呪狼

2005年 春 作:酉(とり)


 タバコの煙が部屋をくもらせる。
 トレンチコートを着た男は、ベットに腰掛ける学生の話を聞いていた。
「鴨居さんっ。家出じゃないんだ、あいつらが居なくなったのは――俺、見たんだよ」
 助けてくれよ、と学生は私に泣きついた。
 探偵としてではなく、呪術払いとして。
「さて…もう少し、詳しく話してくれないか」
 よほどのモノを見たのだろう、少年は怯えきっていた。

 泣き言や言い訳の混ざる話は、到って単純なことだった。
 仲間と同じクラスの女子をいじめたら、その女の子が仕返しを始めたらしい。
 それはとても簡単で、強力な呪いだった。
 そして彼は、その呪いをかける姿を見ていたのだ。


《こっくりさん。こっくりさん。犬を六匹アイツらの玄関から襲って下さい》

《こっくりさん。こっくりさん。ええ、私は二度と呼びません》


 最初は、馬鹿な遊びをしていると皆で笑っていた。
 しかし、仲間が一人ずつ消えていったのだ。
 もう犯行グループで残っているのは、この少年しかいない。
 少年は出来るだけ自宅には立ち寄らないようにして、難を逃れていた。



 そう、私が彼に家に帰るように進めたのだ。


 こっくりさんの形式で、呪いをかけた少女。
 それは随分な才能の持ち主だ。
 しかし――その呪いはあまりに単純すぎた。


「玄関からたあ、そいつは随分わかりやすいな」


 私は庭に面したブラインドの隙間を広げて、外を見た。
 この部屋は二階にある。
 階下には、犬連れの女が居た。
 どれも大型犬ばかり犬の数は…六匹
 長く待たせたせいか、どれもとめどなく涎を零し唸り声を上げている。
 タバコの火を消して、私は短くつげた。


「来たぞ。ここで大人しくしてろ」


 私は部屋にあるグラビア女性のカレンダーを一枚破り取ると、それを手にして廊下に出た。
 少年は大急ぎで扉を閉める。
 それは、木でできた脆い扉。
 少年の姿さえ隠せれば、これで充分だ。

 この家には空き部屋がもうひとつある。
 そこに”こっくりさん”を誘い。
 逆に、若者の部屋への通路は壁に見せればいい。
 呪いは一度しか発動しない。失敗すればかけた本人に返る。

 私はカレンダーの裏側、白い面を通路に突きつけるようにして、優しくつまんだ。
 そうして、外の犬たちが押し寄せてくるのを待った。


 犬たちが駆け上ってくる。
 階段を上がって、まずは一番手前の空き部屋に飛び込んだ。
 だが、誰もいないので、部屋をすぐに飛び出す。


《何処だ。何処だ。最後の一人は、何処にいる》


 我先にと犬たちが私の方へと向かって来る。
 その背後にある部屋を目指して。
 だが、彼らはポスターに触れると180度向きを変え、先ほど入ったばかりの空き部屋に飛び込んだ。
 そして、階段を駆け下り、若者を求めてまた階段を上る。


《ああ、何て長い家だ。昇っても、昇っても、まだ部屋が見つからない》


 呪いが騒ぐ。
 徐々に犬たちはその身を崩し、お互いの体がくっつくのもかまわず、往復を続けた。
 次第に痺れてくる指先に活を入れながら、私はポスターを掲げた。
 呪いの形は更に崩れていき、いつしか少女の姿をとり始めた。
 犬たちの塊の中に、少女の上半身が生える。
 元は可愛い娘だったろうに、その顔は憎しみに歪んでいた。


《ああ、時間がない。何て広い家だ。こんな大きな家には今まで来たことがない》


 少女の口から口惜しげに声が漏れる。
 やがて、犬達は玄関から上がって来なくなった。


「時間切れだ、な」


 成就しなかった呪いは術者に返る。
 黒く焼け焦げたポスターを手放し、ほんの少し少女の身を案じた。




*****




 いじめっこはもう居なくなった。
 少女は清々しい気持ちでショッピングに出かけた。
 友人と一緒に服や雑貨を覗いて、帰路につく。
 しかし家に帰った少女を待っていたのは、狼が襲ってくるという恐怖だった。

 六匹だった犬が一つになり、巨大な狼となって玄関から襲ってくる。
 そんな思いに始終捕らわれた。


 ああ、どうして。どうして私ばかりいじめられるのっ。


 少女は着替えとほんの少しのお金を持って、部屋の窓から抜け出した。
 玄関なんて怖くて近寄れない。
 スリッパであるのも構わず、外に出る。
 足が重く、家に引きずられそうになるのを堪え、少女は家を離れた。


 一度玄関から呪いを招き入れ、その時にしのげば助かる事を少女は知らない。
 ただ効力が切れることを願って、逃げ回った。

 そうして、少女が女になる頃。
 あの呪いの恐怖は嘘のように消えていた。

 少女は逃げ切ったのだ。




****



《ああ、長い。なんて遠いんだ》


 女は目を見開いた。
 見慣れた天井、隣に眠る彼、心臓の鼓動は今までにないほど早く脈打っていた。
 女はそっと掛け布団をのけて、起き上がった。
 電気もつけず、玄関とベランダを交互に警戒していた。

 呪いが来るとしたら玄関から、逃げ場はベランダしかない。
 女の頭から、ここはマンションの上のほうの階であることは抜けていた。
 ただ、ベランダから外に逃げるしかない、と。


 きっと犬たちは、寝ているこの男に気を取られるに違いない。
 その間に、私だけでも――。



 玄関の戸がカチリと音をたてるのを、女は聞き逃さなかった。
 狼が飛び込んできたらベランダから逃げようと、女は窓辺に立った。

 戸が開く、人間ほどの大きさの影にを見て、女は窓をあけた。





 蛍光灯の眩しさに、男は目を開けた。
 見れば居間の電気を友人がつけたところだ。

「んだぁ? こんな時間に」
「悪い、悪い。実は、見てもらいたいのがあってさ」

 先に電話ぐらいはいれろ、と男は友人を罵った。
 冷房を効かせた部屋に、生暖かい風が流れた。


 男は女の名前を呼んだが、返事は無かった。


 ただ、窓辺のカーテンだけが揺れていた。




****



 幻覚剤の投与にもかかわらず、夢から覚めた少女は部屋を出た。
 好きな男との普通の暮らしが、彼女の望んだ夢だった。
「――さっきの薬、何レベル?」
 文句を言おうと受付に声をかけたが、レベル8.6と聞きあきらめた。
 薬の最高レベルは8、とうに一般のレベルを超えていた。
 これ以上常用すれば、命に関わる。
 仕方なしにコートを羽織ると、カバンひとつを手にする。

 受付けが言った。
「ねぇ、知ってます? また野犬に食い殺される人が出たんですって」

 少女は耳を塞いで、店を出た。
 どんなに耳を塞いでも、少女には聞こえる声がある。


 ぴちゃぴちゃと赤い水を舐めながら、呟く。狼の声が。

《ああ、違う。これじゃなかった》




「あなたが逃げるから、別の人が犠牲になるんじゃないんですかっ」

 誰かにそう声をかけられたが、少女は聞こえなかったふりをして、走って逃げた。








「全く、最近の若者は人の話を聞きやしない」
 トレンチコートの男、鴨居は少女の後姿を見送って、ぼやいた。
「まぁ、助手としてこれから鍛えましょうか。あれだけの才能を失うのは勿体無い」
 そう言って、鴨居は振り返ると、
「もうすぐ、あなたも解放して差し上げますよ」
 大きな耳と尾の生えた人影につげた。



...END

 

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