳥たちが飛び出す。
「…しまった。何処の民か調べてから捨てるんだった」
 秋月は寝癖のついた髪を掻きあげながら言った。

第四話 先は何処までも青

 破壊の民、黄国の王、白虎の誕生日会は二日目の朝を迎えた。
 そして朝から朝食会が始まる。
 秋月もまた、零国用に準備された席に着いて食事をしていた。
 他の国の王族達は従者と食事を囲んでいるのに対し、一人でいる秋月は何処か目立った。
 昨日は王族同士の内々の祭りに対して、今日は民衆向けの祭りが執り行われる。
 敵国の王族をも不本意でも歓迎してみせられるだけ、まだ今は平和なのかもしれない。
「それにしても、帰りの船はどうしようか……黄国の王に頼むか」
 母も、”白虎と仲良くしろ”と言っていたことだし。
 秋月はこの後直面する問題、零国への帰国方法を考えていた。
 そんな彼を時折他のテーブルに着いた民たちが、ちらちらと視線を向ける。
 何処の国のテーブルも、零国の王子の話で持ちきりだった。
 破壊の民の白い宮殿に落ちた一滴の泥水、英知の民特有の黒い髪と見慣れない赤い瞳をした彼は、整った顔立ちもあってか、見る人に何処か不安感を与えていた。
 秋月の時折呟く独り言の癖が、”そこに見えない誰か”が居る様で不安を煽る。
 当の本人は帰りの船をどうやって黄国の王に仕立てて貰おうかと、頭を悩ませているだけなのだが。
「昨夜は随分騒々しかったようだが? よく眠れたかな?」
 黄の王白虎は、嬉しそうに悩める王子に声をかけた。
「ええ。無断で私の部屋に入ろうした方々が、何やら手痛い目にあわれた様ですね」
「いやいや、魔術とは大したものだ。それに温情深い」
 言いながら、秋月の正面の空席に白虎は腰をおろした。すぐに給仕が白虎と秋月の前にお茶を並べる。
 白虎の厳しさは、戦場でほとんど相まみえていない秋月の耳にも聞き及んでいた。
 彼は捕虜を認めず、たとえ同じ破壊の民であろうと歯向かった者を生かしては帰さない。
 ただ極めて稀に、彼が見込みのあると判断した者に限り見逃すことがあるらしい。
 初老の域に入った自分を倒す、新たな王を得るために。
「情けも何も、被害は私の安眠程度ですから。さしたる罰を与えなくても良いと考えます」
 それに結界に触れた者達は今頃寝ているだろう、と秋月は心の中で付け足した。
 秋月は給仕が運んできたお茶を手に取り、香りを楽しんだ。
 爽やかなお茶の匂いは、秋月の鼻腔をほどよくくすぐった。
 食事はあまり美味しくないけど、黄国のお茶は良いな。
 秋月の言葉に、白虎は心底関心した様に言った。
「そこが温情深いと。私ならまずは逃げぬよう足を断ち、二度と同じ真似をする愚かな者が現れぬよう見せしめにするでしょうなぁ」
 秋月の優雅な一時は、ここで終わった。
 白虎はどんな拷問にかけ、どんな処刑をするかを熱弁し、それはとても耳に心地よいものではなかった。それ以前に、食事中にする内容ではない。
 適当に受け答えをしているうちに秋月は吐き気を覚えた。
「…失礼。少し気分が優れないので」
 秋月は食事を切り上げて、席を立つことに決めた。
「これは申し訳ない。異国の空気に酔いましたかな?」
 白虎は心から秋月に気遣っていた。



 早々に会場を離れ、洗面所に向かう途中で秋月は吐いた。
 自分の吐瀉物を見下ろしながら、喉と胃が酷く熱く感じた。
 いくら胸くその悪い話を聞いたからといって、戦場を経験した秋月が聞いただけで吐いたりしない。
 これはただ事じゃない。
「毒か…手をあわせるのも嫌がる臆病もんの仕業、だな」
 誰が仕掛けたか考えるより、毒を吐き出す方が先決だった。
 洗面所に着く頃、吐き出した胃液には血が混じっていた。水に流される血の量は次第に増していく。
「いいざまね、秋月。貴方の肌は白すぎるのよ。それぐらい赤みが増せば、丁度良いんじゃなくて?」
 女の声。秋月は胃の痛みをこらえて、声のした方に向いた。
 ナイフを持った女が入り口に立っていた。
 顔に見覚えがある。いや、自分に酒をぶっかけてくれたのだ、忘れようがない。
「赤髭の娘か」
 女はこの手でトドメを刺して、父の敵を討つべくその刃を振るった。



 秋月は反抗してきた破壊の民への対処を誤ったが、赤髭の娘は復讐の手段を間違えた。
 誰もここに近寄れないように手を打ち、放っておけば良かったのだ。
 そうすれば彼女の望むように、秋月はその短い人生を終えただろう。
 新たに王族といえども国王でなければ殺害されることがある、という前例を作って。



 ナイフが胸に突き立てられる寸前、秋月は笑った。
 冷笑ではない。面白い小話でも聞いたかのように口を大きく歪ませた笑みだ。
「――――馬鹿が」
 不可視の力が、ナイフごと娘を洗面所外まで押し返した。
 わけもわからず狼狽えた娘の口から血が零れた。
 何か言いたげに開いた娘の口から、血が止めどなく溢れ返り、色鮮やかな緑の衣を赤い筋を作った。
 秋月は落ちたナイフを蹴飛ばすと、赤髭の娘に歩み寄った。
 その足はしゃんとしていて、先ほどまで死にかけていたとは思えないほど顔色も良くなっていた。
 娘を毒された体の”身代わり”にしたのだ。
 こんな事はあり得ない、と赤髭の娘は弱々しく首を振った。
 秋月の右手が開かれ、その指がパキリと鳴った。


 悲鳴を聞きつけ、人々が駆けつけた時には洗面所の前の通路は血だまりになっていた。
 顔を潰された見るも無残な遺体は、着ている服から赤髭の娘と知れた。
 口周りを真っ赤に染めた王子が、右腕を振るって手に付いた血を落とした。
 それでも右手は鮮血の手袋をつけているようだった。
 凄惨な現場、そして秋月の顔を見た誰もが息を呑んだ。
 秋月はこの現場にはおおよそ似つかわしくなく、今までこの島に来てから一度も見せたことのない表情をしていた。
 声にこそ出さないものの、笑っていた。
「この娘は私に毒を盛り、直接刃によって手をかけようとしたので、この様な処置を執りました」
 丁寧だが、抑揚が無い声で、秋月は告げた。
 白虎一人だけが、この場で喜びに打ち震えた。
 替え玉かと危惧したのは余計な心配だった、と。





――――馬鹿が馬鹿が馬鹿が馬鹿が……馬鹿は、僕だ。

 秋月の頭の中は、彼女に向けた最後の言葉が繰り返し響いていた。
 集まってきた人達に自分が何と告げたのかも覚えていない。
 自室に戻って血を洗い流すと、秋月は血の付いた上着を脱ぎもせずにベットに倒れこんだ。
 柔らかなクッションが優しく受け止める。
 秋月は愁いを帯びた顔で、右手を眺めていた。
 思うのは、この地に送った薄情な母か。それとも死んだ赤髭の娘のことか。
「これで老若の一族も終わったな」
 ふいにバルコニー側から青風の声がして、秋月は飛び起きた。
 開いた窓から吹く風が秋月の髪をなでた。
「そんなっ。結界が…」
「我が活の国の剣術も古来より伝わるもの…同じ古来の魔術を断てるのも道理。どうやら零国の姫君はお疲れかな?」
 言いながら青風は腰の太刀に視線を僅かに落した。その刀で斬った、と。
 青風の後ろから絵里夏が顔を見せた。
 自分の術が破られ、部屋への侵入を許したことに秋月の自尊心は傷ついた。
「何しに来たっ。姫と呼ぶなっ」
「一つ謝罪を言おうと思ってね。赤髭殺しは目の前にいる秋月殿で間違いないようだ」
 涼しげな顔をして青風は椅子に腰を降ろした。絵里夏は主の側に立つ。
 そんな二人を秋月は憎々しげに睨みつけた。
「初めからそう言っている。用が済んだら帰れ」
「つれないなぁ。…緑の王族が欠けた以上、これで宴も終わる。戦が始まるぞ? 帰りの足を失った王子よ」
 そう、祭りは終わった。
 正治の民の王である青風の船が沖合に出てしまえば、秋月は破壊の民のまっただ中に取り残される。
 あの拷問と処刑好きの男の指揮する黄国が、敵国に迷い込んだ哀れな王子をどう扱うか。
 いくら魔術を使うとはいえ、数万の破壊の民と白虎王を相手に一人で勝てるわけがない。
「絵梨夏。服を」
 名を呼ばれて情婦の少女が、秋月の脇に折畳まれた服を置いた。ご丁寧に青いカツラまで沿えてある。
「…貴方の従者のフリをしろ、と」
「零国の王子を下手にお連れすると、貴女の母ぎみにどんな口実を作られるか」
 秋月は服を手に取った。女物じゃないかと一瞬危惧したが、それは余計な心配だったようだ。
 しかし秋月は、服を絵梨夏につき返した。
 青風の船に乗って零国に立ち寄って貰えるとは思えなかった。
「断る。船は、黄の王と活の王、二人の前で借りる」
「おや、私は君の恩人だよ。もし、先ほど私が君の性別を告げていたら…いや、これからでも告げたら、どうなると思う? 零国は王族ではなし影武者に代行を努めさせた国となり、……そして、貴女は王族でも何でもない。各国の王族を騙した、ただの英知の民の女に相応しく扱われよう」
 青風の意地の悪い笑みに、秋月は奥歯を噛みしめた。
 黒い衣の黒い髪をした零国の王子の瞳が青風を見据えた。怒りと殺意の籠もった目だ。
 秋月の気迫に押され、絵梨夏はたじろいだ。
「…やれやれ、英知の民もこれでは獣と変らんな。その”不完全な魔術”で今度はどんな見世物をするつもりかな?」
 青風は堂々とした態度で立ち上がると、秋月に背を向けた。
 青風の視線の先には、望遠鏡でこちらの様子を窺う人影があった。
 秋月は唇を噛む。
 青風は優しげに言った。
「そして私は、”完全な剣術”を伝える者だ。余計な血を見る必要はあるまい?」




 破壊の民の王、白虎は意気揚々と秋月の部屋に向かった。
 赤髭の娘が毒を盛ったことは、娘の従者の証言で明らかになった。
 この様な事態に陥ったことを詫びて、秋月に赤髭の娘に手を貸した従者たちの処分を聞くとしよう。
 毒を用いることは最も卑劣な行為だ。ましてや王族が一服盛るとは、卑劣を通り越してあきれ返る。
 獲物は絶頂期に戦って倒してこそ、と言うのが白虎の趣向だった。
 それよりも秋月だ。
 あれこそ白虎の求めていた通り。
 あの狂気の孕みかけこそが。
 衛兵に扉を開けさせ部屋に入った白虎は、憤慨した。
 いないのだ。秋月が。
 机に残された手紙には、王子のサインとたった一言、『お先に失礼します』とだけ添えられていた。




 

第五話 活は人を動かし

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