1.逆しまの空 ≫ 第二話 新世界(1/2)

 天界時間で、ほんの数年前の話である。
 とある学生が、ほんの偶然から、雲の下にも人が暮らす世界がある事を発見した。
 その世界には魔法が存在せず、自分たちの腕力と知恵だけで様々な道具や建造物をこしらえていた。
 金属の塊が空を飛び、氷の大地や海の上に巨大な都を作る。
 お茶の一杯を飲む間にも、その世界は昼と夜を交互に繰り返し、カップを降ろす頃には都の外観は変わっていた。
 時間の流れが違うことを天使は、その世界が自分たちよりも下層に位置するからと理由付けた。
 高みより注がれる水が、下にいくほど勢いを増すように、この天界より遥か高みにおられる時の女神の力が、その世界に強く作用しているのだ。

 新世界の発見は天界の一大ニュースになり、全域に知れ渡った。
 天使は、人間が住む事と発見した学生の名前から、その新世界を『人界<ファミリア>』と呼んだ。

第二話 新世界

 そこには広い大地と海があった。
 空は移ろいやすく、夕暮れや夜があった。
 そして、沢山の生き物が暮らしていた。
 上で恐れられているような『闇』は何処にもなかった。


「タオ!? タオだろ。俺だよ」
 親しげに声をかけられて、柵から身を乗り出すようにして牛舎を覗き込んでいたタオは体をもどした。
 タオは困惑した様子で、首をかしげる。
「ほら、山に薬草を取りに行ったろ」
 少年は自分を顔を指差しながら答えた。
 やっと思い立ったらしく、タオの表情が明るくなった。
「お前、ちっさくなったなあ」
 タオの緑の髪に手をおいて、少年が笑う。
「えーっ、そっちがおっきくなったんじゃないかあ」
 タオは不平をもらした。
「……やっぱり、夢じゃなかったんだな」
 嬉しそうに、少年は少女を見下ろす。
 四年前に出会ったときの記憶と同じ服、同じ姿で少女は居た。
 違う所を上げるとすれば、麦わら帽子がないところだ。
「ずっと、謝りたかったんだ。ごめんな。信じてやれなくて。それと、――ありがとう」
 タオは瞬きをした後、少し照れたように笑った。
「そうだ、今からうちに来いよ。かあちゃんの手料理、食わせてやるから」
「ううん。今日は、もう帰らないと」
 タオは申し訳なさそうに告げた。
「じゃあ、お前の帽子。それだけでも取ってくるよ。また会えるなんて思ってなかったからさ。うちに置いてあるんだ」
 そう言って、走り出そうとする少年をタオは慌てて引きとめた。
「えっ、いいよ。うち、ここからだと遠いんじゃないの」
 なぜタオが家の場所を知っているのかという疑問を、少年は口にしなかった。
 きっと空からみていたに違いない。
「平気だって、すぐ戻るから」
「うん。でも……ほら、ボクも遅くなると、ここに来るのが遅れちゃうから」
「また来るのか!」
 少年の勢いに押されながら、タオは頷いた。
「じゃあ、次はいつ来るんだ」
「ごめん。ボクにもよくわからないんだ」
「……そっか。わかったよ。そっちにも色々事情があるんだよな。じゃあ、帽子も料理もまた今度」
「うん。またね」
 そうして、タオは少年の記憶と同じように、無邪気に笑った。



     ・/



 海鳥が、長い金髪をかすめて飛んでいく。
 その後に続いてやってくる鳥の群れをさけるように、リスカは白い翼をはためかせた。
 鳥たちが衝突を怖れないのではない。
 リスカの姿を認識していないのだ。
 姿隠しの幻術が正常に働いているのを確認すると、リスカは分厚い雲の中に飛び込んだ。
 雲の中には大地と並行して大きな門が、開いていた。
 天界へと繋がっている門(ゲート)をくぐらなければ、この人界から出ることは叶わない。
 くぐらず飛びつづけたところで、人界の民が宇宙と呼ぶ空間に出るだけである。

 世界は幾重に重なり合っている。
 最上部に位置する『神界』には、精霊と神々が住まい。
 雲上に位置する『天界』には、鳥と天使が住む。
 大地の上に位置する『人界』では、獣や人間が暮らしていた。
 天使たちは長く、この世界に存在するのは、神界と天界だけだと考えていた。
 しかし、人界の発見にともない、天使たちは、まだ自分たちの知らない世界があるのではないかと思いたった。
 そして、異界探索を主にしたゲート開発支部を設立した。
 リスカは、そんなゲート開発支部に所属していた。
 開発といっても、主な仕事はすでに発見した人界の調査と門の維持管理である。
 時の流れ方が大きく違うことから、正確な調査をするには直接、人界におもむかなくてはならなかった。

 次第に明るくなっていく白いもやの中を真っ直ぐに飛びながら、リスカはほんの少し微笑んだ。
 擬似人格(タオ)があまりに寄り道をするので、危うく目当ての少年が見つからないまま帰るところだった。
「母親も元気になったのだな」
 小さいは余計だったが、とリスカは心の中でぼやく。
 少年の成長に比べて、リスカの手は小さいままだった。
 当り前だ。リスカが少年と分かれてから、天界ではまだ半日も経っていない。
 睡眠時間に抜け出してきたのだ。
 人界に住む生き物は、ほんの少し目を離していると、赤子は子供に、子供は大人に、そして子や孫を残して死んでしまう。
 せめて、あの親子がどうなったかぐらいは、見届けたかった。



     ・/



 そこには広い空があった。
 そこでは白色の光が天上から降り注いでた。
 優しく穏やかな光の中では、影が出来いのが当り前だった。
 厚い雲海の上にある街はひとつきり、そこには翼の生えた人たちが暮らしていた。

 リスカは、注意深く翼を広げた。
 この辺りは強く羽ばたけば散ってしまうような雲ばかりだ。
 遠くに巨大な雲とその上にそびえる街が見えた。
 あれが、この天界で唯一の都市だ。
 都市に名前はなく、ただ『中央』と呼ばれていた。
 そんな都市を横目で見ながら、リスカは家を目指した。
 途切れ途切れに雲が浮かぶ中、何処までも青空がつづいていた。
 ほどなくして、厚みの安定していない雲の塊と、そこに建っている小さな館が見えてくる。
 『辺境』と呼ばれる地域に、リスカの家はあった。
 ゲート開発支部の総勢十四名が寝食を共にする仕事場兼寮だ。
 表には、輪が幾重にも重なった機械がみえた。
 輪はそれぞれ異なる速度と角度で回りつづけ、重なる隙間からもれる光は絶え間なく変化していた。
 あの機械こそ、第二の門である。
 重なり合う輪の隙間のひとつひとつが、天界の外の光景を映しているらしい。
 二枚の翼の天使たちが数名、機械の周囲にいる。
 彼らを避けるように、リスカは館の玄関に着地した。
 玄関では、黒を基調とした制服を纏う若者が立っていた。
 空色の髪に、濃いグリーンの瞳。その背中には二枚の翼を広げている。
 若者はうやうやしく頭を下げた。
「クウ。こんな所でどうした?」
 リスカは意外そうに聞いた。
 本来なら、クウも表の装置の側にいるはずだ。
 クウお得意の昼寝に抜け出したにしては、少し早すぎる。
「どうしたも何も、定時をすぎてもアナタの姿が見えないんで、戻ってくるまで居残りを命じられました。一体、何処まで散歩に行ってたんで?」
 クウは、リスカのために館の扉を開けた。
 先を歩きながら、リスカは答える。
「別に。ちょっと中央を見てきただけだ」
 まさか昨日の今日で、一人で人界に行っていたなどとは言えない。
「あまり、目立たないようにお願いしますよ。一般には、アナタの存在は知られてない。最長老と同じ、六枚の翼の天使がいる、何てね」
 クウは、リスカの背中に視線を落として言った。
 天使は魔力を宿す翼の枚数で優劣を決める。
 その頂点に君臨する者を最長老と呼び、最長老だけが、神界の神々と言葉を交わすことができた。
「この姿のままで出歩いたのは悪かった。次からは、翼の偽装を行うようにする」
 言うが早いか、リスカの背の翼が中央で対になっているのを残して、薄らぎ消えた。
 代わりに、リスカの胸元に四枚の羽根で作った羽根飾りが生まれる。
「では、少し失礼して……」
 少女の背があった場所に手をかざしても、最初から何もなかったかのように素通りするのを確認すると、クウは満足そうに頷いた。
 ただの幻術では、天使の目を誤魔化せない。
 翼そのものを作り変えることで、その存在を無いようにみせた。
 自分の肉体をタオの姿に作り返ることに比べたら、造作もないことだ。
「それじゃあ、仕事に戻りますけどね。今度は、あまり遠出をなさらないで、近場で遊んでいて下さいよ」
 遊ぶ、という言葉にリスカの表情が硬くなる。
 形式上では、六枚の翼を持つリスカがここのトップだ。
 補佐として四枚の翼を持つリューイが続き、その下に二枚の翼の者達が並ぶ。
 しかし、実質、支部を動かしているのはリューイだった。
 人界を上から観察するだけでなく、地上に降り、人に扮して状況を探ることも、争いを避けるために翼を隠すことを教えたのも、どちらも彼が提案したことだった。
 リスカは、玄関へと戻っていく背中に声をかけた。
 ここから外に出た方が、第二の門に出るのに近いのだ。
「私に手伝えることはないのか?」
「はい?」
「……いい。皆の様子をみてくる」
 行ってらっしゃい、とクウは手を振った。


 館の廊下は、不自然なところで終わると別の雲へと続いていた。
 そこにあった雲が千切れてしまったか、それとも最初からここで終わっていたのかはリスカは知らない。
 この支部は、寄せ集めた雲の上に建っているというから、数が足りなかったのかもしれない。
 多少隙間が空いていても、飛べばすぐの距離だった。
 リスカは奥に向かうのを止めて、屋上にあがることにした。
 単なる気まぐれで、特に理由はない。
 皆の働く様でも眺めてみようと、思った。

 隙間の多い雲の上で、第二の門は稼働していた。
 機材の間を歩いていた天使が、何を慌てているのか、足をひっかけてこけるのがみえた。
 上から見ると、館の構造が不自然なのは、この装置に貴重な足場を取られているせいだとよくわかった。
「ゲート開発……か」
 人が住めるような雲は、天使の数が増えるにつれ、不足していった。
 劣等とされた者や片翼で産まれた奇形児は、追放の形で間引かれていたこともあったという。
 天界が異世界探索に乗り出したのは、自分達の生活圏を広げるためだ。
「どうせ、見つけたって行かないくせに」
 リスカは吐き捨てるように言った。
 天使は人界を発見しても、移住しなかった。
 人界には、『夜』と呼ばれる時間が存在していたからだ。
 その闇を思わせる暗がりが、光の中で生まれ育った天使には恐ろしかったのだろう。
 ゲート開発支部に、監視の仕事まで押し付けた。
 万が一でも、ゲートを渡り、夜の世界の住人が天へと登ってくることがないように。
 そして、その時には、ゲート開発支部の者達で食い止めるように、と。

 リスカがこの辺境にやってきて、一ヶ月になる。
 人界に続く異世界が見つかる事は無いだろう、とリューイは話していた。
 適当に仕事しているフリをして、適当に人界に遊びに行きながら過ごしていく。
 気に入った動物をこっそり守護するのも、楽しいものらしい。
 折角みつけた人界を死の国にはしたくないと、腐敗した大地を浄化する手助けもした。
 人界で発生する戦や、魔物と人間の衝突には傍観者でいるよう務めた。
 支部の中には、この他者の命を奪いあう行いに、軽蔑と怖れを見なしている者もいる。
 天使が移住しないのには、その辺りの事情もあるのかもしれない。


 ふいに、リスカは足元から名前を呼ばれているのに気づいた。
「大変ですーっ。大変ですよー。支部長! 降りてきて下さい」
 間延びした声で、両腕を広げているのは、先ほど装置に躓いて転んでいた天使だ。
 飛んで降りてみれば、彼の瞳が潤んでいる。
「ミュー。どうした。……泣くな」
 ミューは人間で言うところの十代半ばくらいに見えた。
 人界の海のような真っ青の瞳は、いつ涙をこぼしだしてもおかしくないように思えた。
 天使は未分化で生まれ、大人になると男女好きな方の性別を選ぶことができる。
 普通はパートナーと相談して決めるのだが、泣き虫のミューは強くなりたくて、男を選んだらしい。
 効果のほどは、非常に怪しいものだ。
 うろたえて言葉もままならないミューに、リスカは思いつくトラブルを言い並べた。
「装置の故障か? 誰か怪我でもしたのか? それとも――」
 故障はリスカにはどうにもできない。
 怪我なら、医者のノルンを呼びにいけば済む。
 ミューは、両手を顔の前で大きく振った。
「違います。違いますよ。見つけちゃったんですよっ」
 どうもトラブルではないらしい。
「何を見つけたのだ?」
 仕方なく、リスカはミューが落ち着くのを待つことにした。
 ミューは、一度深呼吸をすると、
「異世界ですよ! 四番目の世界が見つかったんです!!」
 リスカはこの時、自分がどんな表情をしていたか覚えていない。
 ただ、酷く驚いた。



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製作: TRK eXpress