秋月は開いた扉の前で立ち止まると、部屋の中に目を向けた。
 暗闇の中を、湖面が青く輝いていた。
 向こう岸が見えないほど広い。
 扉の先は城の中では無く、何処か別の世界に繋がっているのだと秋月は感じた
 その中で、イサンテが水際にかがみ込んでいた。
 水面に手をつけて、異国の言葉で何か語りかけている。
 誰と話しているかはすぐに知れた。水中には胸の前を手で組んだ幼子が眠っていたから。
 幼い少女の耳は長く、髪は青い。人間ではなかった。
 ただ青風の髪と同じ色をしているな、と秋月は思った。
 イサンテの声はとても穏やかで、言葉がわからなくても彼の安らぎが秋月に伝わってくる。
 秋月は声をかけようかしばらく躊躇ってから、彼に背を向けた。
 小さく秋月の足音が響いた。
 とたんに殺意が膨れ上がるのを感じて、秋月は振り返った。
 秋月は上からの力に地面に叩きつけられた。
 頭上に目だけ向けると、そこにはイサンテが作った作用点が空間を押し広げていた。
 白い壁や床がゼリーのように震え、形を崩した。
「――――何だ。君か」
 拍子抜けした声と共に、秋月の背中から重圧が消えた。
 秋月が体を起こすと、その手に床の一部だったものが付着していた。
 気味が悪くて、手を振って落す。
 イサンテは城の壁を見てぼやいた。
「折角ここまで硬化してきたのに、また固定のやり直しだ。君が僕に余計な力を使わせるからだよ?」
 今イサンテは城をこの世界に呼び戻すと、その維持に力の大半を使っていた。
 城の下層では、魔物が次々と産声を上げている。
 いかに強くても一人では世界を相手取ることはできない、それがイサンテの理屈だった。
「すまない……邪魔をする気は無かった」
 秋月が立ち上がる頃には、城の床は元の硬さに戻っていた。
「いいよ。もう、ここは閉じるから。――――次は、花を持ってくるからね」
 最後の言葉は、水中の少女に向けたものだった。
 イサンテの背の向こうで、少女は変わらず眠っていた。

第八話 全ては零(ぜろ)へ

「まず、君が使う術は二種類ある」
 イサンテは人差し指を立てて言った。
「一つは僕が君に与えた空間を左右する力。君の言葉を借りれば作用点を定めて行使する力のことだね。君が使えるのは、『移動』『固定』『結界』『転移』の四つ。まぁ、初歩としては十分だね」
 移動とは、例えばパーティションを地球儀の形へと変化させたり、破壊の民の兵士たちが手にした武器を地面に移動させたり、亀の化け物を倒す時に使った力のことで、逆に移動させた物が元に戻らないように押さえる力を固定と呼ぶ。
 一方結界は、複数の作用点の間に線を引くことで、空間に極僅かな断層を生じさせる。これは白虎の城でバルコニーと部屋の間に作っていた――――青風には斬られたが。
 そして最後の転移は、イメージした場所に空間を跳ばすこと。イサンテが青風の刃を逃れて、絵里夏の背後に現れた時に使った力だ。青風と絵里夏が零国の王城へと転移したのは、秋月にとってそこが一番イメージしやすい場所だったからだ。
「ただ転移は、一カ所しかイメージできないうちはやらない方が良いね。待ち伏せを受けるよ?」
 もし、イメージが足りなかったらどうなるのか、と秋月は聞いた。
 着地先がわからないのだから、消えたままだろうねとイサンテは答えた。
「もう一つは、この世界に昔から伝わる火や水を操る魔術。こちらは大気中に含まれる力を呪文によって引き出し、操る力。君にこれから覚えてもらうのは、この魔術だ。こちらの方が、この世界では合っているからね。君なら空間を操るより、ずっと簡単じゃないかな」
 秋月はイサンテに教えられ、火の呪文を教えられた。
 呪文は、集魔、発現、制御の三つのプロセスを臨機応変に組み合わせるものだった。どれだけ魔力を集め、どんな力に変えるか決め、最後に術が正常に動作するように呪文を締める。術の威力が大きいほど、集魔に時間がかかる。時間短縮と威力の調節には慣れが必要だった。
 火の術をある程度物にすると、秋月は「本当に術はこの二種類しか無いのか」と聞いた。
 イサンテは優しく答えた。
「後は君の力量しだいだよ。僕の与えた力で、応用を利かせてごらん」



 永遠の夜の中、異国の星明かりと無数の松明が大地を照らしていた。
 星は太陽に消されることなく、一週間ずっと瞬き続けた。
 黒姫は馬車から降りると、黒い土台にそびえ立つ白い城の方を向いた。
 前方には機甲兵が群れとなり、赤い大地を黒く染めていた。
 長く美しい黒髪が風にあおられるのを、そっと手で押さえる。
 馬車の周囲には零国の兵ばかりか、黄国の兵が騎竜した状態で、その時を待っていた。
 立派な翼を持った飛竜を馬代わりにする壮年の男が、黒姫の元に近寄った。
 飛竜に乗るのは破壊の民でただ一人、王の白虎だ。
「緑国の新王は幼くて可哀想だ。取りこぼした化け物の駆逐にしか出られんとはなぁ」
 白虎は自分の力を思う存分ふるえるのが、楽しくてたまらない風だった。
 黒姫は自分に続いて馬車を降りてくる青い髪の者たちに目を向けた。
 青風は罰の悪そうな顔をして、絵里夏と共に地面に降り立った。
「正治の民は全員、外周からの援助と緑国の兵と共に行動する。あの城には近寄らん。これでいいんだな?」
 青風の言葉に、黒姫は結構、と頷いた。
「当然であろ。先頭は心無き兵、機甲兵に任せときい」
 黒姫は小間使いに髪をまとめさせ、額と両腕に金冠を通した。
 どちらも黒姫専用の機甲兵を操るための送信機である。
 黒姫の思念を受けて、馬車の荷台から機甲兵が降り立った。
 機甲兵は表向きこそ他国との戦用だが、その実はイサンテが復活したときの対策として作られた物だ。
 始祖の時代、英知の民はイサンテの心を操る力に対抗するために、初めから心を持たない兵であれば彼に寝返ることはないと考え、無人の兵を作ろうとした。
 それは始祖の時代には完成しなかったが、子孫はその意志を継いだのである。
 ただし、今の時代でこの事実を知るのは黒の名を継いだ国王のみ。
 黒姫に訳を問えば、イサンテが生きていると知ればその力を利用しようとする阿呆がいるからの、と答えるだろう。
 黒姫は自分の機甲兵の動作に満足がいくと、絵里夏に視線を降ろして不快そうに言った。
「その娘も連れていくのかえ? 一度、あやつに傀儡(くぐつ)されたのであろ」
 操られ青風に刃を向けていた間の事を思い出して、絵梨夏は悔しげに口を歪めた。
 青風がそんな絵梨夏の心中を察して答えた。
「絵梨夏は腕が立つ。城を昇るのに力になる。……もし、次に傀儡(くぐつ)されたときの覚悟はできているな?」
 絵梨夏は神妙にうなずいた。
 白虎が飛竜の背の上で豪快に笑った。
「黒姫よ。許してやろうじゃないか」
 身を乗り出して声をかける。
 黒姫は、しぶしぶといった風に絵梨夏の同行を認めた。
「ふんっ。……いつまでも昔の我らと思っている阿呆の目を解くと覚ましてやろうぞ」
 黒姫は右腕を上げ、全ての兵に進軍の合図を出した。



 城の最上階はとても静かだった。
 秋月の首を、背後から細い腕がまわされた。
 チャラリと細い銀色の鎖が音をたてる。
「やっぱりね。余計な宝石は少ない方が、君にはよく似合う」
 誉められたのに秋月は不服そうな顔をした。
「でも、女性の跡継ぎも認められているのに、どうして君は王子で育ったのかな?」
 くすくすと笑いながら、イサンテは言った。
「知るかっ。心を読んでいるなら、わざわざ聞かなくてもいいだろう」
「じゃあ、黒姫を殺す前に聞こうかなあ。夫の身代わりにしたんですかぁ? ってね」
「それは――――」
 秋月の口が言いよどむ。
 物心がついたときはすでに男の格好をしていた。父の顔は肖像画でしか知らない。
 一人称を僕と呼ぶように教えられ、低い声を作る練習もした。
 でもそれは、女帝が二代続くことが好ましくないからだと聞いていた。

――――イサンテの言うように、本当は――――。

 考え込む秋月をよそに、イサンテは窓を開けた。
 空には星が瞬いていた。
 冷たく乾いた風が部屋に流れ込む。
「さぁ、また術の練習をしようか」
 イサンテはバルコニーに出ると、続いて秋月も外に出た。
 バルコニーの手すりに頬杖をつきながら、イサンテは見下ろした。
 北の方角、零国と黄国のある方向から兵は城へと迫っていた。
 先陣を切る黒い鎧の兵たちは、すでに城の外に放たれた魔物たちと交戦を始めていた。
「ほんの一週間足らずだっていうのに、君らはよほど戦を続けて居たんだねぇ? だって、こんなに集まるのが早いんだもの」
 イサンテは秋月を手すりの側へと促した。
 的が良く見えるようにと。
「そろそろ君の仕上げに入ろうか。前とは比べモノにならない君の力を、黒姫に見せてごらんよ。狙うのは、もちろん彼女の兵だよ」
 声は無邪気に、――――秋月に自国の兵を殺せと、告げた。
 秋月は眼下を見下ろして、首を振った。
 イサンテは微笑んだ。
「出来ない? どうして? 君はあんなに、人を殺すのが好きなのに。素手で肉を裂き、血を見るのが大好きなのはわかるけど、それは後にとっておかなくちゃ」
「そんなものは――――」
「だって笑ってたんでしょ? 赤髭の親子を殺した時にさ」
 イサンテに指摘されて、秋月は言葉を詰まらせた。
「ほんの一撃で良いんだ。彼らがそれを見て逃げ帰るなら、それも良い。まだ、事を起こすには僕らの準備が足りないもの。だからね、まずは君が本気であると彼らに伝えなくちゃ」
 秋月はもう一度眼下を見渡した。
 零国の兵士たちの姿は、赤い大地を這う黒い蟻(あり)の群れのようだった。
 秋月の口から呪文がこぼれる。
 それは遠い古に失われた魔術、イサンテから教えられたもの、部屋一つを火の海にする火炎の術。
 ここから目標への距離は術をかけるにはあまりに遠い。
 そこで秋月は詠唱と同時に作用点を零国の軍団の中央に定めた。
 後はその点から術が吹き出すことを考えればいい。
 術に巻き込むのはほんの数体だけで十分だろうと考え、秋月は集める魔力の量を加減した。
 イサンテは口の端を歪める。
 秋月の術の制御は完璧だった。



 その時、圧倒的な光が暗い夜空を切裂いた。
 まるで昼が戻ってきたかのように、紅蓮の炎が空を照らしだす。
 天まで届こうかという炎球は見る間に先陣を飲み込むと、数百といた零国の兵を魔物もろとも焼き尽くした。
  炎の中で機甲兵の鎧は熱でねじり溶け、燃料が更なる炎を生んだ。零国の兵との境にいた黄国の兵も何名か逃れる間もなく炎に飲まれた。
 白虎は竜を操ると、その翼で黒姫たちを熱風から庇う。
 炎はすぐに収まったが、空に黒い煙昇り、異臭が立ちこめる。
 機甲兵の燃料が燃えた後に吐き出す匂いだった。
 流石の白虎も眼前の光景が信じられないらしく、声が出ない。
 恐怖と絶望に兵たちの足は止まった。
 あんな力にどうやって対抗すればいいのだ、と。
 そんな中、初めに動いたのは青風だった。
 黒姫に手を貸し、絵里夏共々白虎の操る飛竜の背に跳び乗った。
「急ぎましょう。白虎殿。魔物はどうとでもなるが――――あの術を何度も撃たせては……」
 竜の背の上で、黒姫は青風の手を払うと自分の機甲兵を呼び寄せた。
 そのまま後部に座ると、機甲兵に体を支えさせる。
「王っ、我らも共にっ」
 我に返った破壊の民の兵たちが何人か進言した。
 しかし、白虎は断った。
 飛竜は一体しかおらず、乗せられる人数も限られていた。
 空に飛び立つべく、頭を上げて白虎は苦い顔をした。
 今だ鼻の詰まるような匂いの煙が、強風に押し流されながら空へと吸い込まれていた。
 暗闇に紛れようにも、煙を裂いて飛べば見つかってしまう。
「城に入れば、強力な術は使えなくなる。煙を迂回して……城の中央辺りからなら取り付けないか?」
 青風も同じ事に気づいていた。
「やってみよう。イサンテの顔も見ずには死ねんからなあ」
 白虎は凄まじい破壊力を目にして、興奮していた。
 あれだけ圧倒的な、一方的な力など今まで見たこともない。
 手綱を引くと、竜が空に舞い上がる。
「……楽しそうね」
 ぽつりと絵里夏が呟いた。



「……どうして」
 乾いた声で秋月は呟いた。
 ここまでやるつもりはなかった。それ以上に、想像を絶する術の威力に呆然としていた。
 はっとして、イサンテを見た。
 彼は小さくなってゆく炎を背にして、秋月に笑いかけた。
「あはっ、練習室と同じようにやったね? 君が力を使えば使うほど、この世界に魔力が満ちてくのさ。一週間前なら、小さい炎にしかならなかっただろうけど、今では見ての通り。綺麗だね。君の国の兵は、みーんな居なくなっちゃった」
 両腕を広げ、とても嬉しそうに少年は言った。
「でも良いよね? だって君はもう、国には戻らないんだもの」
 イサンテの声を聞き、気分が落ち着いてくると、秋月は妙な心地よさを感じた。
 優越感だった。魔術とはこうも力を持つものか、と。
 そして、古とは違い、今いる魔術師は秋月ただひとり。
「――――魔に魅入られるとは、この事か」
 秋月は呟いた。
 イサンテが空を指差した。
「見てご覧よ。馬鹿な竜が一頭、こちらに来るよ。……そうだね、彼らが来るまでお茶にしようか」


 外では魔物と軍勢が争い、城内には侵入者を抱えていると言うのに、ここ――――最上階は静かだった。
 お茶を並べながら、イサンテはよく話した。
 それはもっぱらこの世界への関心と秋月への問いだった。
 四つの国が今でも争っていることに彼は落胆した様子だった。
「変わっていないね。君らは王を神のごとく、神聖視する傾向がある。"零国の跡継ぎ(きみ)"が他の王族全てを倒してしまえば、僕らに従う者も現れるだろう」
「正治の民は呼ばないのか?」
 秋月は、イサンテの発言をいぶかしんだ。
 青風の話を聞いた限りでは、イサンテが戻った以上、正治の民がはせ参じても良いはずだ。
「君と僕だけで十分だよ」
 イサンテは不敵な笑みを浮かべた。
 彼は秋月の見る限り、いつでも笑っていた。
 優しく微笑むこともある。しかし、どの笑みも瞳は憎しみが詰まっていた。
 ほんの少しつつけば、笑みは崩れ、憎しみが表に溢れ返りそうだ。
 そんなイサンテの様子に、秋月は白虎の誕生日会で常に気を張っていた自分の姿を思い出した。
 彼はずっとそんな笑みを作り続けているのだろうか。
 水中に眠る少女の前では、あんなに安らいでいたと言うのに。
「イサンテは何をそんなに憎む?」
 口にしてから、そう言えば前に青風が似たようなことを自分に聞いていたな、と思った。
 イサンテは何を今更聞くのだといった顔をした。
「君が黒姫を恨むのと同じだよ」




 長い回廊を水が流れている。純白の色をした異国の建築物は美しかった。
 しかし、四人の侵入者たちに風情を楽しむ暇(いとま)は無かった。
 魔物の大半は戦場に出ているらしく、城はがらんどうだった。
 極僅かに現れる魔物は、白虎の振るう鎚(つち)や青風の大太刀の前に倒れていった。
 絵里夏はふいを突いてくる魔物に対して、誰よりも素早く反応した。
 生身での戦闘力を持たない黒姫は皆の中央に位置し、機甲兵で魔物の動きを止め、そこを手の空いている者がトドメを刺す。
 そんな中で黒姫は絵梨夏に声をかけた。
「のう。あやつに操られた時、どんな気分じゃった?」
「……」
 絵里夏はうつむきぎみで、答えなかった。
「俺も、聞きたいな」
 青風言われて、絵里夏は顔をあげた。
 真っ直ぐに青風を見つめる。
「秋月にかまってばかりの貴方に呆れ果てた。世界一の剣士と戦いたいと思った。後はおぼろにしか覚えていない――――ただ、寂しいと」
 白虎は目の前の魔物を叩きつぶしてしまうと、豪快に笑った。
「そいつは良い。こんな魔物より、青風の方が面白かろう」
「……白虎殿」
 青風が勘弁してくれと言う風に、声をあげた。
 絵里夏は王に刃を向けてしまったことを悔いていた。
「わかっておればよい。次は感情に流されるでないよ」
 優しげな声と共にぽんと肩を叩かれ、絵里夏は振り向いた。
 黒姫は何も無かったのように立っていた。
 あの正治の民を毛嫌いしてきた黒姫が、励ました……のだろうか。
「はいっ」
 絵里夏は元気よく答えた。
 王以外にこの様な返事を返すのは初めてだった。

 

第九話 終月(しゅうげつ)

[戻る]