妖精と魔法使いと旅人と

2004年1月 作:酉(とり)


 年老いた魔法使いはランプに火を灯すと、天井にかけた。
 椅子が軋んだ音をたて、紙が擦り切れるまで読んだ書物を開く。
 時折自前のひげが本に挟まらないよう気を配りながら、魔法使いは頁をめくった。
 静かな時間が過ぎていく、湯気を立てたお茶は次第に冷めていった。
 しわだらけの手が湯のみに触れ、ようやく魔法使いは時間の流れを感じた。
 ため息一つ。魔法使いは老眼鏡を外すと目頭を押さえた。
 風が窓をカタカタと鳴らす。
「やかましいのがおらんのも、寂しいものじゃの」
 窓に作った小さい小窓に目をやり、つぶやく。
 それは猫が通るには小さすぎて、さらに小指の爪ほどの小さな鍵がついていた。
 小さな来訪者がいつ来ても良いようにと、昔自分で取り付けたものだった。

――――じっじー、この部屋かび臭いぞぉーっ。
 そんな事を言いながら、あの子はよく魔法使いを部屋から連れ出したものだった。
 本を開いたままにして、魔法使いは新しいお茶を煎れようと腰をあげた。
 小さい家は本で埋もれていたが、唯一来客を迎えるためのテーブルの上だけは片付いていた。
 前にここに人が座ったのは、何年前だったろうか。

――――村で物知りだとお聞きまして。お話を伺っても宜しいでしょうか?
 礼儀正しい若者だった。
 異国を巡る旅をしながら、書紀として地方の伝統などをまとめているという。
 わしは知っている限りの事を、話して聞かせた。

 今はあの子と一緒に異国の空の下を旅しているだろう。
 多少口うるさいが、妖精は幸運も招くと言う。
 そう悪いことにはなるまい。

 ストーブの上に置かれたヤカンから急須へと熱い湯が注がれる。
 ほどなくして芳醇な香りが部屋を漂い始めた。
 窓が先ほどより強い音で鳴った。
「今夜は嵐かの」
 一息お茶に吹きかけ、年老いた魔法使いはお茶をすすった。

 外で何かが光った。
 遅れて、大地を揺るがす凄まじい音が響く。
 雷なら珍しいことでもないが……外を見た魔法使いは目を見張った。
 橙色の炎が木々の隙間で小さく踊っていた。
「いかん。あそこはあの子の――――」
 年老いた魔法使いは見かけより機敏に動くと、入り口に立てかけてある樫の木の杖を手にし、小屋を出た。
 雷と風が猛る中、魔法使いは火の元へと急いだ。



 パチパチ。
 火の粉が次々と花を燃やしていた。
 黒コゲの幹の周囲から炎が昇ると、小さな花畑に襲い掛かっていた。
 年老いた魔法使いは花畑に踏み込むと、雨が降る様必死に祈りを捧げた。
 強風が火を大火へと育て上げていく。
 しわの寄った額から汗が伝う。それは空を舞う煤(すす)が顔を汚したせいで、黒い筋を残した。
 煙が立ちこめるのも構わず、魔法使いは祈りつづけた。
 煙を吸って咳き込む。
 年老いた魔法使いは、咳が止まらず苦しげにうずくまった。

――――じっじー。ほら、花のひげ飾りーっ。アハハ。
 ここはあの子が好きな場所、そして年老いた魔法使いの大切な場所でもあった。
 火の粉が魔法使いのマントを焦がす。雨は降りそうに無かった。
 酸欠から頭の中が真っ黒に塗りつぶされても、魔法使いは祈るのを止めなかった。

――――じっじーっ。
 しわがれた手から杖落ち、そのしわだらけの目が閉じられた。



 しゃんしゃん。
 ヤカンが騒がしく蒸気を吹き上げていた。
 ああ、火から降ろさんと……と、年老いた魔法使いはしわに隠れた目を開けた。
「じっじーっ!!」
 妖精はすぐさま、その高い鼻に飛び込んだ。
「ばかばかばかばかっ」
 そのまましわだらけの額を叩く。
「こ、これよさんか」
 魔法使いは妖精を掴みあげる。
 妖精はボロボロ涙を零し、声をあげて泣き喚いた。
「――――? なぜお前がここにおる。旅はどうした」
 魔法使いの疑問は、若々しい声が答えた。
「三年のお約束だったでしょう? 少し早く着いていて良かった。喉に痛いところなどは?」
 薬湯の独特のエグイ香りが漂う湯のみを差し出し、若者は告げた。

 妖精が旅人に着いて行きたいと訴えた時、魔法使いは三年後に戻ってくることを条件に送り出した。
 その約束を旅人は守った。正確には、一ヶ月近く早い。
「予定より早く着いたのは、この事を予知されていたのかもしれませんね」

 雷が落ちたとき、妖精は若者のフードから飛び出した。
 風をものともせず魔法使いの小屋に着くと、そこには煎れたばかりのお茶が湯気をあげているだけだった。
 すぐさま辺りを飛び回り、火災とそこに倒れる魔法使いを見つけ、いち早く旅人を呼んだのだ。
「そうか……こんな老いぼれをありがとう。しかしまさか、お前に命を助けられるとは」
 魔法使いは若者に礼を言い、妖精には驚きの目を向ける。
「じっじー。花なんてまた植えたら良いんだよーっ。珍しい植物の種だって、いっぱいいっぱいお土産に持って来たんだからっ」
 そう言って妖精は若者の服に飛び込むと、皮袋を抱えて顔を出した。
 年老いた魔法使いが花を好むと知っていたので、お土産にと行く先々で集めたものだった。
「そうじゃな……。聞かせてくれんか。二人がどんな旅をしたのか」
『もちろん』
 長い旅から戻った二人は、元気そうな魔法使いに安心し、にこやかに笑った。



 翌日、誰よりも早起きした魔法使いは二人を起さないよう気を配り、花畑を見に行った。
 炎が静まった花畑は土と灰が積もるだけだった。
 燃えてしまった花も、後の良い肥料になる。
 そして、燃えなかった石が花畑だった場所には残されていた。
 灰の積もる墓碑を魔法使いは手で払った。

――――じっじー。
 そう呼んでくれた幼い子供との思い出が蘇る。
 墓に添えた花がいつしか花畑となって、一人の妖精がその花畑に姿を見せるようになった。
 幼くして死んだ子供は、時に妖精になるという。
 この花畑がある限り、あの子は旅先でも無事であると魔法使いは信じていた。
 だからこの花畑が失えばあの子も居なくなってしまう、そんな不安に駆られた。
 しかし、もうあの子はこの花畑に縛られてなどいない。
 あの子の集めた花の種をこの地に蒔けば、さぞ美しい花が咲くことだろう。
「わしはそれを見守ることにしようかの」

 一週間がすぎて、年老いた魔法使いは二人を見送った。
 そのしわだらけの手には、旅人と妖精が作った――まだ未完だったが――書紀の写しがあった。
「じっじーっ。また三年後に会おうなーっ」
 妖精は旅人の頭の上で小さい腕を力いっぱい振りまわした。
「ふぉふぉふぉ。孫を頼んじゃぞ」
 若者に聞こえたかどうかはわからないが、魔法使いは満足げに小屋に戻った。



 ……翌年、花粉症への対処の仕方を調べる年老いた魔法使いの姿があった。


...END

 

このお話は、紅さんからお題を頂いて書いたものです

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