第四夜 ドールの切片




 新月の夜。
 母は生まれた子供たちを見て泣いた。
 せめて日が落ちる前に生まれてくれたら、贄に選ばれなかったのに。
 父は言った。
 ひとりしか生まれなかったことにしよう、と。

 いつも物置で暮らす娘がいた。
 同じ月同じ日の同じ時間に生まれた姉が、外で見たものを妹に伝える。
 いつか村のために生贄されてしまう、哀れな妹を姉は精一杯慈しんだ。

〜4〜

「なぁ、ミラ。お前さ、人間だった頃は何してた?」
 湯浴み後、イズルは自分の髪を拭いているミラに声をかけた。
「……?」
 イズルの問いに、ミラは首をかしげた。
 生まれながらなのか、それとも吸血鬼になってからなのか。少女はあまりかしこくない。
 それに言語障害もあるらしく、言葉にたどたどしさが残っていた。
「ほら、生粋の吸血鬼とは違うんだろ? だったら家族とか、どんな暮らしをしてたとかさ」
 イズルは説明しなおした。
 意図が通じたらしく、ミラが微笑む。
「ミラ、地下で暮らしてた。リマ、遊びに来た」
 少女は得意げに告げた。
「――いや、だから人間の頃の話だって」
「はい。ミラ、生贄。リマ言ってた」
「……生贄だから、地下で育てられた…って?」
 ミラがうなずく。
「リマ、逃げようと言った。ミラとリマ、村出た。でも、お館様に会った」
「お館様ね…」
 イズルは適当な相づちを打ちつつ、新しくできた首の傷跡に触れた。
 少年は思い出すだけで、息苦しくなるような錯覚を覚えた。
 マーチェント=サリクと、肖像画と同じ姿の男は名乗った。
 真紅の瞳、そして死の縁を越えたモノの妖気をかかえて。
 体内の血が全て失われたかのように背筋が凍る。
(あれが"真"の吸血鬼。これが……畏怖)
 主の帰った館は、様々なモノが目を覚ました。
 そこかしこで、"ささやくもの"たち、亡霊がうごめく。
 彼らは言うのだ、なぜお前だけが生きている、と。
「まだ、俺の名前を教えてなかったのよな? 俺はイズル」
「…イズル…?」
「そう。これでもギルドの期待の新人だったんだぜ? 将来、名を成す勇者の卵……っても、この様(ざま)じゃなぁ」
 イズルは、震えだしそうになる腕を、拳を固めることで黙らせる。
 武術に長けると称され、自信に満ちていた男はここにはいない。
 マーチェントの妖気にあてられ、びびっていた。ただの人族がいるだけだ。
 奴の家畜として。
(強かったのは――弟の方か)
 魔術を扱う人間は、希少価値があった。
 たとえ、扱うのが人族であっても、人間は受け入れるのだ。
 イズルはニヒルな笑みを浮かべて思った。
「イズル、元気ない。どうして?」
 濡れたタオルを手にして、ミラが聞いた。
 紫の双眸が悲しげに問う。
 イズルがその白い頬に触れるが、ミラは身じろぎひとつしない。
 滑らかで弾力があるのに、冷たい肌。
「生贄だったから、マーチェントの野郎にあったから、しょうがないって?」
 声のトーンが次第に大きくなる。
 少年は手を離し、立ちあがった。
「それとも、魔法と不老を手にして嬉しいかっ! こんな館で、日の光も見られず。楽しいかっ!」
 言いながら、手の甲を本来外の日差しを取り込むべき窓に、力の限り叩きつけた。
 ミラはイズルの行動に戸惑い、タオルを握り締めていた。
(これが、弟を吹き飛ばした吸血鬼か。こんな弱々しいのが。俺より強いのかっ)
 イズルの青い瞳が、敵意の炎をちらつかせる。
 ミラは、なぜイズルが怒り出したのかわからず、うろたえていた。
「村に飼われ、次は吸血鬼。……はっ。吸血鬼の僕(しもべ)になった今は、この闇の世界が至福の時なんだろうなぁっ」
「…違っ…!?」
「マーチェントに言っておけっ! 必ずその首、切り落としてやるってなっ!!」
 イズルは、もう一度窓を殴りつけた。
 ミラは震え、部屋を飛び出していった。
 少女は言い返しも、少年を黙らせようともしなかった。
 イズルは水差しから直接がぶ飲みすると、一息をついた。
 足元で、お前にやれるものか、と"ささやくもの"が嘲る。
 イズルは、亡霊の影を踏み潰し、ひき潰した。
「……くっそ、ミラには、八つ当たりになっちまったな…」
 震えた少女の顔が、頭にこびりつく。

 虚勢でかまわない。
 妖気で気が狂うことに比べれば。


><><><><

 明るい陽射しの下、川のほとりでセクトは邪気の渦巻く森を睨みつけた。
「館の方に動きはありません。どうやら私たちの存在など、取るに足らないみたいですね」
 黒い影がセクトの側に現れた。
「僕を館まで案内して下さい。…兄さんが居るんでしょう?!」
「貴方の白の魔術が蘇ったのなら案内しましょう。遅れればそれだけ兄の命を奪うことになる…おわかりでしょう?」
 セクトは声に詰まった。
 見かけこそ歳がいっているもののセクトの中身は子供なのだ。
 自分が優位の時は上手くやるが、不利になるとすぐに集中を乱した。
 今は、吸血鬼への憎悪にかられすぎて、白の魔法が上手く発動しなかった。
「待ちましょう、きっとすぐにチャンスは訪れる」
 クロスはセクトをなだめた。
――せめて私の囮になるぐらいは回復して下さいね?
 黒いフードの下で、クロスは笑みを浮かべた。
 

><><><><

 外から打ち付けられた木切れを映すガラスの板。
 それは本来の明り取りの役目を果たすこともできず、ただの飾りになっていた。
 イズルは外を眺めることもできず、ただぼんやりと物思いにふける。
 あれからどれだけ過ぎただろう。
 三日、一週間、いや一ヶ月……屋内の生活が続いたせいか、次第に時間と言うものが曖昧になってくる。
 マーチェントは、イズルの暴言をミラから聞いても、気にも止めなかった。
 逆に生き良いと、捕らえたリマを誉めたぐらいだ。
 イズルは何度となく部屋を抜け出し、ことごとく防がれていた。
 弟やあの監察官はどうしているだろうか。
 今、弟たちがどうしているのか俺には知る術がない。
 監察官はともかく、セクトは俺の救出手段を練っているに違いなかった。
(下手やって、お前まで捕まってきたりしたら、ぶん殴るぞ)
 思いながら、自分の腕を掴む。温かい、生きた人間の腕だ。
 数日前、リマに引き裂かれた傷は今では跡形もない。
 "真"の吸血鬼がもつ、妖気に感化されつつあるとイズルは感じた。
 現にほっておいたのに、綺麗に傷がふさがっている。自然治癒が高まった証拠だ。
 しかし、幾度となく吸われた傷跡だけは、醜い跡として残っていた。
(化け物になんか、なってたまるか)
 港街で遭遇したセイレーンも、元々はただの魚だったはずだ。
 それが、大気に魔法力が含まれるようになって、海の化け物へと変化してしまったのだ。
 吸血鬼と呼ばれる者たちも同様、祖先は同じ人間。
 "仮初(かりそめ)"が生まれるのも、祖先が同じだからこそ。
 人族も、それは変わらない。
 人間より人族の方が、より魔に近いと言われている。
 だから、人間は人族を恐れるのだ。
「イズル、戦う…どうして…?」
 声がして、少年はミラの方を向いた。
 少女は戸口で、首を傾げていた。
「…そう、だな。俺は冒険者として、ギルドの命で色んな地を回ってきた。海も山も、熱い川、塩の峰、色んな土地を…未知の大陸はまだまだある。もっと色んな場所を見たいんだ。だから、戦う……これで、説明になるかな?」
 ミラはイズルの傍らに座り、楽しげに話を聞いていた。
 事実、外に出たことのないミラにとって、少年の話は面白いものだった。
 気を良くしたのか、イズルは話を続けた。
「な、ドームを知ってるか? 旧世界(エ・ワルト)時代最後の遺産、巨大な都市を結界で覆い、全ての災厄を乗り越えるために建造された楽園(エデン)。俺の村にさ、こんなお伽話があるんだ」
 そう言って、少年は嫌というほど聞かされた童話を口ずさんだ。

 希望の搭は崩れ
 魔の国からの門は開かれた

 月は悪意に汚れ
 夜は狂気に彩られる

 世界の半分は魔の領域となった
 月に魅入られし子らは
 夜と共に永劫の時を彷徨うだろう

 童話と呼ぶには、あまりに生々しい予言。
「この"希望の塔"ってのが、ドームのひとつじゃないかと俺は思ってる。熱となり、風となり、凍りとなり、そして光になる……そんな変化自在な力を旧世界人たちは自在に操り、そして来るべき災厄に備えてドームを作った。想像できるか? 昔は何十億もの人間が暮らしていたんだ。だから、ドームだって沢山あるに違いない、いつかそのドームを見つけ出すことが俺の夢なんだ」
「おとぎばなし、なのに…?」
 ミラがそっと水を差し出す。
 イズルは水を受け取って、話しを続けた。
 いつしか吸血鬼の館に閉じ込められていることも忘れ、言葉に熱が入る。
「俺は会ったんだ。旧世界(エ・ワルト)の住人にさ。もう、そいつは死んじまったけど。言ってたんだ。"私達は狂った塔から逃れてきた"って」
 イズルの心は、ほんの短い間話し合った機械人形、ドールのことを思い出していた。
 彼女は、今でも青い透きとおる空の下、皆を見守っているのだろう。
 対となる人形の亡骸を守りながら。
「良かった。イズル、元気」
 ミラはにっこりと微笑む。
 しばらく世話になってわかったことは、ミラは人の血をほとんど吸っていないということ。
 そして、料理をしたり掃除をすることが、楽しいと語っていた。
(俺達が失敗したとギルドが知れば、次のパーティを送り込むに決まってる。より上位のランクの冒険者を……いつか、ミラも退治されてしまうのだろうか?) 
 急に黙り込んでしまった少年を、ミラが不安げに覗き込む。
 睫毛の長い紫の瞳に、少年の姿が映った。
「もし、人間に戻れたとしたら…」イズルは知らずに、呟いていた。
(戻れるなら、退治しないで済むんじゃないのか?)
 呟きを聞きつけて、ミラが首をふる。
「ミラ、吸血鬼…だから……」
 何処かあきらめの混じった声、少女は"仮初(かりそめ)"の吸血鬼になったことを快く思ってない証拠だ。
 と、ふいに思いたって、イズルは少女の白い手を掴んだ。
「そうだっ。ドームだよっ。ドームに行けば、旧世界の技術が残ってる。今の俺らに戻せなくても、古の楽園(エデン)なら……機械人形が人間として暮らしてたぐらいだ。きっと吸血鬼だって、人間に戻せるさ。何だって、元は人間じゃないか」
 まだ望みがあるんじゃないのか。
 イズルはジャケットの隠しポケットに手を忍ばせた。
 ここにドームから逃げてきた機械人形から譲り受けたモノがある。
 ドームの出入りに使う鍵、それは小さな金属片だった。
「人間に……リマも一緒…?」
「ああ、一緒だ。リマが、人間になりたいと願うのなら」
 ミラが顔をほころばせる。
 それは、とてもいい笑顔で。
 イズルはミラだけでも助け出そうと心の中で誓った。
 リマは、もう人を殺す楽しみを覚えてしまっていたから。


><><><><

 館の地下室の一室。
 ひとつの大きなベッドに、寄り添うよう、二人の少女が体を横たえていた。
 地下室のはずなのに、二人は黒のネグリジェとシーツだけで、寒くは無い様だった。
 もうすぐ夜が明けてしまうのに、ミラは一向に寝付けず、何度目かの寝返りをうった。
(もし、人間に戻れたら。明るい日差しの中で笑っていたリマと、私も一緒に…)
 人であった頃もミラは日の下を思いっきり駆け回ったことが無い。吸血鬼になってからは尚更で、日差しに憧れを覚えていた。
 ミラは考えるだけで嬉しくて、ついクスっと声を漏らした。
 リマが目を開ける。
「寝れない?」
 そっと姉は妹の手のひらに、自分の手を重ねた。
 ミラは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかに微笑んだ。
 リマは思った。
 いつも捕らえてきた人間の面倒をするしかないこの哀れな妹は、滅多にお館様のお声がかからない。人間の世話すらもままならず死なせてしまった時など、心底あきれる。あまりに鈍くさく愚かな、そして愛しい妹…と。
「ねぇ、ミラ。いい話してあげる」
 ミラはリマの言葉に耳を傾ける。
「弟が見つかったら、お館様が仲間に迎えていいって。そう、言ってくれたのよ?」
 リマが弟の存在を知ったのは、両親をその手にかけた時だった。手紙を見つけたのだ。
 弟から両親へ宛てた手紙を。
 娘を生贄として育てた親など、吸血鬼になってから真っ先に殺した。だから、弟が私達の最後の血縁で、今だ人間の可哀想な弟だ。
 リマはミラも喜んでくれると思って話した。
 しかしミラは、ベッドから上半身を起こすと、
「……リマ、吸血鬼…好き…?」
 リマに泣きそうな顔を見せた。
 なぜミラが悲しそうにするのかわからず、リマは戸惑った。
「ええ、好きよ。大の男が私を見て怯えるの、その喉を噛み砕くのが一番好き。…そっか、ミラはあまり血を吸ってないものね。私からお館様に、ミラにももっと血を与えるよう頼んであげる」
 ミラは首を振った。
「…人間、イヤ…?」
 おかしい、とリマは思った。
 いつものミラなら、嬉しいと喜ぶのに。
「私達のご飯だもの。嫌なわけないじゃない。特に魔力の高い子供は、好きよ。……例えば、脱走したがりのボウヤとか」
 ミラが、はっとして表情を変えた。
「…何を言われたの、ミラ」
 リマも体を起こすと、優しく妹に問う。
「イズル…ドーム行けば、人間に戻れる…って」
 おずおずと話すミラの顔は、何処となく嬉しそうだった。
 地下室を乾いた音が響いた。
 ミラは叩かれた頬を押さえ、驚いた顔でもう一人の自分を見た。
「馬鹿なミラっ。そんなこと嘘に決まってるでしょうっ!!」
「違うのっ。イズルはっ!」
 すがりつくミラの腕を、リマは振り払うとベッドから降りた。
 その瞳は、妹を騙そうとする者への怒りに満ちていた。
「リマ、止めてっ」
 生まれて初めて聞くミラの制止を無視して、リマは部屋を出て行った。
 残された少女は、シーツを握り締めふるえた。
「…どうしよう。どうしよう。…イズル、殺される…」
 リマは一度怒らせた人間は、すぐに殺してしまう。
 頬を押さえるミラの手に涙が伝った。
 私のせいだとミラは思った。そして決意を固めた。
 涙を拭うと、ミラの手がシーツを放した。
 両腕を天井に向け、まっすぐに伸ばした。
 宙に金色に光り輝く魔方陣が現れる。
 そして、術者と供に、魔方陣は消えた。

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