1.逆しまの空 ≫ 第一話 空の子(1/2)
 濃い緑の山々の向こうに、青空が広がっていた。
 荷台から木箱を下ろすと、青年はタオルで額や首周りの汗をぬぐった。
 山間の村は、大きな丸太の塀に囲まれていた。
 内側ほど柱が新しく、補修用の予備の丸太が村のあちらこちらに山と積まれてる。
 魔物が溢れ、昼の旅もままならなかった時代の名残だ。
「リーダー、ちょっと」
 青年、リューイはタオルを肩にかけて馬車へと振り返った。
 二台の幌馬車が並んでいる。
 うち片方から、細身の若者が木箱を抱えてやってくるところだった。
 垂れ目ぎみの顔つきのせいか、眠そうに見える。
「タオが見当たらないんだ」
「そっちに乗ってたんじゃないのか?」
 リューイは、もう一方の馬車の中を覗き込んだ。
 菫の香りがする。香水の匂いだ。
 中では、荷持つの仕分けしている女性ひとりだった。
 タオの居所を問いかけてみるも、女性は首を横にふった。
「さて……そうなる、と」
 リューイは腰に手をそえて、辺りを見渡した。
 柵の中の小さな村だ。居ればすぐに視界に入ってくるだろう。
 しかし、村の中にそれらしい人影は見当たらなかった。
「どうなさった?」
 荷の交渉に当たっていた村人が、リューイに声をかけた。
 太目の体つきで、人の良さそうなおじさんだ。
 リューイは、申し訳なさそうに口を開いた。
「いえね、娘の姿が見えなくて。緑の好きな子ですから、途中の山道で花でも見つけて降りてしまったんでしょう。すみません。後で探しに、」
 村人は血相を変えると、リューイの話が終わらないうちに喋りはじめた。
「そりゃあ大変だ。何も遠慮せんと、まだ日の出てるうちに探しに行くといい」
 そう言って、村人はリューイの背中を押した。
「いえ、そんなに急がなくても……」
「いいや、この辺りの山にはまだ魔物が潜んどる」
 魔物、と聞いてリューイの顔が強張った。
 魔物は主に、生まれながらに魔法を使う夜行性の獣のことを指した。
 どれも残虐なものばかりで、中には人間よりも賢いものまでいた。
 一時期は人間より魔物の数の方が多かったほどだ。
「王都に要請はされたんですか?」
「こんな田舎まではなかなか来んよ。それに、夕暮れに門を閉じてしまえば安全だ。あの壁を壊すような強い魔物じゃ無い」
 地上を覆いつくさんとした魔物を追い払われ、行商人が村々を行き来できるようになったのは、新しく現れた種族の竜や妖精の力によるところが大きい。
 人間が扱うのには難しい魔法を、彼らは易々と操った。
 王都を治める竜姫は、種族のわけ隔てなく魔物討伐のための兵を各地に派遣していた。
 それでも、全ての魔物を退治するには程遠く、村人で対処できるぐらいの魔物は後回しになっていた。
「夕方まで、ですか……」
 リューイは空を見上げた。
 太陽は頂点を過ぎ、傾き始めている。
「商談は後でもできるが、人の命は取り返しがつかん。行っといで」
「そう、ですね。――ローラン!」
 リューイの呼びかけに、降ろした商品の個数と中身をチェックしていた若者が顔を上げた。
 すらりとした長身に、腰まである長い金髪がよく似合う。
「タオを探してくる。後の商談は、君に一任する」
「それなら私が行きます」
「あの子が本気で逃げたら、君じゃ捕まえれないだろう。だからと言って、クウに頼んでも、何処かで寄り道をしてそうだ」
 木箱を運んでいる若者がクシャミをした。
 最初にタオの不在に気づいたのはクウだが、クウ曰く「いざという時に備えて休めるときに休む」という癖がある。
 こう晴れた日なら尚更だ。
「……わかりました」
 細い銀縁の眼鏡を直しながら、ローランが渋々と頷いた。
「すまないね」
 リューイは、水を飲んでいた馬の手綱を握ると、栗色のたてがみをなでた。
「悪いな。もうひと踏ん張り頼む」
 馬は主に従って歩きだす。
 リューイは先ほど越えてきた山の方を見ながら、溜息をついた。
「心配だなぁ…」
 リューイは鐙(あぶみ)に足をかけ、鞍(くら)にまたがる。
「居なくなったのは娘さんでしょう? そりゃあ心配でしょう。同じ子供の親としてわかりますとも。何なら、うちからも探しに出しましょうか」
 村人が申し出る。
 魔物の潜む地域ほど、人同士の結束が強い。
 相手が村の外の人間だとしても同じこと、助けあうことで暗い歴史を乗り越えてきたのだ。
 リューイは苦笑いを浮べて、気まずそうに答えた。
「いやぁ。それが、その……娘と遭遇した魔物の方が、心配でね」
「……は?」
「それでは、すぐ戻りますから」
 きょとんと目を開いた村人を残して、馬は駆けていく。
「いやいや、まさか。魔物が心配だなんて……私も耳も遠くなったかな」
 そう言って、村人は咳払いをした。

第一話 空の子

 山道を子供たちが歩いていた。
 どちらも十を少し超えたぐらいの年齢に見えた。
 先を歩くのは少年だ。
 色あせてよれている服と磨り減った靴を履いている。ズボンの膝小僧は色の違う布をあてていた。
 もう一人は麦わら帽子を被った女の子だった。
 上は若草色の柔らかそうな服、下には黒いスカートを着て、胸元に鳥の羽根の一部を桃色に染めたブローチをつけている。どれも新品同然の綺麗な服だった。
「このお山、動物が少ないねえ」
 麦わら帽子が落ちないように手で抑えながら、女の子が空を見上げて言う。
 視線の先には、鳥が群れをなして飛んでいた。
「もう。お前、ついてくんなよ」
 少年はここに来るまで、何度も口にした言葉を繰り返した。
「えーっ。だって、病気のお母さんのためにお薬取りに行くんでしょ? じゃあ、ボクも手伝うよ」
 そう言って、女の子は無邪気に笑う。
 麦わら帽子から短い緑色の髪と丸い耳が覗いていた。
 妖精じゃあるまいし、緑の髪の人間なんて聞いたことも見た事もない。
 おそらく動物の毛を染めて作った飾りなのだろう。
 たまたま道で出合って、一緒に行動していた。
 正直、女の子の存在は足手まといだった。
 着ている服でわかる、良い所の育ちなんだろう。
 まるで山道を歩くのも初めてといった感じに、落ち着きなく辺りを見渡しては、少年に質問を投げかけてくる。
 あの木は何、あの虫は何、といった具合にだ。
 中には毒のあるモノも混ざっているのに、無造作に手を伸ばすので、危なっかしい。
 そして、少年に注意されるたびに、「へぇ〜。凄いね。物知りだね」と、女の子は感心した。
 反省しているようには見えないし、注意してもすぐに忘れてしまう。
 何度か繰り返して、少年は悟った。
 こいつは、バカなんだ、と。
「タオ、お前女の子だろ。どうしてボクなんて言うんだ?」
「んっとねぇ。ボクの方が強そうだから」
 タオは白い歯をみせて笑った。
「だったら……いや、いいや、何でもない」
 『俺』の方が強そうじゃないか、などと入れ知恵したら本当に使いそうだったので少年は黙った。
(結構、可愛いのに。もったいない)


 最初は広かった道も、次第に狭くなってくる。
 左手には土の壁が、右手には山の裾野が広がっていた。
 道と斜面の間には杭が立っている。
「ちゃんとついてきてるよな……?」
 そっと後ろの様子をうかがう。
 少年の手にした杖を真似て、タオは途中で拾った小枝を振り回しながら歩いていた。
 もちろん、杭の向こう側は危ないから超えるな、と伝えてある。
 でも、タオの事だから、面白そうな物をみつけたら飛び出してしまいそうだ。
「ねー。ねー。これ何かな」
 無邪気な声が、少年の背中にかかる。
 またかよ、とうんざりぎみに振り返って、少年はぎょっとした。
 タオが手にした枝で、毒蛇の咽喉元を押さえ込んでいた。
 蛇は牙を剥いて威嚇している。牙は濡れて光っていた。
 毒蛇だ。
 少年の頬に汗が伝う。
「おい。そのままじっとしてろ」
 そう言って、少年はおっかなびっくりにタオに歩みよる。
「え、なに?」
 タオは首をかしげると、枝を持ち上げた。
「わっ。ばかっ! 放すなって!」
 少年は腕を伸ばして駆けよる。
 タオの杖を掴んで、もう一度蛇を押さえつけようと指をのばすが、あと数歩というところで届かなかった。
 自由になった蛇は頭をもたげ、少女の足を目指して突進する。
 少年の頭の中で、父に教えてもらった蛇に噛まれた時の対処法が、幾つも思い浮かんだ。
「どーしたの?」
 能天気な高い声がした。
 首をかしげるタオの右手で、頭を抑えられた蛇が暴れていた。
 白い牙の間から、赤い舌が出たり入ったりを繰り返す。
「ばかっ。外に放り投げるんだよ。早くっ」
 杭の向こう側に投げろと、少年が腕を振ってみせた。
 タオは言われるままに蛇を放った。
「かわいそー」
 蛇は見る間に小さくなって、森の緑に紛れて消えた。
 タオは膝をかかえ、崖下を見ていた。
「……変な奴」
「えー、変じゃないよぅ。ほらね」
 タオは一度むくれると、両手をぴんと伸ばしてその場で回ってみせた。
 黒いスカートがふわりと広がると、あまり日に焼けていない腕が布を押さえる。
 そして、にっこり笑って見せた。
 お日様みたいな笑顔だった。
「変だよ。女なら、キャーはあっても、蛇を掴んだりしねーよ」
 俺だって触りたくないのに、と心の中でつけたす。
「かーわいいのに」
 くすりと笑って、タオは少年の脇に駆け寄った。
 麦わら帽子の縁から、緑の毛が覗かせている。
 緑の髪飾りも肩の上ぐらいの長さしかない。
 地毛がこの髪飾りの下に隠れていることを考えると、女の子にしては随分と短い。
「なぁ、タオは何処から来たんだ? 家族は?」
「んとねぇ。あっち」
 タオは大きな雲の一つを指差して、得意げに言った。
「家族は、パパと、クゥと、サナと、ローランと……えーと、沢山」
 指折り数えたあと、タオは両手を広げていった。
 よほど大家族なのだろう、この手では足りないと言った風だ。
 少年は呆れたように、
「あっちは雲だぞ」
「うん。雲の上から来たの」
 雲の上に人が住んでいるなんて聞いた事がない。
 この無知な少女の事だから、きっと誰かに騙されているのだろう。
「お前なぁ……そういうのは、お伽話って言うんだぞ」
「おとぎばなし? おとぎばなしってどんなの?」
 黒い瞳が好奇心いっぱいに輝いて、少年の顔を覗きこむ。
「作り話ってことだよ」
 少年はそっぽむいて、ぶっきらぼうに答えた。
 そのほっぺたが少し赤い。
「ねぇねぇ、どんなお話があるの」
 はしゃいだ声が、少年の隣で聞こえる。
(まるで、犬っころに懐かれたみたいだ)
 もし、少女にしっぽがついていたら、さぞかし元気良く振られていることだろう。
「わかったよ。じゃあ、≪焔(ほむら)の英雄≫って話を知ってるか?」
 少年は、有名な英雄談のタイトルを伝えた。
 タオは首を横にふる。帽子の周りの緑の毛も一緒に揺れた。
 少年はひとつ頷くと話し出した。
「ずっとずっと昔、今とは違う神様が治めていた時代があったんだってさ。
 その頃は、魔の門から現れた魔物が世界中に溢れていて、妖精も竜もいなかったんだ。
 代わりに人間を同じ魔物に変えてしまう吸血鬼がいて、みんな、吸血鬼に怯えながら暮らしていた……」
 少女は真剣な顔で聞いていた。
 それに気をよくしたのか、少年の語りにも力が入る。
「でも、その時、一人の英雄が現れたんだ。
 黒い肌に黒い髪、尖った耳をした魔剣使いだよ。
 彼の手にした剣は蒼き炎を纏い、次々と吸血鬼を灰に変えていった。
 そうして、最後は吸血鬼たちの本拠地に乗り込んで、全てを焼き払ったんだ。魔の門も一緒にね。
 そして彼は人々の賞賛の声には耳を傾けず、姿を消した」
 少年は手に持つ杖を剣に見立てて、ふってみせる。
「ええっ。どうして居なくなっちゃったの!?」
「吸血鬼の他にも、悪い魔物が沢山いたんだ。
 だから、焔の英雄は残りの魔物を退治しに行ったのさ。
 ……そして、今も何処かで、みんなのために剣を振るっている」
「本当っ! 焔の英雄さんってずっとずっと昔の人なんでしょ。凄いねぇ、何歳だろう」
 少年はタオの言葉に苦笑を浮かべた。
「本気にするなよ。だから、お伽話なんだって。でも、カッコいいだろ?」
「うんっ」
 タオが元気良くうなづいた。
「じゃあ、次はタオの番な」
「ほぇ?」
「俺が話したから、次はタオの番。何でもいいよ」
 少女は真剣な顔で考え込む。
 そして、ぱっと顔が明るくすると、元気よく話し始めた。




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製作: TRK eXpress