人の胴ほどもある鋼より硬くしなやかな白い糸の束は、白い大太刀を受け止めきれず分断された。返す刃が蜘蛛の振り上げた腕もろともにその首を落とした。
 切り落とした主は、蜘蛛の最後を見届けずに次の魔物に向けて駆けた。 
 始めにそれに気づいたのは、白虎だった。
 今まで何度か戦場で相対した青い髪の王は、こうも熱心だったろうか。
 いいや違う。青風は強いが、戦で剣技を披露することは少なかった。
 何が青風を本気にさせたのか、白虎は槌(つち)を持ち上げながら考えた。
 それとなく白虎は青風と背中を合わせる。
 青風が口を開いた。
「白虎殿。ここに居るのはどれも幼体だ。手ごたえがなさ過ぎる。……一週間でこれでは」
「もっと遅くに来れば、楽しかったろうなぁ。残念だ」
「いや、白虎殿。そうではなくて……」
 青風は、白虎に普通の反応を期待したことが間違いだったと改めて感じた。
 だが、次に白虎が発した言葉は、青風の脱力した肩を戻させた。
「イサンテが秋月を盾にしたら、斬れるか? 青風」
「それはどういう――――」
「惚れた相手を斬れるか」

――今なら分かる。青風が言っていた事の意味、……よく、わかるよ――

「……屍が息を吹き返すならそれもいい。だが、そのままであれば…」
 言い終わらないうちに青風は白虎の側を離れ、大太刀で魔物をないだ。
 それが青風の決意の現れだと示すように。



 巨大な鎚(つち)に殴られ、扉は音を立てて開け放たれた。
 水音。清らかな水のカーテンが壁を流れ落ちていた。落ちた水は、ガラスのはめ込まれた床の溝を伝って床を横断していた。
 部屋の中は、光に満ちていた。
 四人の男女が中へと進んだ。
 先頭の男二人はどちらも戦士だ。片方は白髪で右目に眼帯をして、扉をこじ開けた鎚を軽々と手にしている。もう一人はこの城の壁とよく似た色の白い大太刀をもつ、青い髪の青年だった。
 後ろを同じ青い髪をした娘が、黒い服に身を包んだ女とともに立っていた。女の隣には黒い鋼の兵士が控えていた。
 黄国の王白虎、活国の王青風とその妹絵里夏、そして零国の女王黒姫と彼女の操る機甲兵は、目的地についたのだと肌で感じていた。
 玉座の脇に立つ、人外の気配を漂わせる少年は明るく言った。
「外から声をかければ、すぐに開けたのに。野蛮だなあ」
 秋月は、手にしていたカップをテーブルにおろすと、四人の方を向いた。
 秋月はイサンテの用意した黒いドレスを纏っていた。黒姫は妖艶さをかもしだすのに対し、秋月のそれは極力色気を抑えたものだった。

 例えるなら、そう、喪服のような。

第九話 終月(しゅうげつ)

 少年、イサンテは王座の脇からふわりと降りた。若葉色の髪がゆれる。
 青い瞳は、深く暗く、長く見ると心を奪われそうになる。
 それが錯覚ではないと、その場の全員が気づいていた。
「また治療しようか?」
 イサンテは絵梨夏を見て、小さく笑った。
「君は、王をうとんでいた。公務は人任せ、剣術の腕だって君とそう変わらない。――――まぁ、一番に罪なのは彼が君の気持ちを勘違いして代弁することだよね。君だって、彼を独占したいほど好きなのに、彼は別の人を見ているんだもの」
 青い髪を頭の両脇でしばり、腰に細身の剣を備えた少女は一度、兄の背中を見た。
 大太刀を扱うのに、長い髪をくくりもせず、ただ金の輪で目にかかりそうな髪だけを押さえている。
 ずっと昔から見てきた背中、私を向いてくれない彼。
「ねぇ、そんな時どうすれば良いか教えてあげる。彼が他の人に取られる前にね――――殺してしまえばいいんだよ?」
 イサンテの声は、妹に絵本を読んで聞かせるような優しさがあった。
 自分の言葉が正しいことであると、諭すように。
 青風はイサンテの言葉にも動じず、ただ太刀を手に前を向いていた。
 秋月の方を向いていた。
 絵梨夏は深呼吸をすると、答えた。
「もう、私は彼の背中を守っている。彼の見えない場所を私が見る。王が全てを取り仕切ることもないし、私たちはそんな王を慕っている。安易に命を奪うことは――――彼の意に反すること」
 なぜ青風が背中を向けているかなんて、わかりきっていたことだ。
 私を信頼しているから。
 絵梨夏の瞳に迷いはなく、イサンテは一瞬能面のような顔を見せた。
「――――つまらないな」
 次にイサンテは、絵梨夏の手前に立つ兄を見て、声をかけるのを止めた。
 青風の太刀は無形の物も断つ。魔力も、だ。
 正治の民は、城主が留守の間は力を蓄えろと命令を受けていた。
 彼らは命令に従うには、有能だった。
 長い年月をかけて培われた剣術は、いつしかイサンテの残した暗示をも断ちつつある。
 だから青風は王の座を明け渡さないのだ。
「じゃあ、君はどうなの? 人をなぶるのが大好きな君は」
 イサンテは気を取り直すと、矛先を白虎へと変えた。
 白虎の全身には、途中で倒してきた魔物の血が飛び散っていた。白い衣も白い髪も、今では緑や赤のまだら模様だ。
 白虎はイサンテを前にして、とても楽しそうだった。
「ああ、拷問は良い。一番いいのは、いつまでも歯向かう奴だ。破壊の民たるもの、ああでなくては」
 白虎の返事に、イサンテはとても満足げだった。
「でも君が大好きな趣味の話をしても、みんなそそくさと出て行ってしまうよね。だから、君は秋月を見て喜んだ。彼女なら、君の趣味を理解してくれると思ってね。――――ねぇ。どうして罪人にしか手をかけないの? そんなに楽しいのに」
 白虎は槌(つち)を床におろすと、柄に手をついて考えた。
 しばらく首をひねってから、彼は言った。
「そうか、秋月は女だったかぁ」
 妙に納得した顔で、白虎はうなずいた。

 しばしの間。

 絵梨夏の目は遠くを見た。
 そう言えば、誰も白虎に秋月の性別を伝えていなかったなぁ、と。
 黒姫が、今の姿を見て分からぬとは…とに白虎の愚かなことよ、とぼやいた。
 青風は、自分が男に惚れているのだと今まで白虎に思われていたのだと気づいて、少々焦った。
「……僕の話、聞いてるよね?」
 流石に、イサンテも少し冷ややかだ。
「拷問は楽しい、三番目ぐらいにな。一番は、強い奴と命のやり取りをすることだ」
 白虎は自分の右目の眼帯を指差した。
「前王は右目をくれてやっても惜しくない男だった。二番目は、荒くれ者ぞろいの民をまとめることかな。連中はすぐに徒党を組んで、白の名を欲してかかってくるからなあ。次は女……そうか、拷問は四番目だな」
「ふぅん。君は強すぎるんだ。だから、国で他の相手がいなくなる。…強いのなら、君の隣にいるのにねぇ?」
 白虎は首を振り、残念そうに告げた。
「青風は腕は立つがな。いかんせん、太刀筋が綺麗すぎる。――――それに比べて秋月は良かったんだがなぁ」
「ならおいでよ。君は――――」
 イサンテの声を遮るように、白虎は豪快に笑い飛ばした。
「ああ、楽しい。これが過去に正治の民を操った術の一端か。これに逆らって槌(つち)を振るうのはもっと楽しいだろうなぁ」
 白虎は自分の獲物を持ち上げ、構え直した。
 イサンテは話しかけたのが間違いだったか……と、ため息をついた。
「イサンテ、とかゆうたか。そこにおるのはわらわの娘じゃ。ぬしの道具ではないぞ」
 黒姫は細い指で秋月を指差して言った。
 イサンテはあざ笑う。
「そう? じゃあ、君の道具に戻す? 船を爆破したり、兵を送り込んだり、よくやるよねぇ」
 それまで何の反応を見せなかった秋月が、ぴくりと肩を動かした。
「失った船の代わりの迎えよ」
「……君は秋月の力を手に入れて、一気に零国の支配を拡大させるつもりだった。欲しいのは秋月じゃなくて、力だろう? それなら、今ここで存分に味わうといい。その身でね」
 イサンテは軽く地面を蹴った。
 ほんの一動作は、仕草以上の跳躍を見せ、秋月の脇へと着地する。
 秋月の耳にイサンテは囁いた。
「先に青風を殺れ。後の連中はどうにでもなる」
 青風と白虎は、すぐに駆け出した。
「絵里夏は黒姫の守りを。白虎殿」
「応!」
 秋月の口から呪文が流れる。さっきまでの話し合いで集魔は済んでいた。
 二人の戦士が一気に間合いを詰めるのを見ながら、秋月は――――。
「双方、待てい!!」
 黒姫の一喝に青風と白虎は左右に跳ねた。
 二人のいた場所に火柱が上がり、すぐに消えた。
 黒姫は真っ直ぐに秋月を見た。母の目は涙にうるんでいた。
「秋月。まだそなたの声を聞いておらぬ」

――――構うなよ。さっきの火加減は良かった。もう一度だ。

 秋月はうなづくと、黒姫から目をそらした。
「そなたは文句ひとつ言わずに、よう母の指示に答えてくれた。だから、ほんに誉れ高い子だと……」
 声に嗚咽が混じりだしているのに気づいて、秋月は視線を戻した。
 母が、泣いていた。
「……なんで、いつも貴女はそうなんだっ」
 秋月は呪文を中断させて、声を荒げた。

――――秋月。構うなと。

 イサンテの制止に逆らって、秋月は言葉を続けた。
「私に期待ばかりを押しつける。肝心のことは、いつも説明してくれない。貴女に刃で貫かれる人の痛みがわかるか? 毒に焼かれる内蔵の痛みがわかるか? 私は何もこの世を滅ぼしたいわけじゃない。ただ……」
 荒ぶった声は、次第にいつものトーンに下がっていた。
「ただ……自分の場所が、欲しいだけだ」
 白虎は声に出さずに笑った。
 そんな事で、自分の国の兵を吹き飛ばして見せた秋月が、たまらなかった。
 爆弾を抱えた幼子を目にしているようだ。
「……ようゆうたな」
 黒姫が悲しげに眉をよせて言った言葉は、優しかった。
 二人が話し合う間にも、青風と白虎はじりじりと場所を変えた。
 白虎は秋月とイサンテの周囲に薄い壁が張られているのに気づき、それが結界であると看破した。
 青風の刀であれば、その結界を裂くことができる。
 だが、イサンテは秋月たちの話を聞き、青風から目をそらさなかった。
「どうして、貴女がここに来た。貴女らしくもないっ」
 秋月の声は、質問ではなく悲痛に近かった。
「そなたが居るからじゃ。秋月、外の爆発に吹き飛んだのはガラクタだけじゃ・・・聡明なそなたであればわかるであろ? 英知の民はまだそなたを――――」
「く、くく……あははははは。いい加減にしたらどうだ」
 イサンテの笑い声が、黒姫の言葉を遮る。
「母親だと? ……貴様が秋月に求めたのは、頼れる夫の身代わりだろう。妄信したけりゃ好きなだけどうぞ」
 秋月はイサンテの声に、嘲り以外の何かが混ざっている気がして、隣を見た。
 そして思った。
 イサンテにも、親は居たのかと。


 イサンテは跳躍すると宙に立った。
 秋月の目に少年の周囲の空間が断たれ、結界を張ったことがわかる。
 イサンテの支えを失った城は、ゆるりと形を失っていった。
 一度固定させたものを解くと、今度は解除にも時間がかかってしまう。 
「秋月っ! 城ごと消し去ってしまえ! この世に王族など不要。王は君ひとりだ!」
 イサンテの怒りと殺意に飲まれ、秋月の口から呪文が流れる。
 この世界の全ての魔力がただ一人の手のうちに集まろうとして、大気が揺らいだ。
 青風は秋月へと大きく踏み込み間合いを詰めると、太刀を一閃した。
 パキン。
 秋月との間にある障壁が軽い音を立てて裂けた。
 別の方向から、白虎が巨大な鎚(つち)を振りかぶった。
 秋月は青風の背後を見た。
 振り下ろされた鎚(つち)は王座を叩きつぶし、破片が飛び散った。
 青風は大きく後ろへと踏みだしながら、振り向いた。
 秋月の視線を追って、転移先を見切る。
「ちっ。だから転移はまだ使うなと」
 イサンテが舌打ちをした。
 秋月は迫る刃から逃れようと身を反らすが、秋月は服の端が刃の届かぬ先でありながら斬れていった。
 秋月は笑みを浮かべた。
 それは勝利を確信した笑みだった。
 もう、十分すぎるだけの魔力は集まっていたから。
 そして、青風の大太刀が自身を斬るより、こちらの方が早い。
 イサンテが口の端を歪めた。

――――撃てっ!!

 しかし、秋月は発動と制御の最後の一音を唱えなかった。 
 深々とその身を刃が貫く。
 イサンテの心が乱れるのを、秋月は感じた。
 秋月の目が正気であると気づいて、青風は剣を止めた。
「術は二種類じゃない。もう一つ、あるんだよ。イサンテっ!」
 秋月が名を呼ぶと同時に、イサンテが痛みに叫んだ。
 逆に秋月の体の傷は跡こそあるものの塞がっていた。
 それは、あの赤髭の娘に毒を返した時と同じ呪い。
 ただの憎しみひとつで、己の傷を他者に押しつける。
 青風は左腕で秋月の背を支えると、右腕では白い大太刀を構えた。
 イサンテの足元、空間の断面に血が零れた。
「……やってくれる。生かしておいてやろうと思ったのに、残念だよ……。
 五界の彼方に消え去るがいい!!」
 イサンテは秋月の五体に作用点を定めると、”生かしたまま”別々の世界に跳ばそうと力を込めた。
 だが、一秒が経ち、二秒が経っても一向に力が作用しない。
 そもそも切れた肉と骨と血管をつなぎ合わせたはずなのに、血が止まらない。
 青風に支えられたまま秋月は言った。
「イサンテ。君が正治の民を呼ばなかった時からおかしいと思っていた。城で魔物を作らなくても、正治の民を呼び集める方がずっと楽だし早い。だから、呼ばないんじゃなくて、”できない”のだと気づいた。
 今の君は人の心を全て覗けるわけじゃない。そして覗くのも他人のトラウマばかり、力が足りないんだ。この世界に魔術を使う人間は僕しかいないから、なかなかこの世に魔力が満ちない」
 イサンテの結界が解け、流れた血と共に床に降りた。
 落ちた、のかもしれない。
「・・・この世に僕しか魔術を使う者がいないんだ。僕がその力を捨てれば魔力も消える。道理だろ?
 それでも、この世に残った魔力で君が何かしてはいけないと思って、全部、移したんだ」
 イサンテははっとして、黒姫の脇に棒立ちのデク人形を見た。
 毒も傷も押しつけられるなら、その力も魔力も別の物に。
 魔術を操るための意志を持たぬ、機甲兵の中へと移したと、そう秋月は告げていた。
「あれだけの力を……捨てる? 殺しを楽しむ君が?」
 イサンテは信じられないと、ぼやいた。
 部屋を流れていた水が濁り、白い壁面に黒い染みが広がっていく。
 秋月を介して呼び出された城は、仲介となる力とこの世に留めていた力の両方を失い、元の世界へと消えようとしていた。
 秋月は答えた。
「前に似た質問に答えたことがあるけどね。一度も、楽しんだ事は無い。……ただ、恐怖にかられて、笑うことはあったけどね」
 イサンテ自身も指先から徐々に染みは広がっていった。
 元の世界に戻れば、イサンテは傷を塞ぐことができるだろう。
 白虎が逃すまいと鎚(つち)を持ち上げたが、秋月が止めた。
 鎚(つち)は振り下ろされることなく、床に降ろされた。
「イサンテ。……何をそんなに憎む?」
 秋月はもう一度聞いた。
 イサンテは黒い影に覆われながら、くすりと笑った。
「……いいよ。人間の住む世界はここだけじゃあない。君らにはまた、時間をあげる」
 それだけ告げると、影は砂となって消えた。
 白虎はバルコニーから飛竜を呼ぶと、全員が乗り込み飛びたった。
 城は残された機甲兵や外の魔物共々黒い砂になると、星空へと吸い込まれた。
 空の一点から波紋が広がる。

 そして、世界は茜色に染まった。

 王たちがやってくれたと、飛竜に向けて足元から歓声があがる。
「わらわは秋月に甘えすぎたかのう。だから、これからは秋月がわらわに甘えてみせい」
 そう言って、黒姫は秋月を抱きしめた。
 出遅れた青風は、広げてしまった腕を何でもない風を装って組んだ。
 絵里夏は、夕焼けに染まる雲から視線を戻して、驚いた。
 青風の真っ青の髪が、鈍い黄金色に変わっている。
「青風様っ。髪が!」
 青風は苦笑して、
「絵里夏の髪も見ろ。……どうやら、我が民はクビになったらしい」
 絵里夏が慌てて結えた髪に目をやると、なじみのある青ではなく青風と同じ黄金色に変わっていた。

 

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