第三夜 緑の館




 ミラは考えた。
 どうして、外から来た人たちは死んでしまうのだろう、と。
 死なせてしまう度に、リマは怒った。
 きっと食事が悪いのだ、とミラは答えを見つけた。

 ミラは、人間には日光が必要なことを知らなかった。


〜3〜

 銀髪の若い魔術士は、黒いフードを被った監察官に怒鳴りつけた。
「兄さんを見捨てたなっ!」
 兄の残したナイフを手にして、兄と同じ色の蒼い双眸がクロスへの敵意に燃える。
「兄の仇討ちをするなら、相手が違うでしょう。次は私たちだけで行動しなければ。貴方には、早く元気になって頂きたいものですね」
 クロスは壁に背もたれたまま淡々と告げた。
 外は日が暮れようとしていた。
 クロスが負傷したセクトを宿に連れ帰ってから、すでに半日近く過ぎていた。
「……兄さんは、死んじゃいない」
「確かに、死体は残されていませんでしたが……時間の問題でしょう。あの森は広い。遺体を捨てられてれば、発見は困難なことぐらい…貴方もわかるでしょうに」
 日中、クロスは川原を調べに戻ったが、発見できたのは今セクトが手にするナイフだけだった。
「僕らだけで、二体を相手するのは無理だ…」
「おやおや、稀代の魔術士として期待されている貴方が臆病風に吹かれましたか? あなたが立ち直って貰わないと、万に一つも勝てなくなる。…今は傷を癒しなさい。準備が出来れば呼ぶといい」
 部屋にはセクトひとりが残された。
「クロス…兄さんは傷だらけだったのに、なぜ貴様は無傷でいたっ」
 簡単だ。監察官は自分の命を惜しんだのだ。
 脇に立てかけてある杖を掴んだ。
 優しい光がセクトを包み込む。
「"我請うは、水の癒し。エンテス"」
 包帯をほどくと傷跡一つ残さずに完治していた。
 いつものフードを羽織、イズルのナイフを腰に差した。

 階段を下りてくるセクトに、宿場の女房は声をかけた。
「おやまぁ、もう立ち歩いていいのかい?」
「ええ、…何か食べ物を頂けますか? お腹が空いてしまって」
 心中は荒れまくっていたが、セクトは笑みを浮かべた。
「食事なら部屋に持っていってやったのに。任せときな。今すぐ、うちの旦那が美味い飯を用意するよ」
 そう言って女房が奥に引っ込む。
 セクトはカウンター席に腰を下ろした。
「余計な事を……」
 先客の年寄りがぼやく。
 自分に対して言われているのだと気づいて、セクトは眉をしかめた。
「連中を怒らせたら、この村はおしめぇだ」
「なら、あのまま放っておくと言うのですか? いつ、誰が狙われるとも知れないのにっ」
 自然とセクトの声のトーンが高くなる。
 だが、それ以上のどら声で、年寄りは言い返した。
「いつ、てめぇらに助けを求めたっ!! あの方はわしらに寛大だ。滅多なことで、人間を襲ったりはせん。…人族の若造が、しゃしゃり出んなっ!」
「あなたは、人族より吸血鬼の方が信頼に値すると言いますかっ!?」
 セクトは怒りをあらわに立ち上がった。 
 騒ぎを聞きつけて、すぐに女房が戻ってきた。
「ここでの喧嘩は止めとくれよっ。…第一、この坊やはアタシらのために無茶な依頼を引き受けたんだろ」
 女房の言葉に、老人は渋い顔をして引き下がった。
 すみません、とセクトが謝る。
「ただ正直な話、坊やには悪いけどもできれば帰ってくれないかねぇ。アタシらでギルドへの依頼の方は何とか取り消して見せるからさ」
 雑炊をセクトの前に並べながら、申し訳無さそうに女房は告げた。
(それじゃあ、何のために兄さんと僕は命がけで戦ったんだっ!)
 声には出さずに、セクトはテーブルを拳で叩きつけた。


><><><><

 食器の触れ合う音に、イズルは目を覚ました。
 コンソメの香りが鼻をくすぐる。
 香りに刺激されたのか、イズルの腹は食べろと薦めた。
 手触りの良いシーツと柔らかな枕から身を起こした。
 編目の細かな絨毯、調度品や家具もそれなりの銘がありそうな立派な代物だ。
 窓は厚手のカーテンに覆われ、一切の光も部屋に入ってこなかった。
「おはようございます」
 黒いメイド服に身を包んだ少女が手を止めて、挨拶をした。
 少女の長い紫の髪は、緩やかなウェーブとなって背中を流れ落ちていた。
「おまっ・・・吸血鬼っ!」
 イズルは驚き少女を指差して言った。そして辺りを見渡して、自分が何処にいるのか気づいた。
 つまり、吸血鬼に囚われたということを。
 自分の首筋を触って、無事かどうか確認する。
 指先はいつもと違う感触を伝えてきた。
 それは二つ並んだ穴のようで……。割と深い傷の割に、痛みがない。
 イズルの背筋が凍りつく。
「ミラ、世話する。食べて」
 イズルの心中も知らずに、ミラはにっこりと微笑んだ。
 テーブルの上には、ロールパンとオニオンスープ、果物が並べられていた。
「もう、なるようになれってんだ」
 イズルは席に座って、一さじスープをすくった。
 ぱくっ。
「お、美味い」
 イズルは食事にがっついた。
 スープをあっという間に飲み干すと、パンを食いちぎる。
 ミラがスープのおかわりをよそった。
「なぁ、ここ何処だ?」
 ひとしきり食べ物を胃に詰め込んでから、イズルは聞いた。
 ミラがカートに食器を片付ける様を、椅子の背にあごをのせた状態で見物する。
 マーチェント様の館、とミラは答えた。
「俺をどうするつもり?」
「ご飯。魔力高い、力になる。飼う」
「…俺といた仲間は?」
「ミラ、知らない」
 イズルは考えた。
 どうやら、ここの吸血鬼たちは、俺を殺したり"仮初(かりそめ)"にしたりはしないで、血液だけを吸い取るつもりらしい。
 まだ、助かる可能性はありそうだ。
 食器を銀のカートに載せ、ミラが部屋を出て行く。
 イズルがその後に続こうとすると、ミラが押しとめた。
「ダメ。部屋、いる」
 困った顔をしながら、少女はドアと閉じた。
 外から鍵が降りる音がすると、カートの滑車の音が次第に小さくなっていった。
「さて、出口か武器になるものを探さねぇと、そぅ長居して良い場所じゃねぇぞここは」
 褐色の肌の少年は部屋を見渡すと、まずカーテンを開いた。
 ガラス窓には、外から雨戸が降ろされていた。
 開けようと試みたがびくともしない。
 人族の怪力を持ってしても、だ。
「こいつならどうだっ」
 イズルは先ほどまで座っていた椅子を掴み、振り降ろした。
 ガキンッ。
 到底ガラスにはありえない鈍い音が響くと、椅子は床に転がった。
 少年は痺れた手を振りながら、窓を調べる。
「ちっ。こりゃ、何か保護魔法がかかってんな」
 ガラスには傷一つついていない。
 仕方なくイズルは他の出口がないか探した。
 クローゼットに自分のジャケットがかかっていたが、武器らしいものは全て没収されたようだ。
 ミラの出て行った正面の扉の鍵は、開けることができそうだが――。
「…ノコノコ出て行ったところで、すぐ連れ戻されるだろーっ。どうすっかなぁ」
 結局、イズルは汗だくになるまで椅子を窓にぶつけ、疲れ果ててベッドに横たわった。
――窓からの脱出は無理、と。


><><><><

 カチッ。
 小さな音がなり、針金を通じて錠が外れた手ごたえを伝える。
 金色のドアノブをひねる。音を立てないよう注意を払ってイズルは扉を開いた。
 一本の長い通路が続いていた。
 赤い絨毯がひかれ、通路に窓は一切ない。
 人の気配や物音はしなかった。
 イズルは、クローゼットから出したジャケットを羽織った姿で廊下に出ると、そっと扉を閉めた。
 右か、左か。
 勘だよりにイズルは左を選んだ。
 館は静まり返っていた。
 イズルは焦る気持ちから、無意識に早足になっていた。
 螺旋を描いた階段を下る。
 階段は途中から他の階段と合流し、開けた部屋に繋がっていた。
 大広間だろうか。
 階段の合流地点の壁には大きな肖像画がかけられていた。
 貴族風の服をまとった若者が描かれていた。白髪に近い銀色の髪に、血のような赤い瞳、その白すぎる肌は、生者ではあるまい。ただ、腰に帯びた剣だけがは、服装に比べて何の飾り気もないのが不思議だった。 
「こいつが、マーチェント…館の主か。こんなとこで一生を送るなんて、ぞっとしないね」
 階段を下り終え、イズル広間の扉に手をかけた。
 鍵はかかっていない。
 扉がほんの少し動いたかに見えた時、イズルの尖った耳に、笑い声が聞こえてきた。
「クスクス。生きのいい子は好きよ。私も、お館様も」
 リマが背後にいる。
 イズルは声だけで判別すると、肩から扉にぶつかった。
 勢いよく扉が開かれる。
 だが、開いた先にも吸血姫、リマが待っていた。
 イズルは勢いを殺すことができず、正面からリマの腕に抱きとめられた。
 リマの足元に金色の魔方陣がちらついて見えた。
(転移の法まで、使いやがるのかっ)
「でも、散歩は館の中だけにして頂戴ね?」
 リマが笑みを浮かべた、口の端から白い牙がこぼれる。
「なめんなっ」
 その白い腕を掴み少年は腰を回す。
 リマは見た目よりも軽く、地面に背中から叩きつけられた。
「リマっ!?」
 悲痛さの混じった声に顔をあげると、ミラが立っていた。
 その背後には、外への覗き窓のついた大きな扉があった。
 イズルの勘は正しかった。
 つまり、その先が出口。
 イズルは、ミラが戸惑っている隙に横を抜け、扉を開け放った。
 土と草の匂いが館に流れ込む。
 西の空が日暮れの色に染まっていた。
 館は石造りの塀と鉄の門に囲まれていた。
 中央には石像が立ち、馬車を走らすための道が玄関から楕円形を作り、門へと続いていた。
 そこかしこに木が植えられ、夕日に赤く染まっている。
(あの門を越えてしまえば、逃げ切れなくても外との連絡が取れる)
 イズルは石段に踏み出す。
――そして、言い知れぬ悪寒に足を止めた。
 門がひとりでに開くと、一台の黒馬車が入って来た。
 凄まじい妖気を連れて。
 イズルは、言い知れぬ圧迫感に呼吸が乱れる。
 ジャケットの下の腕は鳥肌だらけだ。
 ミラやリマとは比べ物にならない妖気に、イズルは圧倒されていた。
 硬直しているイズルの両腕を、二人の吸血姫が捕らえた。
 イズルは振りほどこうともせず、食い入るように馬車を見つめた。
 玄関まで来て、馬を操る従者が馬車を止める。
 従者の顔は、肉がこそぎ落ち、骨だけだった。
(ああ、そうか。リマたちは、俺を止めるために玄関にいたんじゃなくて……)
 馬車の戸が開き、
『おかえりなさいませ。お館様』
 "仮初(かりそめ)"の吸血姫たちの声が、重なった。


><><><><

 森の邪気が膨れ上がる。
 クロスは暗闇に紛れて舌打ちをした。
 "真"の吸血鬼が館に戻ってしまった。
 おいそれと近寄れば、餌食になるのはこちらの方だ。

 急がなくては。
 近隣の村人がギルドと連絡をつける前に、彼女たちを――。

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