活国青風の船はほどよい風を帆に受け、海を進んでいた。
 黄国白虎の別荘の姿が水平線に消える頃、船の一室で秋月は青いカツラを外した。
 薄暗い室内の中であっても黒髪が艶やかに光る。
 秋月はカツラを床に投げ捨てると、部屋を見渡した。
 木目を生かしながらも青と緑に統一された部屋は、王族の持ち船だけはあって上品な作りをしていた。
 欠点といえば、英知の船と比べていささか揺れるぐらいか。
「個室と言えば聞こえはいいけど……好きに出入りが出来ないなら独房と変わりやしない」
 秋月は開かない扉をノックしながらぼやいた。
 外の見張りが、何の用かと秋月に問う。
 秋月が『青風を呼べ』と言えば、しばらくお待ちくださいと答えたっきりで、当人は一向に現れない。
 暇なので『出せ』と言えば、見張りは沈黙で答えた。
 秋月は部屋中央に戻ると、壁際の椅子に深く座った。
「それなら、今の内に船を調べさせて貰うよ」
 秋月は椅子に座ると瞳を閉じた。
 そして、心が体に変わって目を開ける。
 秋月の意識体は、何の抵抗もなく扉を通り抜けた。
 扉の脇に立っていたのは、正治の民らしい青い髪を紐で束ね少し緊張した面持の青年だった。
(さっきの返答はこいつだな)
 秋月は見張りの脇をすり抜け、階段を使って上の船室へと上がった。
 極力物の中を通り抜けないように注意をしながら、クルーを避けた。別の意識の入った器の中を通り抜けると、その生き物の心の内が見えてしまうと同時に、こちらの意識も向こうから見えてしまう。
 英知の船と比べて、大勢の人間が使うらしく階段や生活空間が多かった。搭乗する兵員はざっと数えただけで五十名を越えている。砲門に武器、弾薬の備えも十分にあった。
 大まかに内部を把握したところで、船外に出た。
 後方に正治の船がもう一隻、四キロほど距離をおいてこの船の後を追っていた。
 あちらも同様の装備が備わっているのだろう。
 大陸が左手に広がっていた。白い建築物が目立つことから、ここいらはまだ破壊の民の黄国の領内だとわかる。
 大陸図を秋月は思い浮かべた。
 黄国から零国へと真っ直ぐに戻るなら、船は東に進み、大陸は右手に見えなくてはならない。
 この船は南下していた。
 北西の黄国から反時計回りに、南西の緑国の海域を経て、南東の活国に戻る航路を取っているのだろう。
 これで青風には、秋月の祖国である北東の零国に立ち寄る気がないのがはっきりした。
(でなきゃ、僕をわざわざ正治の民に変装させたりしないか)
 しかし、青風も僕を人質にすれば母を脅せるとでも思っているのならお門違いだ。
 母に言わせれば正治の民は民ではない。青い毛の獣が存在しない様に、青い髪の人間も存在しないと考えている。
 いや、異常なまでに差別している。
 政策を例にあげれば、他国からの亡命者に正治の民は受け入れないし、正治の兵も捕虜にするぐらいならその場に捨て置く。王族同士の集まる恒例の宴の時は、専用に島をひとつ用意し決して自国に立ち寄らせたりはしない。
 そんな母に秋月が意見したこともある――――人でないなら彼らは何だと言うのでしょう? と。
 答えはこう、『天使に惹かれ、あり得ない妄想を夢見る狂信者たちだ』と。
 母はそれ以上を語らなかった。
 天使。天の使い。神の使い。そう呼ばれた魔術師が、遠い昔に正治の民をまとめていたらしいとしか、秋月にはわからなかった。
 ふと秋月は正治の民の王青風の船に乗せられているのに、母の事ばかり考えているのに気づいた。
(……僕が失踪しても、あの人は心配などしないだろうに)
 秋月の心の呟きは、風に乗って消えた。

第五話 活は人を動かし

 青風は零国の次期王の居る船室に入って、戸惑った。
 見張りの話を聞いた限りでは、秋月は大層苛ついていると想像していたのに、その全く反対で椅子に腰掛けて眠っているのだ。
 青風は絵里夏と見張りを交代させると、見張りの若者を下がらせた。
 絵里夏の服装は宴の時と同じ丈の短いメイド服を着ていたが、今は腰に皮のベルトを付け、細身の剣を下げていた。剣とは全く無縁そうなのに、不思議と様になる。
「無理は……なさらないで」
 絵里夏は神妙に告げた。
 赤髭の娘が秋月に盛った毒は即効性のある物だった。
 それをどうやって返したのか絵梨夏には見当もつかない。
 失われた魔術を使う秋月が怖かった。
「そう硬くなるな。始終緊張していては、ここぞと言うときには疲れてしまうぞ」
 笑いながら青風は少女の背中を叩いた。
 絵里夏は文句言いたげに青風を見上げると、一歩身をひいて船室の扉を閉めた。
 部屋には青風と寝ている秋月の二人だけになった。
 秋月は膝の上に手を置いて、すぅすぅと寝息を立てている。
 安らかな寝顔を見る限りでは、とても今朝方人を殺したとは思えない。
 服はこの船の他の船員と同じものを着ていた。これで服装が女物で、髪も長ければと思う。
「さて、起こすとなると……」
 青風は面白い悪戯を思いついた子供の様な顔を見せると、秋月の座る椅子の背に手を置いた。
 目にかかるかどうかの黒い前髪、長いまつげに伏せられた瞳、そして柔らかそうな唇。
「暢気に寝ている貴女がいけない」
 青風は秋月に顔を近づけ――――。
 秋月の意識は体に触れられたことに気づいて、すぐさま体に戻った。
 赤い瞳を見開くと、平手打ち…ではなく、青風の股間を蹴り飛した。
 青風の苦悶の声を秋月の言葉にならない怒りの声がかき消した。
 部屋の外で絵里夏は溜め息をついた。



「…で、この後、私を何処に連れて行くつもりか聞かせてもらおうか?」
 秋月は椅子に座ったまま足を組むと、ようやく痛みから解放された青風をあきれ半分に睨み付けた。
「もちろん零国に帰っていただく、ほんの少しこちらで拘束するがね。そうだな本題に移る前に、少し無駄話でもしようか」
 青風は別の椅子に座りながら言った。
「赤髭の娘――貴女なら手加減できたろうに、何故命まで奪った?」
 わざわざこんなことが聞きたいのか? とでも言うように、秋月は眉をひそめた。
「生憎、他の手段を思いつかなかったし、自分の命を盗ろうとした者に加減する気も無かった」
「本当に?」
「何度も言わせないでくれるかな」
「いや、破壊の民の兵士たちの時とは対応が違ったんでね。…貴女の様子も」
「どちらにせよ赤髭の娘は死んだよ。毒を返されて先は長くなかった、楽にしてあげたのは情けだ」
 青風は秋月の答えに納得しないらしく、首を振った。
「俺が聞きたいのは、そうじゃない。――――人殺しするのが楽しいか? 秋月。俺はつまらんね。できればこの剣も活人剣になればと思うよ」
 青風は言いながら、戦場で幾人もの兵を殺してきた自分の大太刀を見せる。
「今になって人道主義に転換か? …馬鹿馬鹿しい。説教するために、この船に乗せたのならさっさと降ろして貰いたい」
 秋月はあきれたように言い捨てた。
「質問に答えていない。零国の世継ぎ殿」
「…静かに好きな本を読んで過ごす時のような楽しみを、戦から感じた覚えはないよ。あの独特の緊張感には興味あるけどね、快感には程遠い」
「そうか…」
 青風は満足した様子で秋月を見た。
 ドアがノックされ、
「青風様。お話の所申し訳ありません」
 絵梨夏は戸の向こうから声をかけた。
 入るように青風が促す。
「船籍不明の艦が一隻こちらに近づいています」
 絵梨夏は秋月をちらっと目を向ける。
「帆のない船、そして速度から零国の船と思われます。いかがいたしましょう」
 青風は険しい顔をして立ち上がった。
「早いな…先に海で待っていた、か。わかった上にあがろう。…では、貴女は今しばらくこちらに」
「その戸と見張りに私が止められると思うか?」
秋月は苦笑しながら答えた。
武器を一切帯びていなくても、秋月には魔術がある。
青風は秋月の監禁をあきらめた。
「では、貴女の意志を尊重しましょう」



 後続の船と零国の船との間の距離が4キロを切る。
 船内では鐘が鳴り響き、あわただしく戦の準備を整えていた。
 砲手は大砲の前に着き、全員に白兵に備えた武器が配られる。
 多くの船員が行き交うのに、不気味なほど静かに活国の艦は臨戦体制についた。
「後日にもう一度会見願えませんか? そうすれば、我らは何の危害も加えずに貴女を船に返しましょう」
 青風は自分の後ろに続く秋月に声をかけた。
 秋月は青風と絵梨夏に挟まれる様にして歩いていた。
 秋月は少し考えて、零国の領土内で会うのなら構わないと答えた。
「零国の王族は口頭の約束でもたがえぬと聞く。信じよう」
 青風は船員に、向こうに仕掛けられるまでは何もするなと指示を下した。
 驚いたのは秋月の方だった。
 書面ひとつ書かなくて良いとなれば、後で約束を反故にしても告発される証拠は無い。
(甘いな。それで本当に一国の王か?)
 階段を上がると、潮風が青風の青い髪を舞い上げた。
 そのまま三人は零国の船が見える後尾に向かった。
 甲板にいる正治の民の視線が秋月に集まった。たとえ正治の服を纏っていても、その黒い髪が目立つのだ。何よりこの事態を招いた原因でもある。
 秋月の方は慣れたもので、敵意交じりの視線を涼しげに受け流していた。
「船と連絡を取る。信号弾を使いたい」
 秋月の言葉に青風は頷き、絵梨夏を見た。
 絵里夏は通信兵から信号弾を収めた銃を受け取ると、
「弾は四発入っています」
 秋月に手渡した。
 秋月は銃を治めた右手を天に伸ばし、左手で耳を塞いだ。
 立て続けに二度、間を開けて一度、音と黄や赤で色の着いた煙が空に打ち上げられた。
 しばらくして、英知の船からも同様に信号弾があがった。
 こちらの申し出を向こうが受けたのだ。
「停戦に応じた。この距離なら向こうも私の姿を確認しているだろう。会見の日時は追って連絡する」
 秋月は銃を絵里夏に返しながら言った。
 後方に続いていた船が、零国の船に道を空ける。
 そんな零国の船の様子がおかしいことに気付いて、秋月は眉をよせた。
 仮にも王子を出迎えるというのに、甲板には誰も出ていない。
 八人乗りの小船程度の大きさの物が三つ、シートを被せた状態で置いてあるだけだった。
 零国の船は道を譲った活国の船と、肉眼でもお互いの甲板が見えるぐらいに近寄っていた。
 わざと近寄っているとしか思えない、その時。
 零国の船は隣接する正治の船に向けて、砲を撃った。
 雷の落ちるような音の後に、砲撃を受けた正治の船に穴が空き、木片が水に落ちる。
「この距離だ、すぐに乗り込んで来るぞ。白兵戦用意!」
 青風は腕を振って、大声を上げた。
 すぐに刃を携えた兵や火薬や銃を手にした兵が甲板に集まった。
 機甲兵を見ながら後ろ手で船の縁を掴み、秋月は口を歪めた。
「くっ。……母は、私より正治の王の首を取ったな」
 何故か秋月の口元は、焦りを含んだ声とは別に笑っていた。
「そんな言い逃れを――――」
 絵里夏が腰の剣に手をかけた。
 彼女は、秋月が砲撃を仕掛けるように指示をしたと思っているのだ。
「止めろ、絵梨夏」
 そう、青風は零国の船から目を離さずに言った。
 青風は零国の甲板に置かれている三つのシートを睨みつけていた。
 そのシートに包まれた中身を。
 シートを被ったまま、それらは跳んだ。
 一つは、隣の正治の船に、残りの二つは秋月たちの元へと、五十メートルはある距離を、秋月たちの頭上を飛び越え、甲板の板を割って着地した。
 近くに居た正治の兵たちが、呼吸をそろえてシートを被ったままのそれに刃を振るった。
 硬い金属音が響く。
 次の瞬間シートから伸び出た鉄柱に、正治の兵は殴り飛ばされた。
 シートが舞い上がる。
 それは人に似せた人でないモノ、零国の誇る無人の兵士――機甲兵だ。
 絵梨夏より一回りほど小さい漆黒の体、不格好な厚い甲冑を纏った人にも見える。ただし、数百キロの重さの鎧を着たまま、五十メートルもの距離を跳躍する人間がいれば……だが。
 跳弾を恐れて、銃を手にした兵は銃を捨て、刃を抜いた。
「海に落とせっ。機甲兵は自力では浮かび上がれん!」
 青風の声に、兵たちが動いた。
 皆、戦場で機甲兵とやりあったことのある者たちばかりだった。
 その欠点も彼らは知っている。
 機甲兵は燃料もフル稼働させれば二〇分と保たず、そして操り手は数キロ以内に必ず居る。
 稼動限界まで待つか、操り手を捕らえれば怖い兵器ではない。
 しかし、この船の上という狭い場所で、活動限界まで待てば船は沈みかねない。
 かといって、操り手が乗る零国の船は、隣の正治の船に砲撃を仕掛けつつ後退していた。
 両船から砲弾が行き交う。
 青風は大太刀を抜くと、黒い兵ではなく、秋月の白い喉に太刀を向けた。
 研ぎ澄まされた刃が自分の顔を映すのを、秋月は無感動に見つめた。
「……あれは、母直属の機甲兵だ。私でも止められんし――――」
 秋月は零国の船の方をちらりと見て、
「操り手がこちらを確認していない。故に私を人質にしても止まらんな。機甲兵に人間の識別などできない」
 淡々と告げた。
 絵里夏は苛立ちから、何か言ってやろうと秋月の顔を見て――――何も言えなかった。
 秋月は薄ら寒い笑みを浮かべて、喉元の剣には目もくれず、機甲兵を見据えていた。
 秋月の顔立ちが端正なだけに、ゾッとする。
 それは青風も同じ事だった。
 厳しい修行に耐えて魔術を凌ぐ剣術を身につけた大の男が、だ。
 秋月はそんな二人に気付いているのかいないのか、言葉を続けた。
「だが、約束は約束。活の王よ。今だけ手を貸そう。あの無粋な機械は私を欺きかつ刃を向けようとしているのだからな」
 秋月は両手を腰の脇で開いた。自分の喉にあてらえている刃など、存在しないかのように気にも止めていない。
 部下を蹴散らして近寄ってくる機甲兵を迎え撃つために、青風は剣を引いた。
 正治の民の剣術は戦場で幾度も機甲兵を倒してきた。何よりこの船に乗るのは王の身辺を守る凄腕ばかり、一般の機甲兵なら遅れは取らない。
 それが足止めにもならない。機甲兵の質が、明らかに違った。
 絵里夏も剣を抜き、構えた。
 秋月の周囲で風が止んだ。
「同時に二機の相手は無理だ。右側を任せる」
 そう青風に告げると、秋月から不可視の刃が左の機甲兵目指して飛んだ。
 刃は甲板を裂きながら、黒い体に衝突する。
 正治の兵がどんなに切りつけても、傷一つ付かなかったその体がへこんだ。
「船を壊さんでくれよ。絵里夏、手伝えっ」
「はいっ」
 条件反射の様に絵里夏は答えると、青風と共に右の機甲兵に躍りかかった。
 少女に向けて鉄柱が振り回された。
 少女は巧みに避けると、床近くまで腰を落とし、機甲兵の丁度人間の足と腰の間に当たる部分を突いた。
 硬い音が響いたが、絵里夏の手にした剣は曲がることも刃が欠けることもなかった。
 間接を突かれてバランスを崩した機甲兵に、青風の大太刀が振り下ろされた。
 剛健な機甲兵の腕を叩き割るとその胴を切り取った。
 どろりと機甲兵の体から赤茶色の液体がこぼれ落ち、甲板を汚した。
 勢いよく振り下ろされたのにもかかわらず、鉄をも切り裂いたその剣は甲板に傷をつけていなかった。
 不必要に斬ったりしないのだ。彼の剣は。
 絵里夏は燃料の異臭に、不快そうな顔をした。
 秋月は間髪居れずに力を放っていた。
 機甲兵の体はボコボコになっていた。
 破裂音と共に黒い腕が吹き飛ぶ。
 秋月は知らずと声をあげて、笑っていた。
 母の物を壊すことが、楽しくてたまらなかった。
 秋月の魔法に巻き込まれるのを怖れて、皆、遠巻きに様子を窺っていた。
 とうの昔に勝負のついている機甲兵は、ついにその動きを止めた。
 だが、秋月は歩み寄ると、さらに不可視の力をぶつけた。
 秋月が機甲兵の体を踏みつける時には、その体は赤ん坊ほどの大きさしか残されていなかった。残りは砕かれ、辺りに散乱している。
 その場の誰もが、周囲にまき散らされた燃料がまるで血であるかの様な錯覚を覚えた。
 もう一隻の正治の船は初めに受けた砲撃が効いていたらしく、不幸にも沈みかけていた。
 しかし、海へと脱出した兵の何人かが零国の船にはい上がっていた。
 船室に居るであろう機甲兵の操り手たちにそれに気づく術はない。
「借りは返さないとなぁ。全員、まだ戦えるなっ」
 青風は海に落ちた仲間を救うための小舟を海面におろさせると、自身の船は英知の船を追わせた。
 絵里夏は、次々と青風の指示を伝えて回っていた。
「おかしいな……」
 秋月は機甲兵の破片を見下ろしながら呟いたが、それは周囲の声にかき消された。
(いくら愚かでも、こんな機甲兵で、活の王が殺れると母は考えるだろうか。もっと周到にやるはずだ)
 はっとして、秋月は青風が破壊した機甲兵に目を向けた。
 人混みの隙間から見えたそれは、僅かだが煙がくすぶっていた。
 機甲兵は他国にその技術を奪われないように、自爆し焼却する手段がある。
「――――そいつから離れろっ。爆発するぞ!!」
 秋月が叫んだとき、正治の民の反応は素早かった。
 すぐに機甲兵に数人が取り付き、海に押し出す。
 残りの者達は物陰に隠れ、秋月以外の全員が甲板に伏せた。
 船の側面で小さな太陽が産まれた。
 白い光と熱が甲板を包み込む。
 船が大きく傾いた。
 秋月の足が、後ろに数歩たたらを踏んだ。
 秋月の背を支えるべき船の縁は、腰より低い位置まで下がっていた。



「我が子を我が子と思わぬか……黒姫」
 忌々しげに呟きながら青風は起きあがった。
 青風は昔零国のとある宴で黒姫と対面したときの事を思い出していた。
 小さい王子――本当は姫だったが――を連れ、長く波打つ黒髪に白い肌が栄えた。とても美しかったが、幼い日の青風を見る目は差別的な視線だった。
 彼女は青い髪の民が触れた物は、後で全て処分させたという。
 耳を塞ぎ損ねた者は鼓膜を痛めたのか、身振りでやりとりをしていた。
「青風様、一人海に落ちましたっ」
 兵のひとりが水音を聞いたと、声をあげた。
「すぐに拾えっ。南下していたとはいえ、この辺りの水はまだ冷たいぞ」
 うめき声を上げながら、皆が起きあがってくる。
 青風は船内の者に浸水しているかどうか声をかけた。
 どうやら船は大打撃を受けたが、航行に支障は無さそうだった。
 しかし、逃げる零国の船に追いつけるだけの速度は出そうになかった。
 青風はすでに零国の船に乗り込んだ者たちの身を案じ、通信兵に撤収の信号を打ち上げさせた。
 あまりに強い光に頭痛を覚えた絵里夏は、額を抑えながら甲板を一望した。
 違和感。もう一度甲板をよく見渡す、そして違和感の元に気づいて声をあげた。
「青風様っ。秋月が居ませんっ」
 その後、青風たちの必死の捜索にもかかわらず秋月の姿は見つからなかった。



 海に出て服を洗っていた褐色の肌と赤い髪をした女は、波間に漂う物に目を細めた。
 それが人影だと知ると女はすぐに漁師に声をかけた。
 漁師はすぐに小舟を出すと、人影に巧みに船を寄せた。
 船に引き上げた若者の顔を見て、漁師は目を奪われた。
 若者は緑色の衣を着て、黒い髪をしていた。
 色白の肌が、長い間水中にいたせいでいっそう白くなっていた。
 男とも女とも取れない、美しい顔をしていた。
 仏さんかどうか確認しようと、漁師の手が若者の胸元に触れた。
 その腕を白い手が掴んだ。
「……ここは?」
 若者が薄く目を開けると、ともすれば聞き逃しそうな小さい声で聞いた。
 腕を掴むその手はとても冷たかった。
「緑国の外れさ、待ってな。すぐ、温かい場所に連れてってやるから」
 それだけ聞いて安心したのか、若者は目を閉じた。

 

第六話 大地は緑を芽吹かせ

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