第五夜
月に魅入られし子ら




 月の無い夜に生まれた子は
 闇に魅入られ難いから
 少しでも人でいられると

 だから 少しでも早く日の下に帰せば
 私たちは人のままで

――――それでも 狂った月が 私たちを闇に堕とす


〜5〜

 強い睡魔との葛藤の中に、イズルはいた。
 少年には、日が昇ると寝てしまうように術がかけられていた。
 睡魔にまどろむ視界に、一瞬光が差し込む。
 幻覚だと、イズルは思った。
 青い瞳がぼんやりと宙を映す。
「……」
 自分を揺さぶる人影。
 イズルは、黒い服を見て、
「わかってる。仕事だろ……」
 寝ぼけ眼で告げた。
「起きてっ。リマが来ちゃうっ」
 高い女の声。思考を包んでいた霞がはれる。
 ローブだと思っていたのは黒のネグリジェで、紫色の豊かな髪をした少女が、イズルの顔を覗き込んでいた。
「ミラっ! どうしたっ」
 イズルは飛び起きた。眠気は嘘のように消えていた。
 これまでに無い、妖気と殺気が館を包んでいた。
「リマ、吸血鬼好き。怒った、だからっ」
「くそっ。来いっ!」
 イズルは、しどろもどろに話す少女の腕をひっ掴むと、食事用のナイフを武器代わりに手にして部屋を出た。
 通路を鋭い風が吹き抜ける。
 風の先には、両腕を広げた少女が浮かんでいた。
 イズルたちの進路を塞ぐように。
 ミラと同じ姿の少女は、怒りに満ちていた。
「ミラ……そいつを逃がすつもり? 私に逆らうの?」
 淡々と告げるリマの声に、ミラが萎縮する。
 かばうようにイズルは一歩前に出た。
「けっ。身も心も吸血鬼になりさがったんだなぁ、あんた。その顔、半魚人の方がまだ可愛げがあっぜ」
「アハハっ。私達は選ばれたの。家畜と一緒にするなっ!」
 風の塊がイズルを襲った。
 腹を殴られる感覚と共に、イズルは宙を舞う。
 しかしその体が壁に叩きつけられる前に、別の風が優しく抱きとめた。
「……ッてーっ。サンキュウ」
 ミラの周囲でも風が巻いていた。
 彼女が受け止めてくれたのだと、イズルは気づいた。
「リマ…お願い、止めて」
 同じ時に生まれた二つの顔が睨みあう。
「はぁ。仕方ないわねぇ」
 リマが風を開放し、赤い絨毯の上に降り立った。
 観念したと、リマが微笑みかける。
「でもそのボウヤは置いておけない。見逃してあげるから、ミラはこっちにいらっしゃい」
 イズルを逃がす代わりに、ミラは残れ、そうリマは告げた。
「ありがとう。リマ」
 歩き出そうとするミラの肩を、少年が止めた。
 リマの眉が不快そうに跳ねる。
「悪いけど、そんなベタベタな嘘に騙されないよ」
 イズルには、リマの押し殺した殺気が鋭い刃のように伝わってきていた。
 ミラが離れたら殺られる。
 少年はミラをだき抱えると、通路を塞ぐリマ目指して走り出した。
「――っ!? "風……」
 慌ててリマが風を集めるが。
(遅いっ)
 イズルはミラを抱えたまま、リマのどてっぱらに思い切り蹴りこむ。
 リマが壁に打ち付けられ、苦しそうな表情をし、牙を向いた。
「イズルっ。無理は」
 ミラの心配をよそに、イズルは広間の階段を飛ぶように降りると、二重扉を開けた。
 星明りが石段を照らす中、二人は手を取って走る。
 馬車の出入りを考えて作られた楕円形の道を縦に突っ切り、門へと目指した。
 だが外に出るその瞬間、門はひとりでに閉ざされ、塀が紫の炎を吹き上げた。
 タックルをかけたところで門はびくともしない。
「ひっ……」
隣で小さな声をあげ、ミラが怯えた。
 イズルの背中に冷や汗が伝う。
 振り返らずとも誰がいるのかわかった。
 ヤツが現れたのだ。
 マーチェント=サリク、この館の主が。


><><><><

「いけないな」
 優しく、だが酷く突き放した声が少年の背中にかかる。
 恐怖で萎縮しそうになる体に活をいれ、イズルは振り返った。
 暗闇で赤い双眸を光らせ、貴族の青年は地面に降り立った。
「でも、私は喜んでいるよ。お仕置きも、嫌いではないからね」
 端正な口元に、鋭い牙をチラつかせながら、"真"なる吸血鬼は笑みを浮かべた。
(悪趣味な奴)
 イズルは怯えるミラを庇うように、マーチェントを睨み返した。
「お館様。そいつ、飼っとくことないわ。ミラをたぶらかしたの・・・・許さないから」
 マーチェントの横で、リマが罵る。
「・・・そうだね。もう、十分に彼からは吸い取ったとも言えるね」
 ミラの冷たい指が、イズルの腕を掴んだ。
 震えがイズルに伝わる。
 少女は勇気を振り絞って、主に意見を発した。
 マーチェントの顔から笑みが消えた。
「ち、違うの。ミラが――――きゃあああっ!」
 ミラは最後まで話し終えることができず、顔を隠してうずくまった。
 顔を隠す手が見る間に骨と皮になる、綺麗な色をしていた髪は白くなり、老婆の様だ。
「てめぇ! 何をやった」
「公平に、お仕置き。・・・・ミラ? 私に逆らうとどうなるか、わかったね。そこで大人しく見ていなさい」
 優しく穏やかにマーチェントは僕(しもべ)語りかけた。
 そして、飾り気の無い剣を抜く、青い炎が刀身を包んだ。
「なる。実戦用、ってわけね」イズルがうめく。
 魔法剣のひとつやふたつ、"真"なる吸血鬼なら所持しているってわけだ。
「アハハ。殺す、殺してやる。すべての血を吸い尽くしてやるから」
 リマが両手を開くと、魔力を集める。
 イズルは、手にした食事用のナイフを強く握り締めた。
 これ以上ミラを盾に使えば、本当に消されかねない。
(俺が、やるしかないんだ)
 使い慣れたナイフに比べ、なんと心もとない武器だろう。
 それでも、イズルはあきらめなかった。
 先に動いたのは、マーチェントだった。
 剣の扱う者としての型はなってない、が人知を超えた速度で刃が迫る。
 イズルは辛うじて、初撃をナイフで受けた。
「あちっ!!」
 少年はナイフから手を離し、勢いを殺しきれなかった刃から、横に転がるようにして逃れる。
 地面に落ちたナイフは溶けていた。
 なんて熱だ。
「"風よ"」
 リマが集めた風に命じる。
 とっさにイズルは、マーチェントへと踏み込んでいた。
 少年の後ろ足に巻き上げられた土砂がかかる。
 そのまま、右腕に体重を乗せ、正拳で突いた。
 イズルの手に、硬いマットを打ったような手ごたえが伝わる。
(あまり効かないかっ)
 それでも、僅かにマーチェントの体位を崩させた。
 お返しにと振るわれた刃を、後ろにステップを踏みつつのけぞる。
 上体の上を刃が通過した。
(速くて、力もあるが……追えない速さじゃないっ)
 と、甘んじた瞬間、イズルの腹部に衝撃が走る。
 蹴られたとわかったのは、数メートル背後にあった置物に背中を打ったときだ。
「こふっ」
 口から、生暖かいものが吐き出る。
 それが何か見たくもない。
 がくつく足を妖気にあてられただけだ、と言い聞かせながら、イズルは立ち上がった。


><><><><

 甘い血の匂いに、ミラは面をあげた。
 その顔に、少女の姿の面影はない。
 いつ息を引き取ってもおかしくない、そんな老婆と成り果てていた。
 マーチェント、主のかけた呪いがミラを縛っていた。
「ひっ」
ミラは、かすれた声を漏らす。
 赤い液体が、イズルの口から零れ落ち、彼の上着に降りかかっていた。
 人が、吸血鬼と素手で戦うなど、到底相手になるわけがないのだ。
 そして、リマの魔法が彼を吹き飛ばした。
「……や、…」
 地面でバウンドし……それでも少年は立ち上がろうしていた。
 左肩を折ったのか、腕が力なく垂れ下がっている。
 マーチェントはわかりきっていた結末の幕を下ろそうと、獲物にゆっくりと歩み寄って行った。
「……やめてぇっ!!!」
 ミラの叫びが、人間に可聴不能な領域へと高まる。
 老婆と成り果てた少女の周囲で、小石が音の波に耐え切れず粉砕された。
 吸血鬼の聴覚は人を遙に越えている。これなら、リマとお館様だけ動きを止めることができると思っての行動だった。
 吸血鬼の二人が苦しそうに耳を押さえる。
 その隙に、イズルは立ち上がった。
 イズルには何が起きたのわからない。
「――ミラ、それが答えかい?」
マーチェントが僕(しもべ)に優しく問う。
 その声には、逆らうことへの怒りの念が篭っていた。
 ミラは、答えなかった。
 恐ろしくて声も出せない、でも、ミラはそっとうなずいた。
(ミラ、人に戻りたい。吸血鬼になんて、なりたくなかった)
「まって、お館様。ミラはっ」
 リマが止めに入ろうとしたが、マーチェントは剣を振りそれを制した。
「私はね。十分に可愛がっていたつもりだよ。――――なに、君が気に入った少年も一緒に送ってあげよう。寂しくないようにね」
 足音も立てずに、マーチェントはミラの前に移動した。
 剣を振るえば十分に届く距離だ。
(リマ。ごめんね)
 座り込んだまま老婆の姿でミラはそっと、瞳を閉じた。
 風がうなる。
 衝撃が伝わり、胸を温かい液体が広がる。
 痛みは無かった。
 頬にぽたりと液体が落ちた。
「……馬鹿な、ミラ」
リマの声が、すぐ近くで聞こえて。
 ミラは目を開けた。
 胸の谷間に青く光る刃の切っ先が突き出ていた。
 黒いネグリジェを真紅に、赤黒く染め、リマはミラに倒れこんだ。
「ごめん…私につき合わせて…」
ささやくようにリマは言い残した。
 抱きとめようとしたミラの腕が、宙を掴む。
 バサッ・・・。血と灰が、ミラに降りかかった。
 衝撃はリマを介してして伝わったもので、ミラは斬られていなかった。
「肉親の情にかられたか。所詮、元人間にはこの程度、愚かな」
 剣を脇に下ろし、マーチェントはさげずむ瞳で見下した。
 ミラは、もう一人の自分を突いた剣を見つめていた。
 老婆の肌を、涙が伝う。きしむ体で、ミラは立ち上がった。
「――なるの。…私、人間に戻りたいのっ!」
 リマの血とミラの思いが、マーチェントの呪いを破る。
 老いた細胞が若返る。
 ミラは、両手を正面に向け、炎を集めた。
 手が焼ける。
 足りない。こんな炎では、"真"の吸血鬼は焼けない。
 リマを殺すほどの、あの剣に対抗できるだけの炎を。
「スマートなやり方ではないね、ミラ。……くく、それとも姉を追って自殺するか?」
 マーチェントの剣が高々と掲げかれる。
(今度は目をつむらない)
 イズルが木刀代わりの木の幹を手にして、背後からマーチェントに仕掛けるのが見えた。
 ミラの手元で炎が風に煽られ、更に火の粉を巻き上げた。


><><><><

 イズルが幹を杭代わりに振るうより早く、マーチェントは背後に腕を払った。
 ミラの視線で、動きを読んだのだ。
 でも、剣を持つ方ではない、ただの腕だ。
 イズルは右腕に掴んだ幹一つで、腕を受け流した。
 お返しとばかりに全力で、マーチェントの胴を横凪ぐ。
「がぁっ」
 これをマーチェントは真っ向から受けた。
 イズルは、自分の流した血で手を滑らせ、幹も振り落としてしまった。
 だが、距離は稼いだ。イズルは、ミラの脇に立つと、右腕を前に腰を落とす。
 ミラの手は、あまりの高温に燃え出し、高温の炎は青白くなっていた。
 ミラは両腕を束ね、拳をマーチェントに向ける。
「"炎"、"風"」
 少女の腕から火柱が走る。
 胴を殴られ、たたら踏んだマーチェントはとっさに剣を向けたが、火柱が切れることはなく、そのまま業火に飲まれた。
 倒れるミラを、イズルが支えた。
「大丈夫かっ!?」
 少女の両腕は炭化し、崩れかかっていた。
 ミラはそっと、うなずいた。
 ミラにしてみれば、イズルの方が心配なのだが…。
 業火は中に居る者を燃やし尽くすまで消えそうに無かった。
 そして、堀を囲む紫の炎も消えない。
 イズルは、ぽんっと無意識のうちにミラを押していた。
 二人の間の空気が切れた。
 褐色の腕に赤い筋が生まれた。
 切れられた、と気づいてイズルたちは火柱を見た。
 収まった炎の中で、マーチェントは剣を盾にするように立っていた。
 服は多少焼けていたが、無傷だ。
「けっ。そいつが炎を吸い込んだ……ってかよ」憎々しげにイズルがぼやく。
 腕は皮膚を浅く斬っただけで、たいしたことは無かった。
 マーチェントは不敵な笑みを浮かべた。
 ミラがもう一度あれだけの炎を集めるのは無理だ。
 そして、集めたところで、マーチェントには通じない。
(悔しい。力が、俺にもっと力があれば)
 振り下ろされる刃が、酷くゆっくりだ。
 この軌跡なら、イズルの首を切り落としたあと、ミラの胴をなぐだろう。
 そんなことを思いながらも、傷ついた体は重く。
 少年は次の回避運動が取れなかった。
(武器だ。俺にも武器さえあれば。――例えば、マーチェントが持っているような)
 それは、ありえない願望。
 剣は敵の手の中にあり、奪い取ることも出来なかったのだから。
 ふぃに、少年の手の中に重みが生まれる。
 イズルは、知らずにその手を突き出していた。
 肉を裂く確かな手ごたえ。
「がぁあああ、馬鹿なっ!?」
 マーチェントは己の腹に刺さる剣に、驚愕した。
 剣は、私の手の中にあったはずだ、と。
 イズルは、何故この手に剣があるのか。わからない。
 ただ、今が起死回生のチャンスだと。
 動揺する吸血鬼から刃を引く、奴を滅ぼしたいと願った。
 刀身を赤い炎が包む。イズルの手には熱さを感じなかった。
 マーチェントの腕が体を庇うように動き。
 少年は、心の臓を狙ってマーチェントの腕ごと突きさした。
 断末魔の叫びと共に、蒼い炎が吹き上げ、吸血鬼を焼き尽くす。
 後には灰と、マーチェントが腰につけていた剣のさやだけが残った。
 堀の炎が消え、妖気が解けていくのがわかる。
 今度こそ、"真"なる吸血鬼は滅びたのだ。
「…は、ははっ。やったぞミラっ。俺達は自由だっ」
 極度の緊張から解放された反動で、イズルは笑っていた。
 一瞬、ミラの顔に陰がさしたが、それもすぐに晴れ、彼女は微笑んだ。
 イズルは自分のジャケットを少女に着せた。血汚れた服だったが、それでも少女の肌をあらわにしているのは良くないと思ったのだ。
 二人はお互い肩を貸しながら、門を出た。
 水のせせらぎ。
 川原が懐かしい。
 イズルはマーチェントの剣を降ろすと、水で顔を洗った。
 ついで、ミラの顔についた血を、水で拭って綺麗にする。
 吸血鬼は流れる水が苦手なのだ。
 そう、主が死んでも"仮初(かりそめ)"は人には戻らない。
 すでにミラの両腕は完治していた。
「夜明け前に、どこか身を隠す場所を見つけないとな」
「うん」
 館には戻りたくないと思ったが、どうしても身を隠す場所が見当たらないときは仕方ない。
「次の晩には、俺の弟を紹介するよ。何か言うかもしんねぇけど、安心しな。俺が、文句は言わせねぇからさ」
 マーチェントの剣を肩に担ぎ、イズルは得意げに言った。
 川はとうとうと水が流れていた。
「なぁ、ミラ――――」
 後ろを歩く少女に、イズルは声をかけた。

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