外伝 姉妹




 新月の夜。
 母は生まれた子供たちを見て泣いた。
 せめて日が落ちる前に生まれてくれたら、贄に選ばれなかったのに。

 村では月の無い夜に生まれた子を、館に届ける決まりになっていた。
 赤子たちは、産声を上げ、母親を求めて手を動かす。
 可愛い我が子。誰も、生贄にしたくない。

 その気持ちは父親も同じだった。
 そして、父は言った。
 ひとりしか生まれなかったことにしよう、と。

 暗闇に紛れて馬が走る。
 生まれたばかりの赤子を手にして。


****


 少女は板の隙間から外を覗き見た。
 明るい陽射しが道や草、家の屋根を照らし、隙間から見える空は終わりが無かった。
 学校が終わって、子供が走っている。楽しそうに笑っている。
 それをミラはただ、眺めていた。
 腰まではある長い髪は、紫に色づき波打っている。
 外の子供たちは色んな色の服を着ているのに、ミラの服は夜を溶かし込んだような黒。
 生まれてから日に当たったことの無い少女の肌は白く、服から覗かせる左足の太股には金の輪をはめていた。
 通りを歩く村人たちは、少女の居る方を見ながら囁きあった。

 あの家は、可哀想に。
 あと一日遅いか早くに生まれていれば、子供をやらないで済んだのに。
 でもそれも村のためには仕方の無いことさ。
 決まりさえ守っていれば、お館様が村を守って下さる。
 哀れみの視線を少女の方に向けながら、これでこの村は安泰だ、と胸をなでおろした。

「…村、仕方ない?」
 ミラは首を傾げた。
 知らない言葉が多くて、ミラには意味がよくわからなかった。 
 もう一回、何を話していたのか思い出そうとして、扉の方から聞こえてきた声の方に気をとられた。
「ただいま! 聞いて、母さん。今日ね――」
 リマの声だ。
 ミラは顔をほころばせると、壁から離れて、部屋の方に戻った。
 薄暗い部屋には、明かり一つ置いてなく、ただミラのための毛布と洋服が少しあるだけ。
 ここがミラの世界の全てだった。
 ミラが言葉を交わした事があるのは、お父さんとお母さんとそして、リマだけ。
 リマはいつも楽しい話をしてくれるから、大好きだった。
 足音が駆けて来て、鍵が外れると勢い良く扉が開いた。
「ねぇ、みてみて。新しいお洋服だよ」
 笑顔で飛び込んできたのは、ミラと同じ顔の少女だった。
 多少作りが違うものの、似たような黒い服を着ている。
 二人を見分けるというのなら、ミラが左足の太ももに足輪をつけているのに対し、リマは右腕に腕輪をはめていることだろうか。
 リマが姉で、ミラが妹。二人は双子だった。
 リマは部屋に入ると、腕を広げてくるりと回って見せた。
 スカートがひるがえり、髪が広がる。
「うん。リマ、可愛い」
 ミラは喜んで手を叩いた。
 リマは、妹の手を取って、
「これで、ミラにも新しいお古をあげられるね」
 眩しい笑顔で言った。


 リマは知っていた。
 ミラはお館様――吸血鬼への捧げ物になるのだと。
 両親が涙ながらに話し合っていたのを、盗み聞きした。
 そうとわかれば、そこかしこで、町の人たちだって声をすぼめて話しているのに気づいた。
 ミラが贄になることで、私たちは安泰。
 ああ、良かった。選ばれたのが、私でなくて。
 だから、ミラに優しくしていた。
 私のお古しか着られず、外にも遊べず、学校にも通えないかわいそうな妹。
 すらすらと喋ることもできず、頭も弱い。
 人としてのほんの短い一生の間くらい、優しくしてあげてもいいじゃないか。
 だから、リマは優しかった。
 自分が楽しくやっていけることに心底、感謝していた。


 その日、リマは夜中に目を覚ました。
 今夜は何だか、風が強い。轟々という音の中、窓に映る木々の影が、大きくしなる。
 階下から話し声が聞こえた。
 父さんと母さんの声だ。
 リマは寝付けなくなったついでに、お茶でも飲もうと階段を降りた。

 台所に、入れなかった。
 母さんはすすり泣いていた。
 父さんが、そんな母の肩を抱き寄せて、慰めていた。
 何だか見てはいけないものを見ている気がして、リマは階段の暗がりから動けなかった。
「あの子には、人として精一杯楽しませてあげられたかしら」
「ああ、大丈夫。立派ないい娘に育ったよ」
「私が、私があと一日、我慢できたらこんなことに……」
「もういい、もういいんだよ。私たちは、残った子供を大切に育てよう」
 リマは、ミラの時間が残り少ないのだと知った。
 生贄になると、どうなってしまうのだろう。
 きっと、死んでしまうんだ。
 ミラのその後を想像して、リマはぞっとした。
 でもきっと、ミラは馬鹿だから、そうと知らずに逝ってしまうのだ。
 リマは、そっと階段を登ろうとした。
 その時がきたら、私は驚いてみせればいい。それで、安泰、私たちは幸せ。
 父はまだ母に声をかけていた。
「リマは気立てもいい。きっと、お館様も気に入って下さるよ」

 ――今、ナンテ言ッタ。

 リマは、足を止めて台所へと振り返った。
 明かりが廊下へと差し込む、その光りから声は聞こえる。
「そうね。新しい服を、あんなに……喜んで…」
 母の声は嗚咽に混じって、言葉にならない。
 リマは息を飲んだ。

 母さんがくれる新しい服は、いつも黒い服ばかり。
 喪服みたいな地味な服で、もっと綺麗なのがいいと言っても、黒ばかり。
 それは、私が、もうすぐ死んでしまう子だったから。
 深く思い入れたりしないように。

 少女の足が震えた。手すりにしっかり捕まって、転びそうになる身体を支える。
 あんなに私の服を褒めていた両親が、心の中ではこんなことを考えていたなんて。
 じゃあ、村の人たちが哀れんでいたのは、私か。
 優しくしてくれたのは、私が死んでくれるからか。
 とたんに、吐き気がした。
 ここで吐いたら気づかれる。父さんと母さんに殺される。

 ――死ぬのは嫌だ。どうすればいい。どうすれば。

 泣きたくなる想いでリマは考えた。
 震える身体を、その肩を暖めようとして両手でさする――と金属に指が触れた。
 それは腕輪だ。双子を区別するための。
 どちらが贄か、間違えないための。
 リマは腕輪を強く握りしめた。

 そうだ。ミラが居る。
 あんな馬鹿な子より、私が残った方がいいに決まっている。

 リマはゆっくり、音を立てないように階段を降りると、そっと物置を目指した。
 外からしか開けられない木の枷は、両親が娘に向けた、愛情の形。
 ミラだけは守りたいという。
 私にはくれなかった愛情を。
「……リマ?」
 目をこすりながら、同じ日に生まれた妹が顔を上げた。
「ミラ。ここに居てはいけないの。逃げましょう」
 そう言って、姉は妹の手を取った。


〜〜〜


 空は満月。
 風が吹き荒れ、雲がみるまに空を流れてゆく。
 辺りの木々や茂みが大きな音をたて、すでに村の明かりは遠くにあった。
 リマは、ミラの手を取って、その瞳を真っ直ぐに見て言った。
「いい。ミラ。あなたは生贄なの。あのまま家に居たら、殺されるわ。わかる?」
「ミラ、生贄……?」
「そう、だからね。これから逃げるの。いい、この……森をずっと向こうに」
 リマは暗い森の奥を指差した。
 この森のずっと奥に、お館様の家があるという。
 何日かけてでも、ミラにはそこまでたどり着いてもらわなくてはいけない。
 私が助かるために。
「逃げる、リマ、一緒?」
「私は、まだ家に取りに行くものがあるから、先に行ってて。すぐ追いつくから」
 一人と聞いて、ミラは不安そうに森を見た。
 今まで外に出たこともないのに、リマも居てくれない。
「う…ん。ミラ、先に行く」
 それでも、ミラは頷いた。
 リマはいつだって、優しい。だから、今度もすぐに来てくれる。
 そう信じて、歩いて行った。


 少女の姿が暗闇に消えて、リマは歓喜した。
「アハハッ。馬鹿なミラ」
 これで私は助かる。
 あとは家に戻って、ミラになり代わってお終い。
 そうして、戻ろうとしてリマの顔は青ざめた。

 ――腕輪の交換をしていない。



〜〜〜


 暗い森、明かりも持たずに少女が走る。
 腕輪が月明かりを照り返して、キラキラと光った。
 ミラは何処まで行ったのか。
 人の滅多に踏み入らぬ森に、道らしいものはなく。
 リマの腕を、草や枝が傷つけた。

 それは甘い血の香り。
 月の向こうの魔物が来るよ。
 狂える月から、魔物が来るよ。

 急に辺りに霧が立ち込めた。
 森に道は無い。なのに、黒馬車が木々を挟んだ向こう側を駆け抜けた。
 黒い馬車に黒い馬、従者が巧みに手綱をひく。
「ヒィッ」リマは、小さく悲鳴を漏らした。
 通り過ぎたその一瞬、少女は見てしまった。
 従者は服こそ着ているものの、その顔の肉はこそぎ落ち、ただ骨が残るばかり。
 そしてもうひとつ、馬車にのる人影を。
 それは、銀の髪に真紅の瞳、その青年は確かにこちらを見た。
 黒馬車の中で、青年が何事か呟く。
 そうして馬車は、すぐさま速度を落として、ゆっくりと止まった。
 とめどない恐怖が、リマの足をすくませた。
 逃げなくてはいけないのに、体が凍りついたかのように動けない。
 わかってしまったのだ。
 今のが、この森の主、お館様なのだと。

 ――"真"なる吸血鬼。

 扉が開いて、青年が地面に降り立った。
 月明かりが照らす青年は、貴族の服をまとい、腰には剣を携えていた。
 彼が降り立つ、それだけで、森は一斉に騒ぎ出した。
 リマはその場ですとんと、尻餅をついた。
 腰が抜けたのだ。
 青年は空を仰ぎ見る。それは見事な丸い月夜だった。
「これは珍しい。期日より先に来る娘なんて。――おや、怪我をしている。魔力の孕んだ、いい匂いだ」
 青年が辺りを嗅ぐと、その口から二本の牙が伸びてきた。
 リマは少しでも離れようと、手足を動かすが、僅かに座る位置が動くだけ。
 怖くてたまらないのに、青年から目を離せない。
 どうして、ミラが平気で、私がこんな目に会うのっ。
 動かない口に代わって、心の中でリマは叫んだ。
「……おや、これは」
 先に目をそらしたのは、青年の方だった。
 何を見ているのかと、リマもその視線の先を追う。
 と、そこには、左足の太股に金の輪をつけた娘が立っていた。
 元々白い肌だったが、今では真っ青だ。
「ミ…ラ……?」
 リマは少女の名前を呼んだ。 
 ミラは意を決した顔で走り出すと、青年とリマの間に立ちふさがった。
 両腕を広げ、その手も足も震えているけれど。
 それでもミラは、割って入った。
「リマ、いじめないで」
 声だって震えているじゃないか。
 青年は面白そうに、双子を見比べた。
「では、お前から吸ってあげよう」
 そう言って、ミラの顎に手を触れる。
 その指はあまりに冷たくて、ミラがびくっと肩をすくめた。
「ミラ、生贄。リマ、違う。だから――」

 ――いじめないで。

 青年がミラを手放したとき、少女はリマの方へと倒れた。
 まるで大きな人形のようだ。
「ミラっ。ミラっ」
 揺さぶる妹は目を瞑り、手にその首から零れた生暖かい血がついた。
 リマは知らずに泣いていた。
 溢れた涙は、止まらなくて、次々と頬を伝う。
「馬鹿なミラっ。本当に――あたし、あんたを……」
 そう言ってリマはミラを、しっかりと抱きしめた。
 逃げない。置いていかない。
 ミラ一人で逝かせない。

 冷たい牙がその喉にかかるとき、やっとリマは気がついた。
 悪いのはミラじゃない。


 悪いのは――。



〜〜〜



 闇を炎が照らし出す。
 赤い、赤い、赤い。
 炎が辺りで踊り狂っていた。
 夕焼けの赤は、こんな色だとリマは言った。
 ミラは喜んだ。
 そうか、これが夕焼けなんだと。

 焼け落ちる村、横たわる村人を尻目に、二人ははしゃいだ。
 夜はこんなにも美しく、弾けた火の粉は花のよう。
「アハッ。母さん。父さん。今まで育ててくれて、ありがとう。そして、さようなら」
 台所の床に横たわる二人はもう動かない。
「酷いわ。娘を刺そうとするなんて。アハハッ」
 リマは狂ったように笑った。
 これは復讐だ。私を殺そうとした両親と、村人への。
 人間であった頃の物など、全部、跡形も無く消えてしまえ。
 椅子を掴むと、そのまま食器棚へと振り回した。
 全部、壊して、砕いて、それから燃やす。
 砕けた瓶、その一つから手紙が落ちた。
 何だろう、とリマは手紙を拾う。

 ――キーマ。最愛の息子へ。

「誰…?」
 宛名は、知らない男の物だった。
 中を開けて、リマは笑顔になった。
 他にも手紙はないかと探す。
 そうして出てきた、何通もの手紙を持って、家を飛び出した。
「ミラっ。聞いて、私たち、弟が居るんだってっ」
 弟は何も知らない。
 私を生贄にしようなどということに、荷担していない。
 大切な家族だ。

 喜び勇んで少女は駆ける。
 血染めの闇の中へと。


****


 私には名前しか知らない家族がいた。
 里子に出されていた私を除いて、家族は炎に消えた。
 手に残されたのは家族の肖像画だけ。
 父と母、そして瓜二つの顔をした二人の姉。

 この手で家族の仇を討つ。
 それが、私の生きる目標になった。


 魔物と化した姉を、殺してやること。
 そして、姉を魔物にした吸血鬼を滅ぼすこと。

 身内に魔物を出した者をギルドは受け入れない。
 だから私は名前を捨てた。
 腕を磨き、いつか、この手で姉さんを救おうと。


...To be continued.


丁寧に赤字で本文の誤字指定をしていただいた、ねゆさんに捧ぐ。
本編では書ききれなかった部分です。
移転したついでに、一つ書いてみました。

お気に召したら、これ幸い。

2005.12.1

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