第二夜 死の森




 赤い、赤い、赤い。
 炎が辺りで踊り狂っていた。
 夕焼けの赤は、こんな色だとリマは言った。
 ミラは喜んだ。
 そうか、これが夕焼けなんだと。


〜2〜

 小川のほとりをイズルとセクトは肩を並べて歩いていた。
 二人とも、主な荷物はすでに近くの宿場に預けてあるので軽装だった。普段着に近い。
 少年の外見をした兄イズルは投げナイフで懐を膨らませたジャケットを羽織り、一方、隣を歩く青年の外見をした弟セクトは、若草色のフードで強い日差しを防いでいた。
 セクトの手には魔術師の証たる杖があった。
「なぁ、セクト。この依頼が終わったら、いっぺん里帰りしね?」
「賛成。ただ……生きて戻れたら、ですけど」
「……だな」
 日はまだ高く、水面がキラキラと輝いていた。
 だが、澄んだ川であるのに魚がいない。川の向こうには青々とした森が広がっているのに、鳥も獣の気配もしない。
 ただ水のせせらぎだけが流れていた。
 イズルは立ち止まると、青い瞳でじっと対岸を見据えた。
「ったく。うす気味悪ぃ」
「……奴らの仕業だね。生き物は皆、この地から逃げ出したんだ」
 この森の何処かに、吸血鬼の住む館がある。
 そう思うと、どんなに心地よい日差しも冷たく感じられた。
「おーい、クロス。いつまで隠れている気だ。日が暮れる前に打ち合わせすっぞ」
 イズルは気を取り直すと、背後の茂みに向かって声をかけた。
 と、呼びかけに答えるように木の葉が空から舞い散る。
 黒い影は音もせず地面に降り立った。黒いフードが僅かにめくれ、紫色の髪を覗かせる。
「現地に到着してから作戦を立てるなんて……命がけの割に、随分いい加減ですねぇ。まぁ、だからこそあなた方らしいと言えますが」
 フードの乱れを正すと、クロスは立ち上がった。
「けなしてんのか?」
「誉め言葉ですよ」
 イズルは納得しきらない顔をしていたが、作戦会議は始まった。
 吸血鬼は不老不死の魔物であり知識も高い、弱点と呼ばれる太陽光を浴びせることはまず不可能だと言うのが三人一致の意見だった。
「――となれば、彼らの不死の力の源でもある魔力を使って、滅するしかありません。正確には、"魔法"か"魔力を保有する物"、又は"神より授けられた聖なる物"を使って、になりますね。まぁ、僕には、幸い連中向きの白の法にも心得がありますが……」
 兄弟はお互いの顔を見合わせた。セクトは魔法を使えるが、イズルは魔力を帯びた武器など持っていない。
 監察官に期待の眼差しが集まり…監察官は肩をすくめた。
「本来ならギルドから支給されるべきなのですが……申し訳ありません。セクトさんにお任せするしかないようです」
 兄弟は、そろってため息をついた。
「参ったな。すると、俺とクロスがおとりで、俺らがおびき出したところを、セクトが大技をひとつ決める。……ってとこかな?」
 セクトとクロスがうなずいた。
「聞いた話では、狩りに出るのは"仮初(かりそめ)"が一体、それも少女の姿をしているとか。……魔術も扱うので注意して下さい」
「ふーん。女の子ねぇ……やっぱり、可愛いん?」
「さぁ、私はこれから初顔合わせですので」
 クロスは苦笑した。
 セクトもあきれた顔で、イズルを見下す。
「兄さん。相手は魔物だよ。念を押すけど、間違っても手加減しないでよね」
「へーい」
 本当にわかっているのだろうか、とセクトは思ったが言及はあきらめた。
 兄も自分の命がかかっていれば、馬鹿な真似はするまい。
「さぁ、お互い死者の国に入り込まないよう健闘しましょうか」
 無策無謀としか言えない作戦だったが、クロスはにやりと笑みを浮かべた。
 ギルドの監察官の職について、完全な前線に立つことが少なくなった彼は、じかに剣を振るえることが楽しいのだろう。
「ま、ギルド監察官の手並み、ちょっとは期待させてもらうよ。俺は、逃げるので精一杯だろうからさ」
「嫌ですねぇ。あなた方の依頼ですよ。私はあくまで助っ人、お忘れなく」
 …忘れてぇ、とイズルは心から思った。


><><><><

 鬱蒼と草木が生い茂る森は、ときには星明かりも遮った。
 そんな暗闇の中を、イズルは邪魔な草をナイフで払いながら進んでいた。
 クロスの姿は見えない。
 虫の音ひとつ聞こえないこの森は、あまりに不気味だった。
(まるで、死者の森だな…)
 木々の間を抜け、獣道から多少ひらけた場所に出た。
 月の光が、周囲を照らした。
 そして、
「クスクス。ねぇ、君ぃ、ひとりでどうしたの? お父さんとお母さんは?」
 イズルの頭上から、愛らしい声が投げかけられた。
 さっきまで照っていた月明かりが、イズルの上だけ何かに遮られ、影が落ちる。
(出やがった…)
 イズルはつばを飲み込むと、空を見上げた。
「まぁ可愛い。きっとお館様も満足してくれるでしょうに」
 月を背にして、少女はうっとりとした眼差しで、イズルを見下ろしていた。
 少女の周囲では風が吹いていた。紫色の豊かな髪が、空に広がる。
 黒い衣から伸びた白い手足が月の光を反射し、あたかも自ら光っているかのような錯覚をイズルは覚えた。
 少女がイズルに向けて腕を開き、ゆっくりと下りてくる。
 少年を優しく抱きとめるようにと開いた腕、これに捕まるわけにはいかない。
「悪いけど、まだ餌になる気はないんだ」
 イズルの右手に残像が走る。
 少女の喉に一本、心臓に一本、狙いすましたナイフが飛んだ。
 それは正確に突き刺さった。
 上体を仰け反らせ、少女が地面に落ち、刺さった個所から血が吹き出す。
「……お、おいおい。もしかして、俺の武器でも殺れんじゃねぇの?」
 まるでナイフに反応できていない吸血鬼に、イズルは拍子抜けした。
 だが、
「ひっどーい。この服気に入ってったのにっ」
 少女の細い腕が跳ねるとナイフが引き抜かれ、地面に投げ捨てる。
 吹き上がる血が止まり、少女は起き上がった。
 イズルは、自分を睨む大きな紫の瞳に威圧された。
 か弱そうな少女の外見であるにもかかわらず、だ。
「は、ははははは。ま、そう怒るなってぇ!!」
 イズルは、森を疾走した。
 土を蹴り、木の根の上を飛び越える。
 風が吹いた。
 木の葉がざわめき、イズルの頬に赤い筋が伝った。
(こいつ風使いかっ)
 イズルはとっさに、横の斜面に飛び込んだ。
「"風よっ"」
 先ほどまでイズルが走っていた周囲で、木が連鎖的に倒れる。
 少女の放った風の刃に切り倒されたのだ。
「アハハッ。凄いよ、背後が見えるの? こんな面白いのは久しぶり」
 少女の笑い声が森に響いた。
「畜生。誰がこんな所で、死ぬかってんだっ」
 少女の魔法の威力に恐れながら、イズルは奥歯を噛みしめた。
 監察官は今だ姿を見せない。
 逃げたのか? と、イズルは思った。
 斜面を転がったせいで、腕のあちこちが痛む。だが、足を止めるわけにもいかずイズルは駆けた。
 水音が聞こえる。
 セクトの待つ川原が近いと、イズルは気づいた。
 伸びきった草が走るのを邪魔する。
 川原まで着けば、弟が何とかするとイズルは信じた。
 そして、油断した。
「うふふ。遅いよ。私に比べたら、全然遅い」
 斜面から少女が一陣の風の様に、飛び出した。
 一瞬だった。
 か細い腕が少年の胴を捕らえた。
 イズルは飛びのこうとしたが、遅く。
 少女の手が青白く光る。
 二人の間で光が爆発した。
 少年の体が宙をまう。
 地面にあお向けの姿勢で、イズルはうめいた。
「くっそ、クロスの野郎…何処に行きやがった」
 背中と腰を痛めたらしく、思うように立ち上がれない。
「ね……痛い? でも大丈夫。すぐに痛みなんて感じなくなるから……」
 少女は微笑むと、獲物を舐るように、ゆっくりと歩んだ。
 その紫の瞳が、次第に赤く光始める。
 呪いか、精神魔法の類をイズルにかけるつもりなのだ。
 イズルは地面に腰を落とした姿勢のまま、ナイフを投げた。
 次々とナイフが少女にささる。
 だが、少女は額に刺さるナイフを抜き捨て、迫っていった。
 イズルのナイフが、まるで見当違いに落ちた。
 抵抗を続ける腕の動きが止まり、黒いはずのイズルの瞳がほのかに赤みを帯びる。
 術がかかったと、少女が笑みを浮かべた。  
 イズルの目には、もう少女の瞳しか映らなかった。
 褐色の肌に、白い指が触れる。
 イズルの頬を流れる血に、少女が赤い舌を伸ばした。


><><><><

「キィアアア――ッ!!」
 つんざく悲鳴に、イズルは目を覚ました。
 恐ろしいほど近い距離に、少女はいる。
 少女の体に、赤い筋が斜めに走っていた。
「やはり、剣では滅びませんか」
 少女の背後でクロスはうめいた。
 ずっと少女の隙をうかがっていたのだ。
 どれだけの速度で剣を振り下ろしたかは知れないが、黒いフードは外れもしない。
 しかし、いかに吸血鬼といえども輪切りは効くらしく、少女は苦痛の声を漏らした。
「遅ぇっ」
 不満を口にしてイズルは、クロスの手を借り立ち上がる。
「絶妙と言って欲しいですねぇ。急ぎましょう、あの分ではすぐに癒して追ってくる」
 二人は森を抜け、川原に出た。
 後を追って、血にまみれた少女が木々から飛び出した。
「セクト! 連れてきたぞ!!」
 川原に立つ人影が揺れた。
 セクトの周囲に蓄えられた魔力が、術者の銀髪を浮かび上がらせる。
 ずっとこの場で力を集めていたのだ。
 膨大な魔力は、光となって杖に収束する。
「"我請うは魔を絶つ聖刃。シャリンガ"っ!」
 光は矢となり、少女を貫いた。
「きゃああああっ」
 矢は楔となり、少女を木に打ちつけた。
 少女がもがき、光の矢を抜こうとするが、矢に触れた途端にその手が焼けただれる。
 たまらず少女は矢から手を放した。
「…ふぅ。もう一発、ですね」
 再度、セクトの杖が集めた魔力で発光する。
「いけないっ!」クロスが警告の声を発した。
 同時に、爆音が川原を揺るがした。
 石がつぶてとなって、イズルたちにぶつかってきた。
「セクトっ!?」
 煙が治まり、耳が音でやられて痛む中、イズルは弟の居た場所を見た。
 そこは爆風によって石が吹き飛ばされ、その下の土が剥き出しになっていた。
 爆風に飛ばされたのか、弟の姿は見えない。
 代わりに、少女がいた。
 月の光の受け、眩いまでに紫色の髪が波打つ。
 まさかっと、イズルが振り向くと先の少女は今だ木の幹に張り付いていた。
「……双子かよ」
 二人目の少女は首を傾げた。
 その双眸はとても暗く、深い紫色。
「リマ、痛い。だからミラ、迎えにきた」
 二人目の少女、ミラは少年たちを無視して、木に貼り付けられた少女、リマに話し掛けていた。
 イズルはクロスの腕を払うと、残ったナイフを構える。
「あんたなら逃げ切れるだろ。弟を……頼む」
「……ええ。できれば、また、日の下で」
 ザッ。茂みが揺れたと思うと、クロスは消えた。
 イズルは、無駄と知りながら最後のナイフをミラに向かって投じた。
 風が渦巻く。
 音も無くナイフは地に落ちた。
「リマ、傷直す。ご飯、いる」
 冷たい手のひらが、イズルの頬をなでた。
 死者の手だ。
「しまったな。……あんたが生きてるうちに会いたかったよ」
 ミラは無表情のまま、首を傾げた。
 イズルの視界が回る。
 すぐ後に暗闇が訪れた。

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